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 徳島県吉野川市山川町久宗25−1の先   名越鉱山(川田山鉱山)   Photo : 2011.11 (1/1) 
 名越鉱山(川田山鉱山とも言う)は1920年代(大正〜昭和)に久原鉱業(日本鉱業→現新日鉱ホールディングス)が当地の有望銅山であった高越鉱山を買収した後、周辺の久宗鉱山や大内鉱山などと同様に買収した銅鉱山であり広義の意味では高越鉱山の支山ともいえるヤマである。明治時代には品位の高い斑銅鉱も採掘されたと言う。ひところは非常ににぎやかな鉱山町として栄え地元の雇用や経済活性化にも寄与したという。その後1952年(S27)に同鉱山に見切りをつけ久原鉱業が同地を撤退してからは同社の所長であった岡村氏が「高越鉱業」という会社を設立、後を継承し貧鉱に悩みながらも20年近く努力したが1971年(S46)ついに閉山を迎える。
 
 今回の鉱山めぐりでは坑口発見には至らなかったがズリ山から含銅カラミ?とこれって銅鉱石?と思える石を2〜3個採集して終了です。下のふいご温泉の建屋のどこかにも坑口があると帰ってから知ったのは残念である。


ふいご温泉の南の隅っこにあった鞴橋と紅簾片岩の案内板。温泉の名前もここからとったものだろう。


L写真:この赤い橋が鞴(ふいご)橋。橋向こうに名鉱鉱山の精錬所があってそこへ通う社員の通勤用の橋だったようだ。鞴とはた
     たらのこと。昔の精錬にはまだ手や足で空気を圧送して鉱石を焼く、という作業が続いていた。実はこれが大変な重労働
     だった。よく驚いた時など”たたらを踏む”と言うがあれは足でたたらを踏んで空気を圧送する格好が似ていることからつい
     た言葉。橋の下の巨岩が紅廉片岩。
R写真:橋の袂から鉱山方向を見る。帰って写真を見てから気づいたのだが赤い矢印部分に坑口のような物が見えるが。帰って
     きてからなので確認は出来ない。ザンネン!右側の平地も関連施設。


L写真:橋を渡ってしばらくこんな道を行く。
写真:バンガローのような建物だったがおそらく元は鉱山関連施設だったろうと思う。
R写真:これがズリ山(下の写真)の対岸、上の写真の赤い矢印の右側の平地の様子。綺麗に整地をしているがズリ場だろう。建
     屋があるということは行ける道があるということだろう。ちょっとわからなかったが。でもこの感じは坑口のひとつ二つぐらい
     ありそうな感じだ。


どうやらズリ山のようだがどうもズリの大きさが少し大きすぎるような気がする。確かに粒が大き目のズリ山もあるにはあるがここもそうだろうか。よく見るとカラミもあった。一時期は精錬もしていたようだから当然だろう。地図を見ているとこの山の上に何かの施設があるようだ。名前がないので分からないが鉱山時代の建屋を利用したものかもしれない。


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Osimai