妙法鉱山(みょうほうこうざん) 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町    

                               撮影日  2007年4月   1/1


 妙法鉱山も紀州鉱山と同様、周辺の円満寺鉱山など中小鉱山を総称した名称である。経営母体も1954年に三菱金属に経営権が移るまでは石原産業である。発見年代もよく似ていて平安時代と言われている。本格的に操業が始まったのは1938年、石原産業にそれまでの日本鉱業(旧久原鉱業)から経営権が移ってからのことで1941年、太平洋戦争が始まる前だから比較的最近である。主産出鉱物は紀州と同様、銅ー黄銅鉱である。太平洋戦争直前からの本格操業といことはどうやら戦争に向けてのことだと思う。戦後、1954年(昭和29年)に石原産業から三菱金属に経営権が移ったがまもなく銅価格の暴落で1972年ついに閉山となる。
 三菱の管理する鉱山はどこもそうだが坑口や沈殿池、坑道などみんな管理が行き届いている。何故だろう。私たちのようなマニアが万が一にでも事故を起こしたら困るから?はたしてそうだろうか・・・。うがった考え方だが、なんとなく将来の復活を考えてのことではないだろうか





国道42号線、JR「那智」駅前を山方向へ、那智大滝方面へ行く。県道43号線を約3キロぐらい行くと左手に写真のGS”ENEOS”がある。その手前三叉路にこの標識が立っている。分かりやすい。


上の標識から数分でこの場所に来る。いつもなら階段を登っていけるところまでいくのだが当日はもう時間が相当オーバーしていたのでここは確認だけして他を回る。


逆台形型の部分でトラックに鉱石を積み込む。(下に拡大写真)ここは直島製錬所(香川県)に運んでいた。上にシックナーと選鉱所の跡が残っている。上まで登るのはまた今度にすることに。


 ホッパーだと思います。トラック輸送だと思ってましたが前に軌道があるということはトロッコで別の場所まで運んでいたのでしょうか。でもホッパーにしては間口が若干、狭い?


 R写真にはトロッコのレールが残っていたが。


 ホッパーと堆積場の中間地点辺り。道路から直接見える。ゲートの中は敷地内なのでもちろん入れない。Rがゲートから撮った写真。どうやらこの向こうに妙法鉱山の”本丸”があるのか。


 プールにはシートがはってあったがかなり時間がたっているようだ。相当、破れがあった。Rのは坑口だと思うが詳しくは分からない。コンクリートでガッチリと固めている。


道路の反対側に堆積場が。地表はきれいに整備されていた。この案内が無ければ分からないぐらいだ。


ここははじめの鉱石積み出しの写真の場所とはほぼ反対側。垂直的には若干上昇する。多分、操業時はここから車両の出入りをしていたのだろう。しかし大型車両の出入りには少し道が狭いように思うのだが。あるいは外にもそれ用の道路があるのか。


単なる山中の広場、だけではちょっと説明がつきにくい平地である。きれいに石垣もあるし何か貯鉱所だったのか?OR 堆積場か沈殿池か?まさか選鉱所・製錬場ではないだろう。


ここは何だろう?山の中腹あたりに鉱山施設とは関係なさそうなものが。何かひどい荒れ方だったが。単なる廃墟か。



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