福岡県飯塚市穂波町   三菱飯塚炭鉱   訪問日:2008.04  (1/1)   

 uWaoo〜!
近くからこうして見るとさすが存在感大ありですね。志免炭鉱のあのでかい竪坑櫓ほどではないですがそれでもデカイ!!



 飯塚炭鉱は1915年(第一次世界大戦勃発の翌年)に中島徳松氏が炭鉱開発に着手するが1922年には事実上、三菱鉱業の経営になりそれ以降1961年の閉山まで約40年間一貫して三菱であった。同じ筑豊炭田の炭鉱としては大小たくさんの炭鉱があった中で飯塚炭鉱も石炭資料館になっている三井田川炭鉱や山野炭鉱、麻生炭鉱、明治鉱業赤池炭鉱などと同じ大規模炭鉱の部類であった。炭鉱についてまわるガス爆発事故やその他の事故もここ飯塚炭鉱でもやはり多発していた。特に太平洋戦争開戦の1941年からは軍部の増産命令などもあり今では考えられないような劣悪な環境下で安全も無視され装備も貧弱で食料物資も不足の中で採炭を強いられていた。特に’44年敗戦前年の年に51名もの犠牲者を出したガス爆発事故ではそのほとんどが強制連行された朝鮮人であったことはあまり知られていない。
 ついでに言うならば全国の鉱山や炭鉱で当時おびただしい数の朝鮮人、中国人が犠牲になっているがその内容たるやなんと現場に連れて来られてものの一ヶ月足らずで発破の犠牲になったり落盤の下敷きやその他いろんな事故にあったり、もっとひどい場合は到着して一週間ぐらいで事故にあい死亡した者も多々あった。皆目言葉が分からず習慣も何もかも違う土地でレクチャーも何もなしでいきなりの奴隷労働ではそれも農作業などではなく火薬を使う現場である。資料を読んでいて思うのは’43’〜’45年敗戦間近になった頃に特にそういった20歳代半ばで一月もせず犠牲になった若者たちがなんと多いことか。
 
 下の地図の”飯塚工業団地”は元飯塚炭鉱の跡地利用である。




 この南北の道路はなに線と言うのか分かりませんが地図で見るとすぐ左側を碇川が流れています。それほど大きな川ではありません。ちょうど飯塚工業団地のすぐ西側の辺りですね。赤丸で囲んだ部分が南側の台座です。


 ・L写真:手前の川が分かるだろうか?黄色い小さな花の咲いている部分が碇川である。左の赤丸が大きい方の台座、右の赤丸が小さい台座。
 ・R写真:北方向を望む。


@ 先ずは北側(上L写真左側)の大きい巻き上げ機台座からごあんな〜い。 


 三菱飯塚炭鉱第二坑の斜坑巻き上げ機台座の遠景。ここ筑豊に残る同じような台座は他にもあるがこれが最大級だ。


 近づいてみるとやはり威圧感がある。もっと壊れて傷んでいるかとも思っていたがそうでもなかった。


 UP写真だが銃座?のような穴の周りもわずかの草こそ生えているがまだまだ煉瓦部分はがっしりしているようである。



・T4 :中島徳松、大徳炭鉱(飯塚炭鉱の前身)を経営。3年後:中島鉱業を設立。
・T11:中島鉱業は経営を三菱鉱業に委託。
・S2:飯塚炭鉱での採炭量が714、000トンと最高となる。
・S4:三菱が中島鉱業の全株式を取得、事実上三菱のものとなる。
・S16:第二抗で落盤事故。死傷者13名
・S18:第二抗人車卸で落盤事故。死傷者6名
・S19:第二抗でガス爆発事故。死傷者13名。新抗右第一卸でガス爆発事故。死傷者51名
・S36:三菱飯塚炭鉱閉山。
                   <以上要約>


A 次に南側(上L写真右側)の小さい巻き上げ機台座をごあんな〜い。


 こちらは南側のちょっと小さい方の台座。北側台座にもあったが左にちょこっと突き出ているツノみたいな物はなんでしょう?


 北側台座よりも若干傷みが激しいかも。もう住宅地域の中になっている。


 こういう位置関係にある。分かるだろうか。


 こっちの台座の基礎部分は保存対象になっていないせいかかなり危なっかしい。と言ってもすぐにどうかなる程ではないが。いいんじゃないでしょうか。


 一部こんな風になった部分もありました。われわれ鉱山愛好家にとってはこれでも解体撤去されるよりはましだろう。行く前にいろいろ資料やネット検索などして存在場所を確認し現地へ行きあるべき場所に何もなかったり完全に別のものに変わっていたりすると予想はしていても一瞬その場で固まりますね。(笑)


B 最後にちょっと離れた場所の炭鉱時代の遺構及び遠賀川(おんががわ)とその源流をごあんな〜い。 


 バス停”南尾”近くの交差点の標識。


 飯塚炭鉱の石炭積み出し用施設跡。上記交差点角にある。これは北端部分。


上記と同じ:石炭積み出し用施設跡。西側部分。今は小さな家庭菜園と地元運送会社の駐車場になっている。


 現駐車場の様子と石炭積み出し用駅跡の細部。


 矢張り筑豊はいたるところにボタ山がある。R写真も遠賀川の向こうにボタが見える。


             遠賀川(おんががわ)源流地の看板に案内が。
遠賀川の源流は嘉穂町の馬見山(978m)の山中にあり。ここから北に飯塚、直方、北九州など筑豊平野を通り響灘に流れこんでいる。長さ:約61キロ、etcとある。


 国道211号線を南下中、嘉麻峠の手前5、6キロぐらいのところに源流の案内看板があります。当日は結構ガスがかかってましたね。

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