松尾鉱山   2/2   


 
二枚とも他サイトからお借りしました。
・L写真は松尾鉱山操業時の貴重な一枚です。何本もの索道が設置されまるでスキー場のリフトのように硫黄や硫化鉄鉱などを満載したバケットがたくさん行き来している。製錬時の煙もけたたましいものだ。もちろん有毒ガスである。
・R写真は当時の中学校の運動会の様子。昨今では考えられないほどの数の子供達。時代は1945年(昭和20年)〜1955年(昭和30年)の鉱山最盛期に小、中学校が出来たというからその頃の写真だと思う。この頃鉱山には従業員数・4500名、全人口・13000名の人々が生活していたという。(写真のサイトより)


鉱毒水の中和処理施設。近代的なきれいな建物だ。鉱毒水も建物のようにきれいに処理して欲しいものだ。ここはかつて「雲上の楽園」と言われたアパート群(1ページ目参照)の辺りから1本道を道なりに進んできた突き当り。それほど距離はなかった。写真奥の山が坑口周辺だ。


上の中和処理施設の中にあった看板?。松尾鉱(毒)水処理場とあった。”毒”の字がないですね、やはり。鉱山のことを何も知らない人(ほとんどの人がそうだが)がこれを見たら・・・鉱水処理・・・、と書いてあるので案外、ミネラルウオーターの採水場か何かと思わないだろうか。建物もきれいだし。周辺を見ればなんとなく雰囲気が違うことが分かるが。考えすぎだろうか・・・。


沈殿池の堤防だ。つまり下の写真の右側の堤防を外から撮ったもの。堤防そのものは実にきれいなものだ。この辺り一帯は有名な八幡平の景勝地で緩やかな傾斜の丘陵地帯なのでその景色に堤防もマッチしている。ただ内側の汚染物質だけが余計だが。


沈殿池(貯泥ダム)の日陰沼だ。たぶん元はもっと沼らしい沼?だったと思う。こんなに「造られた人工池」のようなおもむきではなかったと思う。当然魚など生物も生息していたのだろう。それにしても左半分の赤茶けた硫化物の汚泥だと思うがひどいものだ。右側の水の部分の底にも溜まっているのだろう。周辺の景色は絶品だがこれを見ると”なんと・・・!!”とため息がでる。


2枚とも処理施設の奥の方だ。方位は西から南方向にグルっと施設を囲むようにある。この段々畑のようなものがかつての採掘跡だ。ここでは重機での露天掘りだったようだ。その為後には硫黄という性格上、自然発火があったり雨が降ると坑内に水が入り強酸性の鉱毒水が増水したりと大変だったようだ。そのためか露天掘りをやめてからも採掘跡の植樹など自然回帰などにも尽力している。私達が行ったときもトラックで斜面を登り何かの作業をしていた。しかし全体としては結構キレイに見えていたが復帰作業はまだ続いているのだろうか?現在がどの程度までの段階なのか私達には素人故に分からない。



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