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     鹿児島県串木野市    串木野金山   (1/1)  Photo : 2010.04    
菱刈金山に行こうと計画を立てた時から鹿児島周辺のいくつかの金山には行くつもりであった。そのうちのひとつがここ串木野金山。採掘金属はもちろん金(au)。ケータイのauじゃないよ。(笑)
1650年前後に同県北部の山ケ野金山や永野金山が発見されその後まもなく串木野金山も発見された。ここはその後島津藩の主要な台所となり藩の財政を重く担ってきた。江戸時代から明治・大正にいたるまでの間何度か幕府からの中止命令や鉱床枯渇、精錬技術の未熟さ故の産金量の減少などで休山を余儀なくされた経緯もあったが明治に入り20世紀初頭に三井金属鉱業(神岡鉱山<岐阜>)が周辺の大小の金鉱山を買収し1964年、三井串木野鉱山として独立した。1988年にゴールドパーク串木野(操業中の金山を見学出来たらしいが惜しいことをした)として観光化にも注力したが2003年閉鎖。2005年地元酒造メーカー、濱田酒造が跡地全部を借り上げ金山蔵としてオープン現在に至る。
JR串木野駅近くの三井串木野鉱山の工場では現在、他と同様にいわゆる「都市鉱山」と言われるケータイ電話やその他貴金属類のリサイクル・輸入鉱石の精錬もしていると言う。


L・M写真:熊本方面から来てJR「串木野駅」のちょっと手前、R3”金山下”交差点から北へちょっと上がるとかつての「ゴールドパ
       ーク串木野」がある。今は濱田酒造さんの薩摩焼酎金山蔵観光施設になっている。

R写真:
展示されている金鉱石。


いつものトロッコ。通洞坑口に向かって発車。ゴトゴト、ゴトゴト・・・・・  


L写真:終点到着。床はさすが三井だ、無粋なコンクリートではない。ここは一時期金鉱石を採掘していた三井が採掘をやめその後数年間観光坑道を経営していた。その頃の名残だと思うが。坑道も立派。
R写真:
坑道が地下400mぐらいまで続いている。


L写真:濱田酒造さんのオ・サ・ケ。定温度定湿度なので地下坑道は最適。
写真:よくある金の観音様。
R写真:
確かに海水には金や銀など金属元素に限らずほとんど全部の元素が溶けて含まれているんですね。ただ極端に微量なの
     で抽出しても採算が取れないからやらない。逆に将来技術が進歩して採算性に合うようになったら世界中でやるでしょう。
     ただしそうなると今度は海の基本的な環境が変化し現在バランスがとれている状態がアンバランスになり例えば海水成分
     が変わって魚介類に変化をきたすことにもなりかねない。ひいては人にも影響が出る。いくら無尽蔵の海水と言ってもただ
     多いというだけで無限ではない。


L写真:坑道内のいつもの光景。パンタグラフと言うことはバッテリートロッコではなく電気機関車ということらしい。
R写真:坑内のビン(漏斗)。これはここから落とすんではなく上から落としてきた鉱石を抗車に積むところだろう。


傾斜35度の斜抗。大倉山ジャンプ台は知らないが35度と言う角度の急度合は分かります。巻上機の仕組みは分かりますよね。ミソはBの「人車(人や物資の移動用)」と鉱石と書いている「鉱車(鉱石運搬用)」とが一本のワイヤーで繋がっていること。ロープウエーやケーブルカーと同じ仕組み。こうすると効率がいいのと巻上機の負荷が小さくなる。難は構造が複雑になること。


金山蔵からR3に戻り一旦熊本方向に戻ってちょっと行くと芹ケ野郵便局(この付近にも別の金山があった)がありその手前を左に入る(林道荒川金山線)。北西方向だがそこを行くと金山蔵で乗ったトロッコの終点辺りに着く。つまり写真の坑口はトロッコ終点付近の反対側になるんだと思う。こんな坑口がいくつかある。


L写真:煉瓦積みの古い坑口のようだ。
R写真:
比較的新し目の坑道内部。きちんと管理されているようだ。荒れていない。枠組みを見ると尾小屋鉱山を思い出す。


L写真:そのまま裏山の道を行くとぐるっと廻ってここに来る。広大な土地を占有しているようだ。さすが三井財閥。
R写真:分かりやすいバス停。そのものずばり。道路は県道313号線。


L写真:いちき串木野市内の五反田川のほとりから現在の三井串木野鉱山を見る。
R写真:
確か金山蔵にあったここの模型だったような気がするが。
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