玖珂鉱山(美川ムーバレー) 撮影:2008.06(1/1)      
            く  が                            山口県岩国市美川町根笠     

 地層のことはあまり詳しくはないですがなんか坑道内いたるところ断層だらけだったのですごいな〜!と思い下の写真のものが特に規模の大きい断層だったので特別にページのTOPにUPしました。


 この約1.5mという断層幅が大規模なのか小規模なのか私にはちょっと不明ですが何か地球の悠久の息吹を感じます。  
                                
 玖珂鉱山の発見はおよそ400年前、織田信長や武田信玄等が活躍していた戦国時代になる。最初に16世紀終わり頃に銀が発見されその後まもなくスズも発見される。そしてそれから経つこと約250年、1850年頃(幕末頃)には銅も発見される。玖珂鉱山を特に有名にしたタングステン鉱の発見は明治に入ってからである。ヨーロッパではスエーデンとスペインの科学者が18世紀後半にタングステンを発見したが日本ではタングステンという金属をそれまでは知らなかったのではないだろうか。ちなみにタングステンという名前はスエーデン語で「重たい石」の意味。元素記号の「W」はタングステンと言う名前からは想像できないがこれは同時期、スペイン人科学者がタングステンを発見した元の鉱石、鉄マンガン重石の英名”Wolframite”の頭文字からとったもの。 
UP


 国道187号線を錦川に沿って北進、錦川鉄道「根笠」駅(M写真の正面の建物がそれ)のところで川を越え即、右折。ここで正面に”地底王国・美川ムーバレー”の看板(写真)が見える。ここからは県道5号線を走る。目的地まではココから約4〜5キロ。


 駐車場から見た鉱山入り口。カップルの左上あたりが玖珂鉱山(美川ムーバレー)の入り口だ。 近づいたところ。


 坑道出口から後ろを振り帰ったところ。合成だが真ん中を根笠川が流れている。正面が現在のレストラン。その左が現駐車場。


天正年間(1573〜1591)、銀を発見。
慶長年間(1596〜1614)、スズを発見。
嘉永年間(1847〜1853)、銅を発見、採掘
その後タングステンも発見され玖珂鉱山としての名を成す。
 今はこれを目当てにやってくる家族ずれやカップルが多い。


 玖珂鉱山操業時を彷彿とさせる数少ない遺構の一部。選鉱所の最下段、根笠川のすぐ際である。石垣とコンクリートが混在している。想像だが明治か江戸時代の石垣の上から近代に入ってコンクリートで補強しているのではないだろうか。いずれにしろ時代を感じさせるものだ。


 観光坑道より西側。一応入れないようにバリケードをしている。”発掘調査中”とあるが遺跡じゃないから「新たな謎を発掘しています」と小さくあるようにおそらく何かアトラクションめいたことを考えているのでしょう。村おこし、町おこし、鉱山おこしといったものは都会で暮らしている私達には分かりにくいがさぞかし大変なものがあるのでしょうね。ただ山の上の方に行くとまだまだ鉱山時代の遺構が残っていると思うが登る道が分からない。これより西側に行くと「大水車でかまるくん」(最下段の写真参照)とかいう水車があるがそっちのほうにおそらくだが旧鉱山住宅の基礎の石垣みたいなものが残っている。


 ・L写真:旧選鉱所を下から見上げたところ(部分)。
 ・R写真:砂金採りのコーナーにいた係員のおじさんに見せてもらった当時の資料から許可を得て撮ったものです。テーブル選鉱の様子のようだ。ウィルフレーテーブルがたくさん並んでいる。


 玖珂鉱山の入り口だ。もちろん有料です。料金は1200円。”玖珂鉱山”の料金ではなく”美川ムーバレー”としての料金でしょうね。カップルやフャミリーにはいいでしょう。  入ってすぐにこんな感じです。多少PCで加工してます。


 観光坑道内にこんなシアターが。何をするのかよく分からない。あんまり興味がないので止まって見ることもしなかった。


 真ん中ぐらいだろうか岩のいたるところに断層の跡が克明に残っている。この写真ではちょっと分かりにくいが先頭の写真とこの後の写真ではよく分かると思う。この写真では岩の色の違いがはっきりと出ている。


 上下左右いたるところにこんな横穴や竪穴が残っている。


石筍のようである。  金庫?の扉・・・。まさかね〜。  ムーバレーの何かの置物らしいです。エイリアンの爪かと思った。


 しつこいようですが断層の写真です。分かりやすいようにカラーシールでチェック入れました。R写真で説明すると大昔は赤いシールの箇所同士と黄色いシールの箇所同士が1本に繋がっていたようである。現在は上部地層の赤い部分が下部地層の黄色い部分までずれている。その距離約1.5mぐらい。一回でここまでずれたのか複数回でなったのかまではよく分からないしどちらの地層がづれたのか、あるいは両方なのかもよく分からない。


 狭い範囲で上部地層・中間地層・下部地層と三つに分かれてそれぞれがずれている。こういうのは珍しくはないのだろうか。


 ・L写真:廃坑に取り残されたレールとB/L
 ・R写真:写真を撮っていると急にパタパタッと羽ばたく音が・・・。コウモリでした。宙に白く舞っているものがそれ。一瞬ビックリしました!


 左右とも相当PC加工してますがL写真は地底池。下は完全にプール状態。R写真も同様だが真ん中のは竜頭(鉱柱)。その左のウズはよく分からない。


 この写真はなんだかよく分からないまま撮ったもの。多分、褶曲の様子だと思うのだが。


こういう地底探検用の仕掛けがあちこちにあった。私には全然興味が無いのでこういったものは全部素通りだ。ちょっともったいなかったかな。


 観光坑道終点だ。出口の外から撮ったもの。相変わらずほとんど客はいない。どこも同じである。


 ・L写真:坑道出口からちょっと外をのぞくとこんなかつての採掘坑道らしきものが見えた。坑内ではどこかで繋がっているのだろうが。これは養生シートの上から撮ったもの。近づけない。
 ・R写真:案内にあった玖珂鉱山の鳥瞰図。(写真上が西方向)左下の”ふれあい広場”が駐車場。入り口は赤く”地底王国チケット売り場・入口”とある部分。


坑道出口付近にあった鉱石。庭石ぐらいの大きさだ。かなり錆びているのを見ると鉄鉱石のようだが。錆びも鉄特有の赤錆のように思うが。どなたか詳しい方教えてください。


現在の選鉱所跡をほぼ正面から見る。


 坑道出口から対岸側を見たところ。どうやらズリ場のようである。左側のスキーのゲレンデのような場所はおそらくそうだと思う。


 かつての鉱山事務所。今はレストラン、売店、若干の鉱物展示場などなど。


UP→
 上6枚の写真は全部レストラン内の鉱物展示場にあった当鉱山から採掘されたタングステン鉱(灰重石)と黄銅鉱。


 これが上で書いた推測だが旧鉱山時代の鉱山住宅の基礎ではなかろうか?下の大水車のすぐ近くである。いつの時代の物か、あるいは鉱山住宅の遺構でなければ一体何なのか?分からないことが多い。ただ見た感じでは破壊はされていないようである。保存したいが予算が・・・という感じか。


 これが大水車「でかまるくん」。確かに大きい。直径12mあるらしい。写真上にちょこっと見えるものが導水部。

      1/1     HOME    :*****    
>おしまい<