鴻之舞鉱山     2/2  
 



 慰霊碑の近くに索道跡の遺構か鴻紋軌道の遺構かはたまた鉱石運搬トロッコ用軌道の橋脚かよく分からないものがあった。webで調べてもいろんなことが書かれている。鴻紋軌道の橋脚にしてはちょっとやわ過ぎるように思うしまた索道用にしては高さも低いし妙だしなんとなくトロッコ用のように思うのだが・・・。しかしあまり自信はない。


 上の写真のUPだ。上部にH鋼かチャンネルのような物が土台のコンクリートに残っている。何かの取り付用のボルトの穴も確認できる。


 道の両サイドにあった”住吉町跡”と”栄町跡”の標識。昔の写真を見ると今の光景からはとても想像できないほど町に活気もあり賑やかだ。道の両サイドには山の斜面に向かって鉱山住宅もたくさんあり鉱山関係の事務所や施設、精錬所やその煙突、売店、小中学校、酒屋、病院、娯楽施設などなど、それらにくっつくように電力用の電柱や送電線などが走っておりまさに13000人もの人々が暮らしていた一大鉱山町が北海道の北辺の山の中に出現していたのだ。住友さんは愛媛の別子銅山といい山の中に一大鉱山町を作るのが得意なのかもしれない。


 現在の管理事務所である。


 これがかつての鴻紋軌道の高架線路だ。南側から見ている。往年はこの当たり一帯も今は完全に山の中になっているが鉱山関係の各種施設が所狭しとあったことだろう。精練所や選鉱所からの煙やほこりなどが町や山一帯に漂っていたことだろう。よくもこんなに環境復帰したものだ。


 左のちょっと道路から一段高い部分はおそらく沈殿池だと思う。こういう箇所が随所にあった。入れないので確認はとれていないが。


 もうちょっと北上すると左手に”うん、あれは何かな??”と思う物が。ビンゴ!ありましたよ。坑口です、。どうやら五号坑口のようです。五号坑はここ鴻ノ舞鉱山でも比較的後の方に開発された鉱床ですが結構有望な鉱床だった。戦時中一時、金は銅や鉄などに比べてあまり必要でなかったので鉱山も休山していたが戦後再開されてからは主に(倶知安内)五号鉱床や元山鉱床他いくつかの鉱床が採掘のターゲットにされた。そして中でもここ五号鉱床が一番有望であったらしい。


 塞がれた坑口にはこんな注意書きと銘板が。酸素濃度は18%以上ですか・・・。


 五号鉱床坑口の近くにかつての鴻紋軌道の橋脚が残っていた。何処もそうだがコンクリの構造物だけは何年たっても朽ちずに遺構としての存在感を示している。解体するのに金がかかりすぎるのか?


 倶知安五号鉱床から北へ紋別方向へ行くとこのような道路から少し地上げされたような箇所がある。止まっては見なかったが先ほどのように沈殿池の跡かあるいは鉱山施設の建っていた跡地ではなかろうか。鉱山規模が大きいだけにこのような跡地が随所にあった。ちなみに車は皆目走らない。昼でこんな具合だと夜、こんな道で車の故障でもしたらさぞかし・・・・・ウッ、ゥッ・・・ (;_;)


 おそらく貯鉱場なんでしょうね。写っている小山は何でしょうか?チェーンが張ってあるので入れません。あるいは閉山したとは言っても金以外のものをまだ何か採掘しているのでしょうか?


 これも紋別方向に走っていると左側にあった何かの遺構?ですね。煉瓦つくりの円形の直径約2mぐらい、高さ約3mぐらいの牧場のサイロを小さくしたようなものでした。


 さあ、これで鴻之舞鉱山も終わりです。写真左側の畑は確かとうもろこし畑だったと思いますが収穫にはまだもう少し時間がかかりそうでした。





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>おしまい<