河守鉱山(京都府加佐郡大江町仏性寺)  1/1    
                  こうもり こうざん                  撮影 : 2006年12月
                                               更新 : 2008年11月



  河守鉱山は銅の採掘鉱山で1917年(大正6年)に地元の藤原吉蔵氏が発電用ダム建設途中に露頭を発見した。同年”大江山鉱山”(大江ニッケル鉱山とは別)と称して銅鉱石の採掘に着手。その後1928年(昭和3年)に経営権が”日本鉱業”に移ってからは積極的に近代化を取り入れた。そして以外にも太平洋戦争中より戦後の方がより栄えたらしい。戦後の経済復興に寄与したと言うことか。私は知らなかったがここには竪坑もあり採掘を積極的に進めた結果、1955年(昭和30年)には竪坑の深度は500m、坑道総延長は70km、従業員220名、鉱山人口1000名を越える京都府下最大の鉱山だったらしい。(日本鉱業河守鉱業所採鉱概要による)
 当鉱山の主な採掘鉱石は黄銅鉱、硫化鉄鉱、クローム鉱などであった。ここでは選鉱までで製錬作業はしていない。精錬は大分県の日本鉱業経営”佐賀関製錬所”まで輸送していた。しかし一時は多忙を極めていた採掘も時代の波には勝てず1973年(昭和48年)ついに鉱山は閉山となる。ちなみに戦時中、軍事需要として必要不可欠だったモリブデン(輝水鉛鉱)もこの近くの小さな鉱山から採掘していた。



                               


 福知山からR175を北上。北近畿タンゴ鉄道と分岐するあたりでR175と別れて左の道へ。県道をひたすらまた北へ。佛性寺の先、「二瀬川」で左折。そのまままっすぐ来ると写真のところまで来る。正面の建物はかつての映画館。  映画館を反対側から見たところ。名前を”河守会館”と言いキャパは500人程度だったらしい。失礼だがこんな地域で500人の劇場とは鉱山最盛期は相当なものだったのか。今の姿から想像するとちょっと考えられない。


 そのまま前進すると右手に川がありその向こうにズリ場があります。この様子から見ると操業当時は川に直接ズリを捨てていたみたいである。  ズリ場を上から見たところ。ハンマー片手に根気よくさがせば何か見つかるかも?次回はやってみようか・・・。


 ここは鉱山関係施設と採掘労働者と家族たちの生活の場があった場所。スーパーや八百屋や娯楽施設、散発、病院、銭湯などがあった。今はごらんのとうり昔を彷彿とさせるものは階段だけ。その上はキャンプ場だ。


 ここはある程度まで選鉱した泥状の鉱石を乾燥させてトラックで製錬所まで運ぶいわば「乾燥場」である。今はもちろんごらんのように施設の基礎部分しか残っていない。冬でこれだから夏だともう基礎も見えないかもしれない。こういう廃鉱山に来るのは冬に限る。だが雪で立ち往生することも・・・。


 やはり昔の建築物は今の物とは全然違いますね。この頑丈さ。見てるとどうやら鉄筋はあまり入ってないみたいです。他鉱山でもそのようです。よく分かりませんがその分砂利の変わりに採掘時のズリを入れていたのか。捨てるものを再利用だったらまさにリサイクルですね。


床に穴があいてますね。年月でしょうか。  上からみたところです。駐車場はかなり広いです。白線も引いてるので観光バスでも来るんでしょうか。枠も広いです。この駐車場の向こう側がズリ捨て場です。上にもあります。


 ここもズリ場です。石炭で云うところの”ボタ山”です。今はこんな風に草や植物が生えていますがちょっと掘ったらズリの姿が見えるはずです。(やっていませんが)


 見つけました。ついに! 何気なく走っていると見落とすぐらいの場所です。下から来ると左側です。私は”坑道跡は広い駐車場の入り口のすぐ左側でゆっくり走ったら分かる”と聞いていたものでそのとうりにしました。これは「河守本坑」と呼ばれるもので竪坑に繋がっていたものです。


 中は水たまりでよくわかりませんが御多聞にもれずコンクリートでふさがれています。ただ道路が坑口の半分ぐらいの高さのところを通ってます?


 さきほどの坑口の際にあった看板。たしかにここは河守です。下の川がこの橋のかかっている川です。結構きれいな水でしたが飲めないでしょうか?見ただけでは????ですね。  私は冶金学の知識は皆目ですがこの岩は大変青いものでした。ひょっとして何かの露頭?? ではナイデスネ・・・。(笑い)


農水省の保安林看板。ここに住所が。
「加佐郡大江町字仏性寺小字トナソヤマ193-2 ほか」とあります。トナソヤマ・・・?


 上の看板の場所です。これ以上行けません。この向こうにはなにが・・・。  右を向くとなんと”広〜〜〜い”グラウンドが。サッカー用のゴールがありましたが遠目にもまっさら。こんなところでサッカーする人いる?またまた役所の”ハコモノ行政”か。あるいは鉱山時代の堆積場か。ならばこの下には汚染物質が・・・。おおコワ〜。


 ここは乾燥場から上に上がった坂道の途中です。多分、上から下にある乾燥場へ鉱石を流すためのパイプかベルトコンベアー用の基礎ではないでしょうか。


 ここはたぶん選鉱所でしょう。劇場とズリ場の間あたりでしょうか。ここもうっかりすると見落とします。木陰の間から望遠で撮りました。近くまで行けるんでしょうか?あいだに川があります。


河守鉱山 波?見人 藤原吉蔵乃碑’である。右の写真は裏側。



ついでに
 ”ついでに”と云っては何ですが大江山のこのあたりは昔から”鬼”で有名なので鬼の博物館でも見ようかな〜とばかりに奥まで来ました。が、そんなものは無しです。無かったです。あったのは写真のものだけです。de、まっ、いいかとばかりにパチパチ撮りました。でも何でここが鬼で有名なのか、恥ずかしながらよくしりません。ここは奥へ奥へと行ってほぼ突き当たりですね。すぐにわかります。






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