木浦鉱山   1/1      
           大分県佐伯市宇目木浦鉱山      Photo : 2008.04





 木浦鉱山の発見は一般的には西暦600年代と言われている。今から約1400年前である。まさに気の遠くなるような時間の経過である。奈良時代の大仏建立にスズや鉛を送ったというからそれなりに信憑性はあるのだろう。木浦というネーミングは発見者が朝鮮半島の”木浦(ハングル読みでモッポ。韓国南西部の地方都市)”の地を経由してきた中国人や朝鮮人の鉱山技術者だったからという説があるが詳しくは不明。西日本、特に九州や中国地方などは地理的関係でそうかも知れないと思わせるものがある。
 木浦鉱山は一鉱山の名前ではなくこの辺り一帯に長年に渡り大小たくさんの鉱山があった。それらを総称して木浦鉱山と言う。本格的に開発されたのは1600年頃、江戸時代に入ってからと言う。岡藩の所領でスズ、銅、鉛、亜鉛、以外に金、銀などが見つかってからはほとんど”隠し金山”風に周辺の村々とは”隔離”状態にしたと言う。今も昔も金のチカラは恐ろしいものだ。明治に入ってからは主にスズ、銅、そして鉄、硫砒鉄鉱からヒ素などを抽出するようになった。経営は鉱山エリアの規模が大きかった割には大企業が入った形跡はなさそうである。閉山は1962年(S37年)頃というからすでに50年近く経っていることになる。現在は一般的な金属鉱物の採掘はすべて閉山で唯一写真のようにエメリー鉱のみを掘っている。かつての坑口やその名残などを見たい人は保存整備はされていないので重武装でかからないと危険だ。梅路のご主人によると周辺の山の中、中腹から上の方に相当の数あるという。ちなみにエメリーの名前は世界的大産地ギリシャの産地名から取ったという。  





千人間歩


 これが木浦鉱山の千人間歩です。左は入り口、右は坑道の中。柵も何もないですね。いたずらで外された形跡もなし。”立入禁止”の標識もなしでした。内部は奥は知りませんが結構広かったですね。まだ整備中のような感じも。奥まで一人ではいる勇気はちょっと・・・。足元もゴム長でもないと水、水、水、・・・・・でも壁面を見ると石には不得意ですがなんかありそうな感じが・・・。有望鉱脈でも・・・・。



 アニメ「となりのトトロ」を彷彿とさせる交差点名。ここは”ととろ(轟)”と言う地区です。当然地区名が先にありきでしょうがアニメの人気にあやかってこんな風にしたのでしょうね。  


 トトロのねこバスのバス停らしいです。バス停そのものは大分交通の本当の定期バス用のバス停ですよ。トトロにちなんでこんな風に飾っているらしいです。中には本当にねこバスが来ると思い待っている子供連れの観光客もいたとか・・・。アニメがHIT中はそれはものすごい人と車でこの辺り一帯、マヒ状態だったとか。地元のおばさんに聞くと何でも駐車場がなくて田んぼや畑を臨時のPにして一儲けした人もいたとか。さっすが〜。まあしかしメルヘンですね。  


 バス停の中にこんなものが。ただしここへは行っていません。  


 ・L写真:本当に”木浦鉱山郵便局”と言う郵便局がありました。
 ・R写真:その近所にあった「女郎の墓」と「千人間府(歩)」の案内看板。オサルの標識はエメリー鉱への案内板(すぐ下の写真)  


 エメリー鉱を採掘している会社。なんでも日本ではここだけしか摂れないとか。看板にも”日本で唯一の木浦エメリー”と書いてある。エメリー鉱石とはよくは知らないが何でも研磨剤や舗装道路のすべり止め剤に使用とか。モース硬度が非常に硬いらしい。  


 木浦集落から山道を大切峠に向けて走り木浦エメリーを越えてちょっと行くと写真の二股にあたる。千人間歩や女郎墓方面には左方向に行くが私はちょっとヘソ曲がりで直進、上り坂に行く。ところがまたまた坂で車が登らず。なんでもない坂なんだがな〜・・・。そこからは歩きで行くことに。  


 上り坂の途中、右手にこんな坑口が。坑口名は不明。鉄格子の柵がありもちろん中には入れないが相当に古い坑口のようだ。タヌキ掘り時代のものかとも思ったがその割には内部は広いようである。奥まで広いかどうかは分からないが。R写真は網の間からUPで撮ったもの。枠組みなのか坑木が残っていた。  


 坂の突き当たりにこんな光景が。民宿”梅路”のお父さんの言によるとその昔、ここで製錬をしていたとのこと。特にL写真の沢には今でもからみが見つかるらしい。藪の中をよく見ると当時の製錬で使っていたらしき坩堝の破片などもたまに発見されることもあるという。そのせいか実際に歩いてみると”?”と思うような破片らしきものもあるにはあった。  


上の写真のチョット手前に駐車スペースがありそこに小さな祠があってなんとでかい石を奉っていた。金鉱石だろうか。「金山開神宮」とある。  


 上の方の写真の二股の道を左に大切峠方向に行くとここに着く。ここが千人間歩(間歩の歩は”歩”になったり”府”になったりいったいどっちが正解なのか?一般的には”間歩”を使うが”間府”は何か理由があるのだろうか?ここでもR写真のように”千人間歩”とあるが下の写真のように坑道の案内板には”千人間府”とある。よく分からない。)
 間歩まではこの広場から徒歩約5分。それにしてもR写真の案内は分かりにくい。一瞬迷う!  


 千人間府はこの階段を登ってすぐだ。  


何とか読めるでしょう。


上段写真とダブっているがこんな感じだ。奥に入った人によると途中で鉄格子で塞がれているらしい。  





これより
木浦鉱山 女郎墓


・L写真:千人間歩から大切峠方向へ。女郎の墓にいく途中。所々に案内板が。
・R写真:女郎の墓エリアの入り口。  


 標識どうり来るとご覧のように雑木林に覆われたなんとなく小山の頂上っぽい場所に来た。ここがその昔、木浦鉱山の往時にいろんな意味で犠牲になった女性達の墓地である。詳しくは下に書いてあるとうり。案外今でも土を掘ったら骨が出るのでは・・・・。  


 墓地の真ん中にある”女郎の墓”の説明板。以下に全文を記します。
 
木浦女郎の墓 
 バスの終点木浦鉱山から車で木浦〜藤河内線を三キロあまり、時間にして15分ほどで標高750mの大切峠につきこの峠から1キロほど下ったところの雑木林の中に石塚が20基ばかり散見される。これが女郎の墓である。墓は川石のひとつを真ん中に立て1m四方を同じような川石で囲んだ集積墓である。現在確認されているのは17基である。
 木浦山は鉱山の発達に伴い木浦内村より新しく成立した鉱山町である。ここは江戸時代中期には木浦町と呼ばれ金具町、横町、梅木町、万屋町、鉛座町、仲町、上町、竹田町、長戸町、生木谷、下町、森下の12に区分されている。
 人口が最も多い元禄12年(1699年)には木浦、尾平(緒方町)の両山で568人であった。木浦、尾平とも同じぐらいの規模であったので木浦山は300人たらずであったと思われる。また山師数は江戸時代を通じて35人前後とありこれから推測すると小規模経営で家族労働を主体としたものであったことが分かる。
 しかし良鉱が発見されたとき、あるいは茸とりのじきには周辺の村々からの出稼ぎもあったとおもわれるのでこうした人の集まるときには赤提灯や木賃宿が繁盛したであろうと思われる。こうした人の集まるところに「女郎」と呼ばれる人達がいたであろう。
 これらの人々は小規模鉱山ゆえに生活は苦しく一般的にTVや映画で見る女郎とはイメージが全く違いきわめて貧しい人達であった。したがって死去したときは葬式や埋葬など論外でこのような雑木林の中に打ち捨てられるか廃坑にすてられ埋められるかであった。
 このように埋葬したところに申し訳程度に川石で簡単に墓碑らしきものを作っているものが多く人間の末路としては極めて悲哀を感じるものがある。                      宇目町教育委員会  


 墓地全体がこんな感じである。説明板がなければ置いてある石やその形、花台などを見てかろうじて”昔の墓地かな?”と思う程度だ。もしそれらがなければ誰も墓地とは気づかないだろう。そんなどちらかと言えば殺風景な光景だ。ここから何体分の遺骨が出土したのかはよく分からないがこうやって見る限りいくつかの(墓)石にはどなたか分からないが花やジュースなどが添えられている。どなたかの意識下にはあるんだな〜、と少しはホッとするものがある。上にもあるように「〜したがって死去したときは葬式や埋葬など論外でこのような雑木林の中に打ち捨てられるか廃坑にすてられ埋められるかであった。〜云々」とあるがまさに発見された後も花の一輪でもないとあまりにも悲哀すぎるというものであろう。 



これより
木浦鉱山来訪者おすすめの宿、
梅 路


 ・L写真:県道6号線沿いにある民宿”梅路”。ご夫婦で運営されている。
 ・R写真:梅路のご夫婦がお二人で作り運営されている鉱物博物館”旭峰”の看板。すぐ目の前だ。  


 宿の部屋にあった額入りの各種資料(と云ってもいいと思います)。
・L写真:2003年9月9日、木浦鉱山長門町での発掘調査で錫製錬時の木炭が発見される。
・M写真:ここもまた奈良の大仏さんに錫と鉛を送った供給地だった。  
・R写真:木浦鉱山最後の探鉱師、佐々木康晶氏(1914〜)。2003年12月木浦から見立方面に調査に入った時の写真。   


 ・L写真:昔の山師小屋はこんな風だったらしい。
 ・M写真:製錬実験のため細かく鉱石を砕く石臼。その前の工程で20〜30時間鉱石を焼いてもろくする。
 ・R写真:奥の方の敷地。結構広い。  


 鉱山里展示館「旭峰」の入り口。中は鉱物博物館だ。個人でここまでされたとは立派なものである。なんでも奥さんによると重機で来る日も来る日も遅くまで工事をしていたとのこと。ご主人も若い頃は木浦鉱山で働いていたとのこと。  


 木浦で採れたスズ鉱石があるというので見せていただきました。 


 これが異極鉱だ。多少PCで加工している。オリジナルはもっと色が地味だった。日本では他に神岡鉱山などでも産出。それほど珍しい鉱物ではない。世界的には結構産出されている。亜鉛鉱床の酸化帯から産出する二次鉱物。国内ではやはり木浦鉱山ワンドウ坑から産出されるものが有名。  


 これがエメリー鉱だ。非常に硬くモース硬度はタングステン並みだ。ただ採掘量が極端に少ない。産地も国内では木浦だけという(産地の件はあまり調べていないのであるいは他にもあるかも・・・)。  





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