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   青森県上北郡七戸町(旧天間林村)    上北(かみきた)鉱山      Photo:20128  (1/1)  
主な採掘金属 :銅、鉄(硫化鉄鉱) 
主な鉱業権者  :日本鉱業(株)

 古くから地元住民には知られていたが1935年(S10)、硫化鉄鉱の鉱床が発見され一躍脚光を浴びる。しばらくは小規模に採掘されていたが1940年(S15、太平洋戦争開戦前年)、日本鉱業が鉱業権を取得し上北鉱山として本格的に硫化鉄鉱の採掘を開始する。翌’41年(戦争始まる)には銅鉱床も発見され時は戦争まっしぐらの時代故軍需用に大増産される。戦後は経済復興もあり銅、鉄ともに盛んに出鉱量が増大。’55年には選鉱場も完成し毎月2万トンもの鉱石処理を実施。その後しばらくは順風満帆に操業が続いたが’60年代中頃から鉱量が枯渇しだし操業も縮小。一時は”神風鉱山”とまで言われた上北鉱山も1973年、遂に閉山となる。現在は下の写真の通りいつ終わるとも知れない坑内水処理のみが行われている。


左:八甲田山北麓の県道40号線を西進、実にすばらしい景色を満喫しながら走ること小一時間、R394を跨いで絶景の中をかつての
   日本陸軍歩兵部隊の雪中行軍記念碑に向けて走り途中、八甲田温泉の看板を見て右折。
右:右折した道が県道242号線(写真の道路)。写真では実にきれいな道だがこれはほんのわずかだけ。山道に入るとすぐにラフロ
   ードに。FF車には苦手だがしようがない。鉱山があったエリアだけに道幅はそれなりにあるのだが閉山して久しいのであまり車は
   通っていない。8月のとある日の夕方だったが往復約30キロぐらいの間すれ違った車は小型トラック1台だけ。

左:  山肌はこんな感じ。鉄分が多いのだろうか。
中・右:青森市と七戸町の境界付近からしばらく行くと九十九折の道路がありその付近にはこんなかつての鉱山用地らしきエリアが所々
     に認められる。

ついに本丸に到着。上北鉱山選鉱場である。今は殆ど緑に覆われているが操業時代はこの後ろ方向にずっと同様の構造物が連なっていた。今の姿は閉山後の火事で焼け残った姿である。きれいな建屋と重機が2〜3台常駐しているようだ。

現在の排水処理場のほぼ全景。操業中はこの辺り周辺に小学校、郵便局、(物品)供給所、鉱山住宅などが所狭しと並んでいたようだ。もう少し北側には診療所もあった。なにしろ一番にぎやかな頃には従業員約1000名、その家族も入れると約3000名近くの人々が八甲田山の北麓の一角で生活していた。八甲田山といえば明治時代、陸軍の雪中行軍で大遭難事故を起こしたことが思い出される。その近くである。  

左:沈殿槽のようだが小さいので鉱山操業時代のものではないだろう。現在の坑内水浄化のためのものだと思うが。操業時代はこの辺
   に鉱山事務所があったように思うが・・・。
中:水処理施設の一角。脇の道を登ると選鉱場方向に行けそうだったがここで戻ることに
右:北方向を望む。道なりに行くとみちのく有料道路に合流する。合流手前の地下には東西に東北新幹線の長〜いトンネルが通ってい
   る。写真の下り坂を500mぐらいいくと川が分岐しているがその辺りに中学校、鉱山住宅、変電所などがあった。

元来た道を戻ることに。道路の脇には延々と送水管が設置されている。恐らく坑内水の一部か全部を山中の沈殿池に送っているのだろう。いつも思うことだが廃鉱山の宿命ともいえる坑内水浄化事業はいつまで続くのだろうか。半永久続くのだろうか・・・山に雨が降り雪が積もりそれらがとけて幾十年、幾百年の間じわ〜っと山肌に染み込み地下水となり鍾乳洞になったり伏流水になったり飲料水になったりするがまた一部は当然のごとく金属鉱山の坑道にも流れ込む。そういった地下水が鉛やカドミウムなど重金属元素を含んだ鉱脈にも接触し溶出、結果汚染水として処理しないといけないことになる。鉱山操業中、これら汚染水や選鉱場や製錬場からの同種の汚染水で発生した公害問題はどれだけあったことか。神岡鉱山のカドミウムが原因のイタイイタイ病などはその典型的な例である。

左:帰り道、町村境界線の峠の辺りから南側を望む。撮影がへたくそなので景色のすばらしさがさっぱり・・・。送電線だけが目立つ。
   写真の上部が八甲田山(右の写真)になる。
右:これが八甲田山だ。北側から撮影。この日はずっと雲に覆われていて山頂は見れなかった。

      (1/1)     HOME    >完<