イトムカ水銀鉱山     1/1   
              北海道北見市富士見          Photo : 2008.09





 アイヌ語で”光輝く水”という意味の名前をつけたイトムカ水銀鉱山は野村興産が発行している企業パンフレットによると1936年(S11)、大雪山入山者により水銀の大鉱床を発見、とある。下写真の碑文には”当地を襲った暴風雨による復興作業中に偶然、山中で水銀鉱石、辰砂を見つけた”とあるがまあこの辺はあまり深く考えないことにする。足して二で割って考えるぐらいにしたほうがいいだろう。
 時は丁度中国侵攻真っ最中の頃で翌年には盧溝橋事件、南京虐殺事件など軍事一色の時代であった。そんな時代のニーズもあり他の金属同様水銀も特に艦船の船底塗料など軍需用に使用された(もちろん民需用にも使われている)。
 1938年に野村財閥が営業採掘を始めまもなく戦争に突入。戦時中はこの地域も相当の規模の鉱山町になり最盛期は約5000人規模の人口を有した。現在リサイクル工場のある地区は元来”イトムカ地区”と呼ばれ選鉱所や製錬所などが置かれ地図の右側、”大町区”に鉱山住宅や学校、病院、売店などがあった。
 そんな水銀鉱山も戦後しばらくは休業していたが1950年頃から再開。’70年頃まで採掘もしていたが海外からの安い鉱石が輸入されてきて遂に1973年閉山となる。開山〜閉山までの35年間に約三千数百トンの水銀を生産したという。現在はレアメタルのリサイクル工場になっており国内で水銀の地金を生産している(再生の意味だと思うが)唯一の工場とのことらしい。





                               


 旭川市内から国道39号線を東進。約20キロ程行くと鴻乃舞や北見方面の国道333号線と層雲峡やイトムカ方面の国道39号線とに分かれる。筆者は層雲峡やイトムカ方面にハンドルを向ける。観光地の層雲峡を抜け(ちなみにR39からは手前の山々が邪魔をして大雪山の旭岳はあまり見えないようだ)ひたすら直進。するとまもなく石北峠の標識が。標高1050m。以外というか結構高いんですね。


 そば、うどん、ラーメン、さっき食べたばっかり。腹も減っていないので隣の銘石コーナーへ。ここで偶然見つけたゲルマニウム鉱石(本物だと思うが・・・)を買う。


 石北峠からちょっと下るとあったイトムカ橋。イトムカまで来たと言う証拠に。


 やってきました。イトムカ鉱山発祥の地に。網走方向に向いて左側です。  この右側に野村興産・イトムカ鉱業所のリサイクル工場がある。ちなみに野村興産は奈良県宇陀郡の旧大和水銀鉱山の経営母体と同じ企業である。


  これがよく見かけるイトムカ水銀鉱山発祥之地記念碑である。ここは道の駅ではないが大型車が仮眠などをとれる場所になっている。



 工場の入り口である。キレイ!
今、流行?のAEDが設置されていた。AEDって咄嗟のときにあわてていて使えるのだろうか?筆者はまだ現物を見たこともないしもちろん触ったこともない。
 字が小さくて読めないが右側の石碑は「恵泉中学校跡」左が「恵泉小学校跡」とある。ただし想像だが実際には近くのどこかにあった小・中学校を鉱山碑のあるここにその石碑だけを移したのだろう。学校は閉山時期に廃校になったことと思う。


事務所に一声かけて了解をいただき会社敷地内に入らせていただきました。
当日案内していただいた社員の方と野村興産にこの場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました。  


 気象条件によっては金属水銀がにじんで見える、とのこと。へ〜っ! 是非見たいものですね。どんなんだろう?


 工場敷地内に入ってビックリ!今はリサイクル工場になっているが驚くほど綺麗だ。L写真奥の赤屋根部分がかつての選鉱所。おそらく上部の横に白いガードレールみたいなものがあるがそこが坑口からのトロッコ軌道ではないのか?今は産業遺産として保存対象になっている。


                         産業史跡  
                                野村興産イトムカ鉱業所「選鉱所」
 「選鉱所」の概要
 完   成 昭和19年10月
 操業期間 昭和20年8月〜昭和45年7月
 構   造 木造トタン瓦葺屋根の長さ135.40m
 建屋面積 13階3960u(1200坪)

昭和14年4月に本鉱山の開発が着手され翌15年に社名が野村鉱業(株)となり以来イトムカ鉱業所は戦中戦後期の国内水銀生産の殆どを占めかつては処理能力、生産量に於いて東洋一の規模を誇ったのである。
 ここ大町地区は当時、社宅、寮などが立ち並び診療所のほか学校、郵便局、公民館など公共施設が整備され一大集落が形成されて繁栄を極めたのであるが時代の変革とともに昭和48年閉山によってその灯が消えるに至ったのである。
 ここに本町ならびにわが国の産業振興発展に寄与した業績をたたえるとともに現存する巨大木造建築物の「選鉱所」を産業史跡として保存し後世に伝えるものである。
                   昭和56年9月     留辺蕊町長  坂本悟郎




おまけのコ−ナー
北海道まで来たので鉱山だけをアップするのも味気ないと思い数枚だけですがこんな写真も載せました。
少しでも北海道らしさを味わっていただければ幸いですが。


北海道といえばシラカバ林。やっぱりこれですよね。
どこまでも続くまっすぐの道路。でもちょっと曲がってるね。見とうしもきかないし・・・(笑)。


 普通のなんでもないとうもろこし畑。正面の家には人が住んでいるのかどうか分からない。周辺一帯の雰囲気がどことなく開拓時代を思わせるような雰囲気だったので車を止めて撮ったものです。





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>おしまい<