愛媛県西条市市之川6678−1    市之川鉱山   撮影:2011.11 (1/1)   
市之川鉱山は  


L写真:国道11号線から加茂川を右に見ながらその堤防を南下し住宅が途切れたあたり松山自動車道を越えるちょっと手前に写真の親
     切な案内板が左に立っている。

写真:途中にはこんな看板も。わかりやすい。
R写真:
鉱山に行く途中の川沿いの絶壁のような壁に”何かな?”とふと見るとこれはどでか〜いスズメバチの巣では。コワ〜〜〜!?鉱山
     とは関係なし。


L写真:市之川地区公民館。当日は定休日だった。開館日は月・水・金らしい。もっとも中の鉱物その他を見たい人は電話してか
     らの方がいいと思う。(tel番号は下の写真参照)
写真:広場のフェンスには”アンチモンの里”と看板がある。
R写真:2011年夏の集中豪雨(紀伊半島での被害がひどかったやつ)でここも橋が流され堤防が崩れ斜面も崩落した。写真の
     現場は”アンチモンの里”のすぐ上流。恐らくアンチ〜の里も被害を受けたのだろう(L・M写真)。


L写真:写真のとおりです。
R写真:公民館の広場、市之川の川沿いにはこんなものも。  


L写真:  〓伊藤武平翁
     翁は文久三年二月大生院村市之川組頭喜平次の三男として生まれる。若い時兵庫県の鉱山で修行。後伊藤甚太郎の招
     きで市之川に帰り当時の所長、牧相信(帝大での工学士)の指導を受けて鉱山のことを学ぶ。牧所長が請われて別子銅
     山へ移ったとき(M39年別子の大改革を断行)誘われたが無学の故を以って断る。以後死ぬまで約30年間市之川鉱山
     の責任者として採鉱にあたる。大盛坑(だいせいこう)開発に功があった。翁は性温厚篤実多くの人に慕われた。昭和9年
     1月没。享年72歳。     平成2年7月 市之川地区公民館記
写真:伊藤武平翁の石碑。
R写真:公民館から坑口に向かう入り口にある案内。有志の方や教育委員会の方々にはいつも頭が下がる。こういう手書きの案
     内板でもないと本当に迷う。何度もそういった経験をしている。


L写真:案内板どおりに行くと真正面に坑口が見えてきた。
M・R写真:これが市之川鉱山の坑口、千荷坑口だ。他にも大盛坑など坑口があるらしいがこの状況ではよく分からない。川の対岸側
       にも坑口があるらしいと言う情報は入っているが詳細が不明なので今回はパス。坑口前の岩がよく分からないが市之川礫
       岩なのだろうか?


明治23年1月」と岩に掘られた千荷坑口。アーチの上と右側にも何か文字が掘られているみたいだが。右側は”市之川”の市之までは読めるがその下は雑草で読めない(別のサイト情報では”市之川共?”とか・・・)。アーチ上の文字らしい物は皆目読めない。明治時代と大正時代が最も盛況だったと言う。ただあまり詳しい情報はない。もっぱらここから採掘された立派なアンチモンの結晶が英国は大英博物館にあるとか米国のスミソニアン博物館にあるとかいろいろ言われているが嘘だとは言わないが見てないのでよく分からない。”明治23年1月”(1890年)は矢張り常識的に言って開坑年月なんでしょうね。しかし坑口の構えは立派なものである。


L写真:別の角度から撮影。坑口の前がなんでこんなに土砂もっこりでいきなり平坦でない岩だらけなんだろうと思っていましたが
     土砂は坑口の右上から崩れたんですね。昔の写真を見ると土砂の下にどうやら案内板が埋まっているようだ。もったいな
     い!ごつごつの岩は何故でしょう?
R写真:何でこんなところに岩の割れ目が・・・と言うよりも人工的な排水溝?


L・M写真:坑口前の市之川(市之川は川の名前です)の現在。坑口と川の間はたかだか10〜20mぐらいしかない。はっきり言っ
       て堤防に坑口があると言ったほうがいいだろう。河川敷?は岩も用壁も非常に荒れている。先日の大雨のせいか。

R写真:よくよく見るとやはり当時の遺構はあるものだ。何かは分からないがフランジでジョイントされた鉄パイプが土中から顔を出
     している。  


L写真:これが市之川礫岩なのだろうか?よく分からないが何か非常にきれいだった。巨岩の中に人工的に埋め込んだように真
     四角の石があったがこんなのってよくあるんでしょうか。

R写真:市ノ川小学校の門柱。戻ってちょっと上に上がった所に確認。上の写真の市之川公民館が旧小学校の校舎だという情
     報があったがもっともらしいが未だ未確認である。


L写真:こちらは市之川中学校の門柱。同所に確認。普通このような門柱自体はあまり移動しないものだから元々ここにあったも
     のだろうと思う。一頃は抗山人口が2000人ぐらいいたというから同じ敷地内に小学校と中学校が同居だったのかも知れ
     ない。どなたかご存知の方がいらっしゃれば情報提供をよろしくお願いいたします。
・L写真:西条市立郷土博物館。ここにアンチモンの鉱石(輝安鉱)があるというので見に来たのだが確かにあるにはあった。立
     派なものが。ところが当日は近くの高校生の課外授業らしく標本のある部屋で数十人の生徒が授業を受けていたのでゆ
     っくり標本を見ることは出来なかった。私が意識するんではなく生徒のほうが(こういう場合はほとんどそうだが)チラチラ私
     の方を見るのでレクチュアーしている先生に申し訳なく早々に出てきた。それに写真も撮影禁止だった。


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Osimai