飯盛鉱山   和歌山県紀ノ川市西脇   (1/1)      
                   いいもり こうざん                 撮影日 : 2007年02月   
                                               更新日 : 2008年11月



 和歌山の飯盛鉱山は比較的住宅地に近いと言うか平地に近い。R24から紀ノ川をはさんですぐだ。堤防沿いの道路から鉱山前まで行く坂道がちょっと分かりにくいが(その辺で聞いたほうが早い)その坂道さへわかれば後は一本道だ。鉱山の跡地は現在、事務機器製造メーカー”○○プロ”が跡地利用している。
ここの鉱山は1878年(明治11年)発見なので比較的新しい。当初はその権利を個人間でのやりとりであったらしい。個人間だから当然規模も写真ほどは大きくなかったことと思う。1918年(大正8年)に古河鉱業に採掘権が移り政府の侵略政策に歩調をあわせるかのように鉱山の規模と近代化を推し進めていった。その後は1929年の世界恐慌や’31年 満州事変、’37年 盧溝橋事件などを経て1945年の太平洋戦争終結までここの鉱山も相当増産につぐ増産でさぞかしにぎわったことだろう。と同時に相当の犠牲者もいたことと思う。ちなみにここの鉱石は含銅硫化鉄鉱がメインだった。ついでに・・・古河鉱業は全国各地で鉱山開発をしているが最も有名なのはやはり栃木県の”足尾銅山”であろう。銅産出の規模でも有名だが戦後の四大公害事件の一つ、”足尾鉱毒公害事件”としてもあまりに有名である。




 R24の”小島”交差点を左折してから”麻生津大橋”(おうづおおはし 写真の橋)を渡る。この下の川が紀ノ川だ。方向は写真の右手が和歌山市方面。左手が橋本市方面。ここから川を越えてすぐに三叉路にぶつかる。正面にはコンビニ”サークルK”がある。そこを右折(南西方向)へ。


 右折してしばらく行くと写真のような何かの鉱山施設がある。紀ノ川堤防の近くだ。鉱石運び出しの車両用レールの基礎か・・・。付近にはこれ以外何もなかったが。


 ここ、飯盛鉱山で現在も残っているのは写真の選鉱所だけです。近くまではいけませんでした。(よく近くから撮った写真をアップしている方がいらしゃるみたいですがよくあんなところまで行くな〜と感心しきりです。私などはとてもそんな勇気はありません。あるいは”鉱山めぐり”をする人はそこまで”度胸”が必要ということなんでしょうか)。
この選鉱所の下の左の方に通洞鉱がある。


 上部のアップ画像。閉山は1970年(昭和45年)なので比較的最近まで採掘していたことになる。因みに1970年は大阪万博の年である。それから40年弱だがコンクリート造りの構造物がたった(というべきかどうか・・・)これだけの時間でここまで荒れるものか。やはり基礎だけ残して鉄鋼材はスクラップとして撤去したのだろうか。


 下部のアップ写真。手前の疎水のような川が桂谷川。当然この川にも廃水を流していたと思う。下流の住民の鉱毒被害はどうなんだろうか。’70年の閉山ならまだ最近だからもしあればニュースや裁判になったと思うが。


 選鉱所と坑道排水の浄化装置とのあいだを流れているのが”桂谷川”。川といっても巾は狭い。疎水といった感じだ。採掘鉱石が硫化鉄鉱だったせいか遠目にも赤っぽく見える。


 北側の飯盛山方面。この山がそうかどうかは不明。斜面には一面にみかん畑が・・・。真ん中ちょっと右よりに廃屋のような一軒家がありますがこれも鉱山施設です。
下の写真が反対側から撮ったものです。歳月を感じさせられる光景ですね。往年にはこの辺り一帯が鉱山に従事する人々でにぎわっていたのでしょう。


 こちらから見るともうほとんど自然に帰っている感じである。
外面がこの様子だと中は・・・・もう押してしるべしか・・・。しかし自然の力と言うものは時間はかかるが確実にあるプログラムされた方向に導いていく。”兵どもの夢の跡”と人はよく言うがしかしなんとなくお釈迦様の手のひらでもてあそばれた孫悟空に似ている、と感じるのは私だけだろうか。


 ここはまた別の建物である。左と下の写真は同じ場所だ。
草むらをよく見てみると他にもこのような自然化(風化)したような建物が結構ある。ただの草むらにしてはなんとなくその凸凹が不自然な個所がある。


 多分そう感じる場所が何かの施設なんだろう。周辺のみかん畑もその昔は鉱山関連のいろんな施設がいっぱいあったのだろう。


 正面左手にあった鉱山施設。ここは何の建物でしょうか? 貯鉱所?よくわかりません。ところでズリ捨て場は何処でしょうか?見当たりません。


 選鉱所最上段のアップ。コンクリートと石垣の基礎だけがひときわ頑丈そうですね。鋼材部分は錆びて朽ち果てています。石垣の基礎の模様がなんとなく見てて飽きないです。


 中段、右手になにか坑道がありそうな雰囲気ですね。あそこまで行けたらよかったけどね。
この上が一面みかん畑です。


 桂谷川の南側にある小さなダム。ダムの向側の道路が今、走ってきた道だ。


 写真の真ん中あたりに煙突がありますがその下にはなにも建物らしきものは見えない。ここも自然に帰っている感じである。他の鉱山サイトを見るとここはどうやら”銭湯”だったみたいである。冬でこれだから夏だともう煙突ですら見えないかもしれない。


 鉱山の裏山のみかん畑です。このあたり一面みかん畑でした。この畑の地下にも硫化鉄鉱の坑道が続いている。


 鉱山前の道路から紀ノ川市内、JR「名手駅」方面を望む。下の白っぽい工場様の建物は事務機器メーカー”○○プロ”。ここの会社が現在鉱山からの出水を浄化・排水している。写真正面の山並みは大阪と和歌山の境の”和泉山脈”。中央部辺りに左右にぼんやりと見えるのが紀ノ川。この写真は南から北方向を見ているので左手方向が和歌山市内(紀伊水道)方面。


 飯盛鉱山の全景。右手の町並みは上の写真同様、紀ノ川市内です。


 行きと帰りの順序が逆になりましたが事務機メーカーの前の道をもうちょっと上がると写真の「分かれ道」があります。鉱山には「右」の道をいきます。右がわに大きな看板があります(下の写真がアップ)。ここからはもうすぐです。選鉱所が右手に見えてきます。


上の分かれ道の看板です。





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