青森県弘前市沢田 舟打鉱山 Photo:2012年8月 (1/1) |
●主な採掘金属 :銅、亜鉛、鉛。 ●主な鉱業権者 :日本曹達(日本ソーダ)/株。 青森県西部、岩木山の南側、世界遺産で有名になった白神山地の東のはずれに舟打鉱山はある。採掘鉱種は銅、亜鉛、鉛など。発見時期その他は下の説明版に詳しいが江戸時代幕末である。本格的採掘は1929年に日本曹達(株)が開始。同社は福島県のいわき市で炭鉱事業もやっていた企業である。1962年閉山。 |
■左:尾太(おっぷ)鉱山からの帰り道、県道28号線からちょっと寄り道をして県道204号線に入りナビの指示通りアッチを曲がったりコッ チを曲がったりしながら走ってるとりんご畑の中に迷い込んでしまった。ナビ通り走ってるのにナンデ〜・・・?!一旦止まって道路地 図を見る。う〜ん・・・道は間違ってない筈だがな〜と言うことでそのまま続行。最も一本道なのでそれしかない。他に選択肢はなし。 どんどん行くとますますおかしな道に。もう戻りようがない。え〜い!腹をこすろうがボディがキズだらけになろうが(もうなってるし) もういい。と言うことで行ける所までそのまま行くことに。急に1級の道路に出た。なんと最高の道路なのに地図にはない。ナビにも ない。最近できたものかもしれない。後で分かったことだが地図にはないダムがあった。どうやらそのための道路だった。 そんな道路からまたナビ通り山奥に向かいずんずん入っていく。またまた道が悪い。どうやら全然車も人も来ていないようだ。キャン プ場だと言う話だったが。今は8月で真夏なのに全くそんな気配がない。それでも何とかかんとか鉱山跡に到着。来てみると道は それなりに整備されているようだが・・・。 ■右:左写真、案内板のアップ。相当ピンボケてますね。左側の木製の立看板には何があったんだろう?周囲をしばらく眺めたがズリ山 らしきものも遺構らしきものも見あたらない。もっと奥に入るのだろうか。相当藪に隠れているのだろう。人の気配がま〜ったくない。 ちょっと心細くなる。 |
■左:読めるように拡大でuploadしたが下に記載する。(ぼくって何てやさしいんだろう・・・笑) <舟打鉱山跡> 江戸時代の末期安政年間(1854〜1859)相馬村の万右衛門によって白光の石が見つけられ、これが鉛、亜鉛、銅などの入り混じった鉱石であることが分かり採鉱を始めたのが舟打の鉱山の始めである。 その後、山の権利は幾多の人々に次々と移ったが本格的な採掘が昭和4年に日本曹達(日本ソーダ)によって行われ昭和10年に舟打部落を形成し最盛期には約1000人の住民がこの谷に住み活気にあふれていた。 第二次世界大戦中は増産に次ぐ増産に昼夜の別なく増産に励んだ。終戦とともに従業員の数も減ったとは言うものの昭和30年頃でも日産70トンに達していた。しかし昭和36年の貿易自由化の波には抗し得ず、昭和37年9月閉山のやむなきに至った。 ■右:懸命に読もうとしたが分からずじまい。下の二文字は「標識」か・・・自信なし。 |
■左:”舟打鉱山友之会”というものがあるところを見ると一応は管理されている?のかな・・・。ネット検索してみたがHPはなさそう。 ■中:舟打鉱山無縁仏。昔の鉱山、特に戦時中の鉱山には他鉱山も同様、国内のみならず朝鮮、中国からの強制連行者がたくさん 労働を強いられていたのでこの種の無縁仏が数多い。 ■右:同地域を北側から見たところ。右側の石碑が左写真のもので真ん中の大きな木の根元左側に小さく見えるものが中写真の無縁 仏。ズリ山はどこなんだろう? |
■左:不思議なものばかりがある。キャンプ場だった頃の名残か。完全閉鎖だ。しかしよく考えると閉山になった鉱山跡の無縁仏のある場所 で普通、キャンプ場など開設するんだろうか。おまけにちょっと不気味な鳥獣供養之塔まであるのに。 ■中:鳥獣供養之塔ってなんだろう?祠まであったが。よく分からない。周囲の雰囲気はなんとなく不気味なものだったが。 ■右:帰り際に撮ったりんご畑。まだ小さかったが立派にりんごだ。あたりまえか。 |