岡山県高梁市成羽町吹屋 吉岡銅山 (三番抗) ・Photo:2011.03 (3/3) |
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先日、吉岡銅山には笹畝坑道の近くに精錬所がありそこには坑口もある、との情報を鉱山仲間さんから投稿をいただき知りました。で今回行ってきました。そこは吉岡銅山三番抗と言い情報どおり精錬所あり〜の三番坑口あり〜のでした。どうやら「吉岡銅山跡」として桜も植えたりしこちらも観光化するようです。今後をお楽しみに。 |
上の「吹屋銅山の歴史」は本ぺージの「三番抗」の説明じゃなくこれより北側の「笹畝抗」の説明だが内容はあまり変わらないのでそのまま載せます。ちなみに開抗はこちらの三番抗の方が古い。 |
●L写真:ベンガラの瓦を見ながら村中を走りやっと到着しました。 ●R写真:文面を下に転記します。 黄金山城(小金山城・古金山城) 後方の小高い山を黄金山といい城が建っていた(現在は石垣のみがある)。永禄年中(1558〜1569)山陰尼子家の武将、吉田六郎兼久当城開基、吹屋の銅山を支配する。後毛利に攻められて戦死す。兼久の廟塔中町の裏手にあり人称して郷名(地名)を石塔、後に関東と名づけられた。川向に大塚屋敷があり往時このあたりは吹屋の要所であったと思われる。 銅山別記 この裏の北側を大深谷といい銅山発生の地であり大深千軒といわれる程大いに繁栄していた。 まかねふく 吉備の中山帯にせる。細谷川の昔のさやけさ。 「備中府志より」 |
●L写真:左手の方向に行くと三番坑口がある。 ●M写真:吉岡銅山の看板から下に降るとすぐに広〜い敷地がある。 ●R写真:このあたり一帯が全部選鉱所になる。写真の構造物はカラミ煉瓦で作った沈殿池。 |
●L写真:正面にズリ山が見える。 ●M写真:それのUP。 ●R写真:この方向に行くと坑口が見える。 |
●L写真:現われました。左下のが右の写真です。右上にもありそう。 ●M写真:正面から撮ったもの。奥からきれいな水が流れている。が・・・ ●R写真:UP。当然ながら鉄柵でふさがっている。内部は土嚢か土砂で不心得者の進入を阻んでいるようだ。当然の処置である。 |
●L写真:右上の坑口らしきもの。 ●M写真:選鉱所脇の広〜い空き地にあったカラミ煉瓦製のトンネル。どこかで読んだが確かトロッコの通り道ではなかったか・・・ ●R写真:そのトンネルのカラミ煉瓦の様子。 |
●L写真:カラミ煉瓦で作った沈殿池の内部の様子。もちろん草ぼうぼう ●M写真:沈殿池の外面。 ●R写真:選鉱所・精錬所方向に行きます。写真正面の台地状のものが下の写真です。 |
●L写真:案内板通り選鉱所ですが何もかも全部カラミですね。ここのカラミは全部四角い。もっともこの形の方が一般的ですが。石川県 の尾小屋鉱山のカラミは断面が六角形だ。 ●M写真:外壁のアップ。 ●R写真:内部の様子。この円形の構造物は何だったんだろうか?まさかシックナー?内壁はコンクリートで固めているが。 |
●L写真:シックナーらしき構造物の上部脇にあったコンクリート製の何かの基礎土台。 ●M写真:これは煙道。文字通り”煙の通り道”。尾去沢鉱山でも日立鉱山でもどこでもそうだが精錬時の有毒ガス(亜硫酸ガス)は当時、 非常に難儀した。後になって足尾銅山のように硫酸製造に利用した鉱山もあるが大半の銅山では煙害に泣かされ単純に煙突 の高さをより高くしてより上空により広範囲に排出しようとして一定面積に降り注ぐガスの量を減らそうとしたようである。 ●R写真:こちらは精錬所。ちょっと分かりにくいが数メートル段が低くなっている。どうやらその低い方が精錬所だったようである。そこか ら山の上に向かって斜めに煙道が通っている。M写真の上の構造物がそれだ。 |
●L写真:こちらは元火薬庫。三番抗からは若干離れており山の下にある。 ●R写真:最後に笹畝(観光)坑道の入り口。前回来たときは冬で周囲は雪だらけだった。扁額など周囲 の様子は変わっていない。 |
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