fudono koozan | |||||
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兵庫県宍粟市一宮町富土野 Photo : 2009年 |
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富土野鉱山については資料が少ない。幸い手元の一宮町史に富土野銅山に関する記入部分が若干だがあったのでそれを転載する。 「赤金鉱山 一宮町倉床(富土野銅山) 兵庫県採掘権登録二号 所有 三菱金属工業株式会社 主要鉱石 黄銅鉱、斑銅鉱、輝銀鉱他 主要鉱物 金、銀、銅、亜鉛、錫、砒素、タングステン 沿 革 発見及び開抗の時代は大同年間とも言われその採掘跡数百年を経過したものが無数にありて鉱サイは山積みされている。大正5年まで赤金製錬所にて銀、銅、処理経営し日々150台の牛車にて搬出し大阪にて銀と銅に分離する。盛大なる時は鉱夫300名近く従業したとも言われ往時が想像される。(繁盛村史) 明治12年赤松力松試掘を出願、同14年8月採鉱 明治26年原田万作他3名、昭和29年川口俊六、昭和31年三菱金属工業明延工業所が買収現在に至る(明延鉱山採掘権台帳)」とある。 これで全部だが大雑把なことはこれで分かると思う。大同年間といえば西暦800年頃、平安時代の初期だ。閉山(資料では稼行の状況が現在”閉山”ではなく”休山”となっている)がいつなのかよく分からないが1000年以上もの間採掘がいろんな形で繰り返されたことは事実のようだ。その間世の中の変化もあり休山と再開も繰り返されたことと思う。また精錬所があったことも書かれているし鉱山の規模も”〜盛大なる時は鉱夫300名近く〜”とあるように家族や商店関係者も入れると1000名以上の鉱山人口がいたのではないだろうか。やはり思っていた以上に大きな鉱山だったようだ。 |
I am yabuisha.。 tyuusha daisuki dengana。 anta nanijin? |
県道6号線を北上。明延鉱山の数キロ手前にある富土野トンネルの手前2〜3キロ辺り左側に側道のように入っていく道がある。その道の分岐点に写真の案内板がある。もっとも富土野鉱山の看板は半分倒れているが。しかし手書きのこの看板、なかなかいいアジ出してるよ。 |
・L写真:富土野お大師堂というのはどこか分からなかった。銅山案内の右側かも。ぼくらは左側を行った。 ・R写真:途中はこんな道でした。奥へ行って分かったが結構規模の大きい銅鉱山だったみたいだし道路整備も結構きちんとされている。 |
ここが拡大地図の”銅山登山口の案内”だ。橋の向こう側の左手方向が鉱山エリアである。 |
左手方向に行くとすぐにこんなズリ山があった。ただこれは小規模である。まだまだ奥へ入っていく。この程度の道だと車でもいけるのだがまあそこはそこ健康のために歩きましょう。テクテク・・・・。 |
出ました!最初のそれっぽいズリ山です。川がせき止められないように堰堤を作っている。これを見た時なんとなく意外と大きな鉱山かな?と思い夢が膨らんだ記憶があります。 |
・L写真:行く手左側に小さな小屋がありその周りは結構広い更地が広がっている。なるほどこりゃあ大きな鉱山だったみたいだ。 ・M写真:小屋の内部を撮ったが何かよく分からないものがあっただけである。 ・R写真:架空索道用なのか五分ぐらいの太いワイヤーロープが無造作に置いてあった、と言うよりも捨ててあると言った方がいいかもしれない。よく見るとこんなワイヤーがあちこちに見えている。 |
こんな感じで広くてここを見る限り山奥とは思えない感じである。閉山されて久しいのによく整備されている。この感じからするとほぼ定期的に管理にやって来ているようだ。 |
いたるところに鉱山操業時代の名残が残っている。L写真は何かの建物の基礎だろうか。M写真とR写真は機械関係の取り付け基礎だろう。 |
周囲のフェンスと水の溜まり具合などの様子から見てどうやらここも坑口のようである。坑口だとしたら相当に古いものだろう。 |
どんどん奥へ行くと目の前に巨大なズリ山が。上を見上げるとそこには何やらフェンスがあって赤いフダがぶら下がっている。おお・・・っ!あれは九分九厘「コーグチ」に間違いない。しかしこのズリ山はでっかい!勾配も結構きつそう。でもここまで来たなら行かねば。ここでUターンしたらゼッタイ後悔することうけあいだ。勾配の緩そうな箇所を探しオッチラ、オッチラ登りました。かなり急ですよ〜。45度ぐらいあるんでは・・・もちろんジグザグにですが。勾配の目安に下に写真を載せてますが。 |
ズリ山てっぺんの坑口付近だ。L写真が”立入禁止”の赤いフダ。その奥に土砂で塞がった坑口(らしき)部分が見える。R写真はちょっとぼけているが同所のUP写真。 |
これは上の写真の右手側にあった別の坑口らしき陥没場所。 |
ズリ山の勾配です。(別にこんな写真UPしなくてもよかったんだけど・・・。サーバーの容量不足になるのに・・・<笑>) カメラは傾けていませんよ。垂直なフェンスを見れば分かりますよね。45度ぐらいあるんでは・・・ |
・L写真:ここも上とは別の坑口。だがゴミや枯葉なんかが積もっていて坑口そのものは見えなかった。 ・L写真:足元にはカラミがありました。これ一個だけだったがまさか他所から誰かが運んだんじゃないでしょうね。これがあるということはここでも製錬してたんですね。 |
鉱区内いたるところにこんな風に地面にワイヤーやパイプ類が未だに埋まっている。 |
鉱山のど真ん中を通っている道路。 道幅的には10トンダンプでも通れる幅である。何度も言うがここは思っていた以上に大きな銅鉱山だったようだ。 |
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