豊栄鉱山
(別名上畑鉱山とも九折鉱山とも言う)
              大分県豊後大野市緒方町上畑九折川    行った日:2008.4月   

今回は手作りMAPは割愛します。
 左の「豊後緒方高千穂線」が県道7号線で傾登山口が下の写真の三叉路です。鉱山は三叉路を左折。上の写真中央の九折鉱山跡が豊栄鉱山のことだ。別名上畑鉱山とも言う。
 ここの鉱山は写真の地図でも分かるとうり祖母山〜笠松山〜傾山周辺の登山・ハイキングコースの中にある。上の登山道案内板も旧選鉱所のすぐとなりにある。今の鉱水処理場の前である。つまり豊栄鉱山も尾平鉱山もついでに言うならば東の木浦鉱山、南の見立鉱山、土呂久鉱山もそれほど離れてはいない。豊栄鉱山はスズ、鉛、亜鉛、銅、などが主で鉄やマンガンなども少量だが採れた。有名なところではきれいな蛍石が有名でヘデンベルグ輝石も採れた。ちなみに水処理場は鉱山経営会社が解散しているので大分県が運営・管理をやっている。
 開鉱はちょっとよく分からない。閉山は1975年(S50年)で現在まで30数年の時間が経っている。経営母体は私の不明瞭な記憶では確か同和鉱業(現DOWAホールディング)グループの一傘下企業ではなかったかと思う。ただしあまり自信はない。確認も出来ていないので悪しからず。  



 昨夜は滝廉太郎で有名な豊後竹田市で一泊し今日、豊栄鉱山からいくつか回ります。今朝は早く起きて”荒城の月”の舞台になった岡城も見てきました。城と言えば大阪城や姫路城を想像しますがあんな華やかな城ではなくもっとシック(という言い方も変だが)な感じの歴史の重みを感じさせる佇まいでした。彼が子供の頃に遊んだ明治時代は岡城は文字どおり”荒城”だったようです。
 ・L写真:この三叉路を左折すると豊栄鉱山、直進すると尾平鉱山に行く。
 ・M写真:見たとおり。
 ・R写真:県道7号線の標識だが尾平鉱山名が地名になっている。  


 鉱山方面に進んでいくとまもなく左手に貯鉱所跡だったらしい運動場のような広場がある。そこだけは草も何も生えていなかった。  


 もうちょっと行くと見えてきましたよ。豊栄鉱山が。廃鉱山の宿命、鉱水処理施設です。道路左手が処理施設、右手がかつての選鉱所跡。  


 一口に言って綺麗な処理場です。何処かの滅多に人の来ない廃鉱山の処理場とは運泥の差ですね。目の前がハイキングコースの出発地になっていて常に人目に触れることや県が管理していることなどがこういう工場を作っているのでしょうね。  


 やはり廃鉱の廃鉱らしさが裏に回ると出てきます。表は綺麗ですが裏はやはりね〜。ただ壊れてまだ間がないようにも思われるが・・・。  


 左右どちらの写真も緑の木のある部分が選鉱所跡だ。ちなみに道路を挟んだ対面が水処理場。こうやって見ると結構よく整備されているようである。  


・L写真:もうちょっと奥に行ったあたりの道路のちょっと上に坑道水の沈殿池があった。非常にシンプルだ。
・R写真:同所にあったホッパー。  


・L写真:選鉱所の最下段。段差がありすぎてほとんど”壁”だ。ここからず〜っと斜面の上の方まで例のごとくコンクリートの基礎だけが残っていた。上までは藪と足元が悪く登れなかった。
・R写真:選鉱所内の一部。ずっと上までこんな調子である。  


・L写真:選鉱所跡にはこんなものが。碍子はもちろんセラミックだがバルブはプラスチックだった。時代を感じる。
・R写真:選鉱所内の鉱石搬送装置用の基礎。  


・L写真:処理場最奥部から振り返って撮ったもの。はしごのかかっているのが沈殿池だ。
・R写真:鉱山奥方向を撮ったもの。地図によると坑口はもっと奥の右手、山の中腹にあるようである。今回はそこまでは行っていない。川は九折川である。尚、この堤防のような道がハイキングコースになっている。

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