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   北海道三笠市幌内町   幌内炭鉱      Photo:20128  (1/1)  
炭 質   : 瀝青炭(炭化度約90%の良質な石炭。これより上質は無煙炭のみ。)
経営企業 :官営(明治政府)→北炭(北海道炭坑汽船/株)。

 幌内炭坑は1879年(M12)明治政府によって開坑された北海道で最初の炭坑である。3年後の1882年には石炭輸送用に幌内鉄道(幌内〜小樽間)が敷かれ道内の物資輸送に先鞭をつけている。最初に掘られた坑道は音羽坑(下の写真)で1910年前後には布引坑や養老坑も開削された。その後も一応は順調に採炭されていたが切羽深度が次第に深くなり斜坑では効率が悪く1967年、北側の幌内本沢町に竪坑を開削した(最下段の写真)。後にこの竪坑は深度約1000mぐらいまで深くなる。
 しかし1975年ガス爆発事故という大事故が発生、24名が死亡、内約半数の遺体を坑内に残したまま消火のため注水することになる。その後’77年に採炭を再開したが以後出炭が計画通りいかず遂に1989年(H1)、100年以上の石炭の歴史に幕を閉じることになる。


道央自動車道「三笠IC」から道々116号線を東進。左手に三笠総合病院を越え次に右手に三笠市役所が見える。その交差点を右
   折。道々1129号線に入り道なりに進行。途中写真の赤屋根の恐らくかつての炭鉱住宅だったろう建屋が左手に見える。大部分は
   今も居住されているようだ。
空き家だろうか窓にはベニヤが。ただ本州の住宅には見られない煙突が各家庭に必ずついている。
第一の目的地に着きました。三笠鉄道村「鉄道記念館」です。

三笠鉄道村の道道を挟んでちょっと北側に行った山側、地図上の妙法寺のあたりに随分昔だが炭鉱で犠牲になった人々の招魂
   碑が今もある。内容をここに別記すると、
    
  〓招 魂 碑〓
   幌内炭鉱で明治36年7月、坑内ガス事故で7名の方殉職。この招魂碑は殉職された仲間を慰霊するため飯場主や友子の親分
   衆が発起人や世話人となって明治36年9月幌内神社境内に建立されました。大正9年、碑前が狭いため幌内市外の丘の上に
   移設され戦時中は「忠魂碑」に兼用されて戦没者の慰霊碑も行われています。

この参道の奥の階段の上に・・・
その目当ての招魂碑がある。土台の石には右から左に”幌内炭山”と刻まれている。

道をそのまま奥の方向にいくとかつての幌内炭鉱跡地がありそこは今、当時の名残を残した景観公園になっている。今はまだその
   途中段階のようだが一度は見てみる価値はあると思う。
木立の中にうっすらと見える炭鉱時代の遺構。コンクリの折れたような構造物が見える。選炭場のようだが詳しくは不明。

景観公園の中に入ってみることに。
中・右デコボコにひしゃがった炭車が一台入り口に置かれていた。「日立」のマークが入っている。かつてはこれに石炭を満載して軌道
   上を選炭場や積込み場など往復していたのだろう。

まるで炭車を連結したトロッコが走っていたかのような溝がありアーチ状の構造物が確認できるがこれ何か分からない。
トロッコ用のレールとワイヤーロープが地中に確認できる。  

草のつるに覆われた煉瓦作りの安全灯庫らしいがこの説明では安全灯庫の役割がもうひとつよく分からない。たぶん安全灯の保管庫なのだろう。カメラを低解像で撮ったので見にくいですね。下に転記します。
    〓安全灯庫〓
この建物は安全灯を設備した安全灯庫で大正から昭和初期に建設された。閉山後10数年を経て屋根が落下したが外壁は一部飾りのレンガ作りで積み上げられている。当初の坑内の照明はブリキ製のカンテラに魚油(ニシン油など)や石油を使用していた。しだいに坑道が延長し通気が不完全になりガスの発生量も多くなって爆発の危険も増加したので明治26年(1893年)頃から安全灯が使われ裸火の照明が禁止された。明治30年頃からは証明度の高いウルフ灯。大正末(1924年)からキャップランプ。昭和5年(1930年)頃からエジソン電気安全灯や電池式坑内安全灯が使われた。
*文化12年(1815年)ウエールズの炭坑夫のカンテラを発明。明治12年(1879)ドイツでウルフの灯油型、次いで揮発油型安全灯が考案された。
*明治31年(1898)北炭が野幌に煉瓦製造所を開設し炭坑や鉄道の施設に使用した。

音羽坑の坑口だ。ご多分にもれずブロックで封鎖。ここの炭坑は道内の大規模炭坑では最初に開削されたところである。そして福岡の三池炭坑同様、囚人が使役に使われた炭坑でもある。

同じエリアの一角にコンクリ構造物の一部が確認できるが案内板の通り選炭場としか分からない。この区域は全体して上の案内にもあったが整備がまだ手作り故か行き届いていないようだ。まだもう少し時間がかかるようである。今後を待とう。  

景観公園区域から戻ってきて鉄道村の辺りだったろうか広場に操業時代のバッテリートロッコと人車、その後ろに東芝製のパンダグラフ式電気機関車が展示(これも展示なんでしょうね・・・)されている。

三笠市役所から景観公園・鉄道村方向に伸びる道道1129号線。
中・右少し戻り道々917号線に入って東方向に走ること数分でまもなく右手に赤錆びた竪工櫓が見えてくる。これがかつての幌内炭坑
   の竪工櫓である。今は写真にもあるように地元企業の私有地になっている。そのため写真も遠景のみ。

外からZoom Upで撮ったもの。ケージを上下させていたエレベーターやでかいプーリー、一部欠損した会社のロゴなどが確認できる。いまは穴の入り口はどうなっているのか入れないから見れないが恐らく事故防止の意味でも塞がれているだろう。

      (1/1)     HOME    >完<