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    「東日本大震災」写真集  (4/4・終)   
 相馬市(福島)〜田老(岩手)まで     Photo : 2011年5/9〜5/14


〓三陸町越喜来(おきらい)周辺〓
三陸町越喜来(おきらい)の様子。右側の写真は三陸公民館前に集められた被災車。


農協のガススタ。ひどいもんだ。地盤が割れて道路から離れてしまっている。


ガススタの中は瓦礫の中から思い出や貴重品に繋がるものを探し出してこうやって持ち主に返そうとしているのだろう。


上に同じ。


学校の体育館だろうか。


「俺たちのふるさと、絶対復興する!」、最初見たときは暴走族の落書きかと思ったが(越喜来にて)。M・R写真:唐丹町の惨状。


〓釜石周辺〓
L写真:家の基礎だけが残り跡に赤い旗が。”キケン”と言う意味だろうか?左の四階建てのビルは釜石警察署。  


L:何か硬いものが直撃したのだろうか。M:はっきりした意思表示だ。R:釜石市内商店街。


JR線の高架になびく鯉のぼり。何かほっとする。R二枚:海岸に近い工場の惨状。架線、電柱は倒れ工場の壁は破れ地面は波打ち流れてきた車が折り重なってどこから手をつけていいのやら・・・  


新日鉄釜石製鉄所の設備。右は釜石港湾合同庁舎。最右側の鉄塔のアンテナ部分が折れてなくなっている。


釜石漁港魚市場。水際は海面とほとんど段差がない。魚市場内部は水がたまったまま。相当地盤沈下しているようだ。


釜石港内から流され漁港の端に打ち上げられた大型貨物船。船首部分が堤防の上に乗り圧壊状態。海に戻すのにどうするんだろう。


左:「生きる希望をありがとう」綾織中生徒会。これだけの被害にあって弱音を吐く人がいても当然でしょう。いないほうがおかしい。中:市内の信号。停電なのか信号機が故障なのか。全国の警察署から応援に来ている。私が見た再も遠いパトカーは山口県警だった。右:津波浸水想定区域よりもまだ奥まで来ている。


〓大槌町周辺〓
大槌町に入ったところで。小槌川のあたりだったか。最初に目に入ったのは見渡す限り焼け焦げた光景。津波の後に火が入ったという。右:引き出しに入った辞令書があった。誰かが焼け跡から見つけたんだろう。


小廟橋のたもと。流されてきた原型をとどめない車を重機で掴んでいる。


JR「大槌」駅前の様子。中:道又病院の周辺。右:大槌駅跡。トイレのあった場所だけが分かる。


L写真:へしゃがった車がありレールは土砂で覆いかぶさり曲がった上真っ赤にさびてまるで何十年も前に廃線になった鉄道跡のようである。R写真:JR山田線「大槌」駅の惨状。建屋残骸の右側に小槌川河口の水門が見える。撮影は西から東側を見る。


大槌駅跡の様子。右の写真は駅舎ではない。


駅舎の骨組みがこんなにまで。何故かプロパンガスボンベが二ヶ月間もぶら下がったまま。


左:ここでも小さなビルが横倒しになっている。中:携帯電話の中継車がきていた。右:被災した自販機の一部だろう。


大槌町内から赤浜地区に入る途中、JR山田線の高架が跡形もなく津波に破壊されていた。道路は県道231号線。橋桁も根っこからぼっきりと折れている(R写真)。  


M写真:鉄道の橋桁ってこんなにも鉄筋が少ないの?周囲にぐるっと細い鉄筋がまばらに入っているだけ?知らなかった!  


 赤浜地区に入った辺り。


赤浜地区の破壊された堤防と水門。右:近くに神社は見えなかったが鉄製の鳥居もこの状態。


左二枚:よくニュースになった家の屋上に乗った観光船。このときは降ろされた直後。右:東京大学海洋研究所。


避難所の赤浜小学校。


左:上記避難所での風呂。千葉県からの応援か「ち〜ばの湯」と書いてあった。右:地震や津波に関係なく季節が来ると自然界はそれに応じた行動をとる。


〓陸中山田町周辺〓
山田南地区実行委員会・防災のヘルメットがヤンマーの店先に。右:薬王堂という地元の量販店。直撃を受けたのか無茶苦茶だ。


左二枚:漁港近くのヤンマー営業所と中の様子。右:R45沿いにあった住宅。


陸中山田から外れた辺りではこんな光景も。なんとなくポンプ場のように見えるが。町立の施設だろうか。右:漁港付近の破壊された水門。ヤンマーの前にあったもの。


〓宮古市内〓
豊間根から津軽石の間。ここでも「解体OK]のサインが。確かに津波は宮古湾から川を遡ってかなり上まで来ている。


L・M写真:宮古駅前と市内の様子だが津波被害の様子があまり見られないのだが。ここまでは津波は来なかったのだろうか。R写真:海岸べりはやはりこんな風であったが・・・


宮古漁港の様子。それほどひどくはやられてはいないようだが・・・。岸壁も見たが地盤沈下もさほどしていなかった様子。M:漁港となりの道の駅「みやこ」。ここはやられたみたいである。R写真:漁港近くには瓦礫集積地が。  


〓田老地区周辺〓
左:田老駅前の観光センター。ここも外はきれいそうだが内部は津波にやられている。中:ここまでは津波も来ていないようだ。右:下からホームに上がる階段はこのとおり。  


JR「田老」駅ホームから南東方向を見た。前の車の道路はR45。真ん中左手の山の切れ目辺りが海。駅の位置は若干にぎやかな場所から南に外れているので田んぼ畑などがあったと思うがそれにしてもこの惨状はひどい。パッと見渡す限り家屋が一軒もない。駅前なのだから商店の何軒かはあった筈だが・・・


L:田老魚市場だと思うが。橋が落下してこれ以上行けない。M:漁港の向こう側の施設だが何かわからない。R:水産加工場。みごとにドミノ倒しになっている。


ちょっと分かりにくいがこういう構図だ。ひっくり返っている橋(みなと橋)の向こう側、黄色い重機の右側が田老漁港。


L:田老港内の決壊した堤防。R:堤防より山側の様子。万里の長城を乗り越えてきた津波に破壊された家屋。


元わかめ工場(「万里の頂上」堤防の海側)の辺りから北西方向を撮影。写真右側に決壊した堤防の跡がちょっとわかりにくいが見える。決壊したためにその向こうの万里の頂上が丸見えだ。津波の前はここにわかめ工場やいろんな水産加工場、スナック、食堂、飲み屋、バス停などがあった。


田老のいわゆる「万里の長城」と言われる堤防。海は写真左手方向。右が町中心部。正面は流された廃車置場。田老はこのように町の中を「X文字」型に非常に大きな高さ10m近い堤防を築いていた。それでもその巨大堤防を越えてきた津波は写真右側のように町に壊滅的な打撃を与えた。(撮影ポイント=X文字の交差点)  


上の写真の背中側。(撮影ポイント=X文字の交差点)ですが「X」の4本足の1本が写真右側のように決壊している。同部分はみなと橋(上部の写真参照)の橋桁がひっくり返っている箇所である。あるいはそちらに津波の圧力が逃げて他の部分の決壊を免れたのかもしれない。写真左手の道路はR45.道路沿いに残った白いビルは地図では高末民宿かも。写真右手の5〜6階建てのビルはホテル「たろう観光」ではないだろうか。左手のブルーの屋根と隣の建屋はおそらく田老第一中学校だと思う。


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