写真集 (1) (2) (3) (4)   (気ままに鉱山・炭鉱めぐり)
    「東日本大震災」写真集  (3/4)   
 相馬市(福島)〜田老(岩手)まで     Photo : 2011年5/9〜5/14


〓JR東日本 気仙沼線「陸前港」〜「大谷海岸」周辺〓
蔵内の辺りだったろうか。どこもかしこも海に近いところはこんな風に被害甚大だ。橋梁が完全に落下。住民の姿はほとんど見られない。工事関係者しか見られない。


陸前港の駅跡だろうか・・・瓦礫は撤去したのだろうが何がどこにあったのかさえ分からない。


「陸前小泉」駅のちょっと北側辺り。レールがこんな風に・・・・・手前は田んぼか畑に溜まった津波の海水。


もちろん単なる建設工事ではない。志津川と本吉の中間辺り。駅名で言うと「陸前小泉」の辺り。小泉小学校は後ろの方向高台。高架部分随所が落ちている。流されてきた建物の屋根部分だろうかあるいは駅舎の残骸か巨大なものが線路上にひっくり返っている。写真左側のわずかに見える砂利道が国道45線。舗装道路はここだけではなく全部めくれあがっている。写真手前の水溜りはおそらく津波の海水だろう。この辺りは海に近く津谷川(高架の向う側)の河口にあたる。  


L写真:自宅の跡らしき場所で肩を落として力なく残骸を眺めている漁師風の方がいた。M写真:上の写真の遠景。右手の高台は幼稚園、小学校、中学校の辺りだと思う。R写真:ダンプを上げたままで流されたようだ。


道の駅「大谷海岸」も完全に津波をかぶっている。沖縄からだろうか米軍のMPも応援にきている。R写真:JRの駅「おおやかいがん」の看板もご覧のとおり。ホームは津波のせいか真ん中辺りで寸断されている。


JR気仙沼線「大谷海岸」駅。この駅は海岸べりに建っている。まさに標識どおりになってしまった。瓦礫に埋まって線路も見えない。


「陸前階上」駅の辺りだったと思うがR45沿いはご覧のとおり。元はたくさん商店やビル、家屋、ショップなどが所狭しと立ち並んでいたことだろう。ものの見事に何もない。


〓気仙沼市内〓
気仙沼市内に入るといきなり川の土手に大型のタンク・ロ−リーががれきと一緒に引っかかっていた。ヘッドは川のほうに落ちこんでいる。タンクにオイルは入っているのかどうかわからない。R写真:同じようなロ−リーが川の中にも。乗用車もたくさん沈んでいる。  


L写真:気仙沼警察署。M写真:港湾関係の設備だろうか。割と大きなものだ。気仙沼大橋の道路上に転がっていた。


気仙沼大橋から大川を見る。あまりに無残な光景だ。川の中と言い土手と言いよくもここまで・・・。R写真:沈んだ車からの燃料だろうか油が流れている。


車がたくさん沈んでいる。


同じ気仙沼大橋から撮影。


気仙沼市内街中の様子。人が皆目いない。自宅では生活できないのでみんな避難しているのだろう。


〓気仙沼魚港の様子〓
気仙沼漁港の様子。壊滅的だ。


気仙沼漁港岸壁の様子。船が接岸する岸壁が基礎の杭だけを残しコンクリートの上部が引きちぎられたかのように海底に沈んでいる。海水面がR写真のところまできているがここはおそらく本来、道路か陸地部分ではなかったのか。水面と道路との落差からもわかるように陸地部分が相当地盤沈下している。


当日の潮汐が分からないがこの分だと潮の干満やちょっとした天候の変化で陸地部分が冠水するのは避けられないようだ。


L写真:気仙沼市水産振興センターの建物。R写真:魚市場の骨組み。ぱっと見ではさすがこれだけはしっかりしている。


宮城県漁連の建物とその他。


報道写真でよく見た陸上に打ち上げられた大型漁船。つい先日、この船はこの場所から撤去されて海に戻ったとのニュースがあったが。R写真:漁港周辺はどこもかしこもこんな状態だ。 


海岸沿いの道路で。どこも漁船が団子状態だ。R写真船主の意思表示だろうか。


道を通そうとしているがペラと舵がどうにもできなくて困っている。  


「がんばっぺし気仙沼」と気仙沼駅前


〓陸前高田市内〓
陸前高田市内に入るちょっと手前の様子。M写真は長部小学校ではないだろうか。あまり自信はないが。近くに畳工場があるのだろうか。大量の畳が乾されていたが。


陸前高田市内の様子。R45(L写真の道路)を気仙沼方面から入ってきたのだがどこがどこやらさっぱり不明。残っているものは鉄道の高架部分と大きなビルだけのようだ。凸型のビルは地図で見ると高田病院かもしれない。。その右横のちょっと背の低い四角いビルはあるいは陸前高田市役所だろうか?よくわからない。  


道の駅「高田松原」。M写真:道の駅の海側にあった鉄柱ポール。R写真:道の駅の真向かいにあったガソリンスタンド。事務所らしき建屋は鉄骨ごと完全に押しつぶされている。「危険!スタンドあり」とはまだ地下には燃料の入ったタンクが残っているのだろう。  


道の駅の裏側(南側)。L写真は何かよくわからないがこの辺りは砂州のようになっていてヤフーMAPによると海水浴場や公園、お寺などがあったはずだが今はこのとおりだ。地盤沈下で沈んだのだろうか。R写真:南に向かう道路が海に落ちている。


L写真:道の駅”高田松原”から高田病院方向を見る。M写真:病院のUP。R写真:同じく道の駅”高田松原”からMAIYA(青い看板)、陸前高田市役所(その右となり)方向を見る。  


〓大船渡周辺〓
大船渡の手前にあった住宅。五階建ての四階まで津波にやられている。察するに12〜13mぐらいの津波がきたのだろうか。


JRドラゴンレール大船渡線「大船渡」駅があった筈の場所。駅舎の土台らしきものしか確認できない。L写真の右側、R写真の左側が大船渡港方面。


「大船渡」駅があった筈の場所から西〜北西方向(山側)を見た。


L写真:「大船渡」駅跡の瓦礫の上にこんなものが。”よし!ガンバロー!” M写真:駅の海側の様子。R写真:この上に交番所があったのだろうか?


銀行もこんな状態だ。今度の被災地各地でよく見るスーパー「マイヤ」。Rは海岸沿いの中華料理店。


L写真:私が泊まる予定をしていた大船渡プラザホテル。前日に何度も電話したがず〜っと話中だった。後で聞いたことだが電話線が切れた場合も話中状態になることがあるらしい。M写真:「GO USA3.15.11 1000」?米軍が書いたことだけは分かるが。R写真:津波の跡がくっきりと。 


大船渡駅前交差点から撮影。


L写真:駅周辺から山側を見る。高架道路は大船渡三陸道路(R45)。M写真:住宅地の中にはまり込んでいる。R写真:えぐられて破壊された堤防。


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