軍艦島1(端島炭鉱) 長崎県西彼杵郡高島町端島   1/3  
                        はしま  たんこう             撮影 2006年11月



 今回は長年の念願だった三池・筑豊を行ってそのついでに”ここまで来たんだから・・・”とちょっと足を延ばしました。最初の計画では次回にしようと思ってましたがそれでは今度はいつになるかわからないので”エエ〜イツ !”とばかりに(シゴトを無視して・・・帰ったら周りの眼が痛かったですね〜笑〜)強行してきました。 
 場所は長崎県のほぼ南の端っこ。長崎市から国道499号線をただひたすら野母崎方面に。香焼町(カヤゲチョウ)を過ぎて10分ぐらいしたら右手前方に見えてきます。海の中にポッカリと中ノ島と端島(軍艦島)が。 思わず”ああっ、軍艦島や!”っと叫んでしまいますね。確かに”軍艦”に見えます。私は北東から見ているわけですが何でも西側(海上)から見るとより以上に”軍艦”に見えるらしいです。ただ、今の所はこの島には公然とは”上陸”出来ないんですね。危険が一杯とか。だから長崎港からこの島の周囲を見て回る観光船が出ていますね。興味のある方はこちらをクリック。ついでに体験談も載せておきます。ここでちょっとお詫びを・・・エエッ この端島(ハシマ、軍艦島の正式名称)は上陸も出来ず遊覧船にも乗れずなので結局、対岸の国道から写真をバチバチ撮っただけなのです。故にたいした写真は・・・・なのです。数もあんまり・・・です。実は遊覧船があるというのを知ったのも帰ってきてからです。(ザンネン)ただ一つだけ成果が。香焼町の漁村で聞いたら地元の漁師が短時間でよければ上陸させてくれるとか。もちろん有料です。(こんなこと書いていいのかな〜?!) 



                       


 R499を長崎市内から約20分ぐらいで写真の光景が見えます。左端の島が目的の軍艦島。でも渡れません。シヨウガナイデスネ。 高島の遠景。


 左が高島からちょっと離れた小島の風力発電(風発)。右が高島本島。気がつかなかったけど本島にも風発があったんですね。今度、この高島にも行きたいです。と言うのもここにも”高島炭鉱”があったからです。同じ三菱系です。ひょっとして海底でつなっがていたんではないでしょうか。


 軍艦島の姿がハッキリそれと分かる写真。当然ながらこれは東側からのアングルです。より軍艦(戦艦”土佐”のこと)らしく見えるアングルは西側から、つまり海上からの光景です。船からでしか見られません。しかし大きさが南北480M、東西160M、面積約6、3ha、周囲約1、2キロ、海抜47,7Mという炭鉱町を造るにはあまりに小さいこの”小島”で地面をコンクリートで固め、炭鉱労働者とその家族の生活に100年以上も昔には珍しい高層マンションを建てその他諸々の炭鉱施設や学校、病院、スーパー、娯楽施設などなどたくさんの生活ゾーンを作るにはもう上に上に延ばす以外なかったんですね。海を埋める、と言う発想はこの当時ではどうだったんでしょうか。
 話は変わりますが1810年頃に炭層を発見、その後1870年(明治3年)頃に採炭が始まり1974年(昭和49年)に閉山されるまで100年以上もの間に高度経済成長期にはこの極端に狭い場所に約5000人もの人々が暮らしていました。すごい人口密度です。そしてここの炭鉱にもまた他の炭鉱、鉱山同様に非常にたくさんの強制連行されてきた朝鮮人・中国人が奴隷のような環境下で強制労働をさせられていました。そういった歴史も忘れないでいたいものです。


 出来は悪いですが一応”パノラマ”として見て下さい。こんな感じです。右端の建物が小・中学校と思います。どうやら島の北側と西側に生活ゾーンがあったみたいですね。


左から「軍艦島」「中の島」「高島」の順です。  左写真に小さく写っている釣り船です。何気なく撮りました。アンカーを入れてますね。


 う〜ん、ちょっと見にくいですが「端島(軍艦島)施設平面配置図」です。”軍艦島を世界遺産にする会”発行の写真集「軍艦島」からお借りしました。下の4枚も同じです。


昭和30年代初期の端島鉱業所風景。 端島小・中学校校庭でのキャンプフアイヤー。


かなり初期の光景だろうか。 鉱業所側から見る端島前景。




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