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   北海道雨竜郡沼田町字〜    浅野炭鉱・昭和炭鉱 ・太刀別炭鉱      Photo:20128  (1/1)  
炭質 :瀝青炭ないしは亜瀝青炭。  
経営企業 :浅野炭鉱=浅野セメント、昭和炭鉱=明治鉱業。 

 現在、ホロピリ湖の湖底に沈んでいる浅野炭鉱とその北東部の山奥に今も遺構が残っている昭和炭鉱(一部現在も露天掘りされているらしいが詳細は不明)はいわゆる雨竜炭田(留萌炭田とダブって表現されることもある)の代表的なふたつの炭鉱である。他に昭和炭鉱よりもっと山奥で採炭していた太刀別(たちべつ)炭鉱などもあったが今回はそこまで行けなかった。太刀別まで行くには恐らく相当手前で車を降り後は歩きで藪こぎしないと無理だろう。本州以南ならさほど難しくはないが北海道には”道の主”が出没するのでちょっと怖い、いや相当怖い。ちなみに下の写真の太刀別炭鉱のホッパーには山奥の採炭地から架空索道で運ばれていた。
 雨竜地区に有望炭層が発見されたのは1880年代後半だが実際に採炭されだしたのはそれから随分遅れ昭和炭鉱が1930年から、浅野(雨竜)炭鉱が翌1931年からになる。同時に輸送手段として炭鉱鉄道(留萌鉄道)を敷設。石炭を留萌港から船積みで全国に配送できるようになった。この年1931年には満州事変が起こり石炭価格も上昇、この後1945年の終戦まで金属鉱山同様に乱掘に明け暮れたようである。戦後は一時期戦災により採炭もままならなかったが時間が経つに連れ復員など人も次第に戻り経済復興もあり採炭事業も軌道にのり出す。以下各炭鉱毎に簡単に記述すると、

・浅野炭鉱  :開戦直前の1940年の出炭量が最大で、175.000トン/年あったがその後は減少傾向にあり経営も悪化。1952
         年に古河鉱業(足尾銅山など経営)に売却、古河雨竜炭鉱となって近代化、合理化に励み増産に進んだがそれも
         長くは続かず1962年閉山。同年”新雨竜炭鉱”が創業され採炭をはじめたがこれも短命に終わり1968年ついに
         完全閉山となる。現在その遺構は残念なことだがホロピリ湖(沼田ダム)の湖底に沈んでいる。
・昭和炭鉱  :明治鉱業が経営していた同炭鉱は1930年開抗、1969年閉山の炭鉱で結構山奥に位置するヤマであった。採炭
         途中、断層に遭遇。そのせいでその後は出炭が計画通りいかず経営努力もむなしく約40年ほどの出炭で終わる。
・太刀別炭鉱 :1963年に採炭開始した比較的最近且つ短命の炭鉱である。
閉山は1969年なのでたった6年間の出炭であっ
         た。採炭地が非常に山奥で昭和炭鉱より未だ奥の方であった。今もそうだが当時はもっと環境の厳しいロケーショ
         ンだったことも短命に終わった理由のひとつかもしれない。経営は「九州鉱山」という企業名が浮かんだがちょっと
         詳細は分からない。  


深川で国道12号線から外れ留萌方面、北西に向け国道と道々を乗り継ぎ留萌本線「恵比島」近くまで来ると道々が三叉路に。当然
   右に”達布””ほろしん温泉”方面に行く。
かつての炭鉱街が湖底に沈んでいるホロピリ湖(沼田ダム)の入り口には記念公園が作られている
ちょっと失礼な言い方だがこんな場所でこんなに立派な道路が・・・。でも走りやすくてありがたいです。カムサハムニダ。

ホロピリ湖記念公園の中。いつものように誰もいず私一人で貸切状態。30分ぐらいいたがだれも来なかった。みなさん忙しく働いていらっしゃる。

公園内にはこんな歴史の案内板が。浅野炭鉱地域は湖底に、昭和炭鉱地域はもう少し北側の山奥に今も廃墟が残っている。噂では今もこじんまりと露天掘りがされているらしいが正確なことは不明。

上の写真の右側の一部をPC処理で見やすくしました。


ホロピリ湖の普段の姿。ちょっと水量がすくないか。さほど深くは見えないがこの底に大勢の人々が暮らしていた悲喜こもごもの炭鉱生活が眠っている。たまに水量がもっと減ると当時の遺構の類が顔を見せると言う。そlこに住んでいた人にとってはあまり見たくない光景だろう。例え人手に渡ったとはいえそこが今も健在なら機会があれば行って見たいという気持ちも湧こうが”湖底に沈んだ故郷”ともなれば気持ちも複雑なことだろう。察するに余りある。

道々867号線を北へ走ること約10分、もっと遺構の類が見えると思ったが生茂った木々に邪魔されてかほとんど何も見えない。途中。車から降りてちょこっと湖側に歩いたのだが(右2枚)なんとなくそれらしき場所はあったが遺構らしきものは確認できなかった。ただ道路がそれなりにきちんとしていて管理用道路にしては出来すぎな感じがしたのでやはり炭鉱時代からのものではなかろうかと思う。

達布近くまで行ったが何もないので途中、そのまま戻ってくる。すると走行方向が変ると見えるものが変りさっき通過したあたりでホッパーらしき遺構を発見。ご多分にもれずコンクリート構造物と若干の鉄骨しか残っていない。どうやらここが太刀別炭鉱のホッパーらしい。

中:こちらも戻る途中に発見した遺構、コンクリート構造物のみ。左写真は何かの用壁らしきもの。右写真は使われていない橋のようだ
   が・・・大雨で流されてきたのか橋脚には倒木がひっかかったままである。
今も露天掘りで採炭操業中の吉住炭鉱。北上途中、黒石山の峠を超え坂を下って行った辺りだったか・・・。一日に何箇所もヤマを回る
   と時には記憶が食い違ったりするのでアレツ、ここはどこだったかな・・・なんてことが時々ある。ご容赦あれ。まあだいたいは合ってると
   思うが。私の案内をあてにして行ったのにとんでもない場所に着いた、なんてことになっても怒らないでね。それはきっと「アナタに付いた
   神様がそこに連れて行ってくれたと解釈しましょう」な〜んていう気はありませんが物事はポジティブに・・・ネ。それが物事を丸く治める
   秘訣だったりして・・・。  

      (1/1)     HOME    >完<