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   岩手県奥州市江刺区伊手  赤金鉱山   (1/1)  Photo : 2011年5月  
採掘金属 : 金、銀、銅、鉄、タングステン、  
経営企業 :藤田組(→同和鉱業→DOWAホールディングス)→江刺興業(閉山時)

赤金鉱山の発見年代はよく分かっていないが一説では平安時代(794〜1189)とも言われている。当時だからむろん金の採掘だ。その後長く断続的であっても小規模には採掘され続けていたのだろうが大規模に本格的に採掘されだしたのは明治に入って藤田組(現DOWAホールディングス)が鉱業権を取得してからのこと。いつの頃か分からないが(たぶん戦時中ではないだろうか)鉱夫数が1000人近くもいた時代があったという。大鉱山町だ。そんな鉱山も同和鉱業から江刺興業に経営が移ったが1978年(S53)、明治以来の金、銀、銅、鉄鉱山も閉山となる。現在は珪石などの砕石事業だけが続いている模様。


L写真釜石鉱山からの帰り道、遠野市内の道の駅「遠野風の丘」で一服し赤金鉱山までをナビsetすると何か変な道に誘い込まれ
     た。ナビでは時々あることだが”こりゃ〜まずいな〜・・・”と思いナビを無視。こういう時のための昔ながらの道路地図帳(これ
     が一番確か)を開きなんとかやってきました。(やはり紙の地図も要るね。)
写真国道沿いにあるそのものズバリのバス停。でも誰がここで降りるのだろうか・・・民家などは皆無です。鉱山記念碑に来る人用?
R写真周囲にはたくさんの赤金鉱山の遺構が見受けられる。  


L写真国道から坑口に向かう。ほぼ真正面が坑口。
写真今の坑口の姿。てっきり半円形にセメントで固めてると思っていたので何処だろうと探したがなんと目の前にあった。半分は土中
     に埋まっているようだ。顔を出している部分から坑内水だけを排水している。どことなく何とか言うロボットの顔に似ていないか?
R写真排水の延長だがこれではあまり意味をなさないのでは。あるいはバルブの付いた配管のほうは別の箇所からなのかもしれない。  


L写真遺構です。何かの壁でしょうね。
写真配管パイプ。どこから来てるのか分からないが手前の川の方に口が向いている。ただ三又のエルボーが上に向いているというこ
     とは圧力かかった時だけ排出される、という構造かも。
R写真”江刺興業株式会社”の石柱。両側にある石は鉄鉱石だろうか。


L写真これがバス停の名前の”赤金鉱山記念碑”だ。国道からは一本外れているので国道からは見えない。
写真「赤金鉱山の歌」というのがあるんですね。なんと!作詞:西條八十、小川??、作曲:古賀政雄、と彫ってありました。機会があ
     れば聞いてみたいもんです。
R写真橋の袂にははっきりくっきりと「赤金鉱業所」、その上の行灯には「江刺興業株式会社」とある。


L写真まだたくさんの遺構の類が確認出来る。
写真:この道を行けばもう少し鉱山跡が見れたかもしれないがあちこち廻ったあとなのでちょっと疲れました。いつもどおりの強行軍で
     す。(もうちょっと何とかならないかな〜・・・<独り言ダス>)
R写真ちょっと離れた所に岩手砕石/株の砕石場がみえる。ここも旧赤金鉱山の鉱山跡だった筈だ。

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