赤平炭鉱     1/2   
                北海道赤平市東大町      Photo : 2008.09





 北海道赤平市には炭鉱が大小あわせて約10社あった。内、大手は住友赤平、北炭赤間、豊里、茂尻などだ。中でも特に住友赤平炭鉱がダントツで一番最後(1938〜1994)まで採炭していたのも同社である。赤平市が住友の城下町と言われるのもそのゆえんである。
 赤平市に最初に炭鉱を開坑したのは1918年(T7)で住友ではなくJRで一個隣の駅、茂尻炭鉱(三菱鉱業)であった。それまで赤平は普通の農村だったがこれ以降、急速に人口が増加する。茂尻炭鉱はその後発展するが1969年(S44)ガス爆発事故を起こし閉山となる。
 その前後して赤間炭鉱と豊里炭鉱も続いて閉山、結局最後までやったのは住友だけだった。その住友も地下上層部の炭層は枯渇しつつついに深部(マイナス350m以下)にまで投資せざるを得なくなる。それが写真の竪坑櫓の出現となった。


                               


 下の写真、3・4・12こもれび通(道々227号線)にあった標識。親切である。もっともこの標識がなくっても大きな竪抗やぐらが道の際にそびえたっているのですぐに分かる。


道々227号線である。
”3・4・12こもれび通”とはどう言ういわれがあるのだろう?


 道路側のケージ巻き室。おそらく−550mライン側の方だと思う。−350m側は反対側。上から見るとちょうど南側に長い”十字”に見える筈だ。この中にケージ巻き上げ用の巨大な出力1600kwのモーターが鎮座している。建屋の屋上にある「住友赤平立坑」の看板は夜になると赤く光輝いていたらしい。当時は赤平市のシンボルだったという。ちなみに今も看板のネオンは点灯可能という。


 道路南側から見たところ。薄いピンクの建物は現在の住友石炭鉱業の事務所。


 櫓が実際に動いているところを見たかったですね。


 この中に巨大なモーターやその他ケージ巻き上げ用のいろんな機械、ワイヤー、レールなどが収まっている。見上げるとなかなか壮観だ。


 やぐらのUP。
直径5.5mのプーリーが4台。これで2台のケージを制御する。秒速12mの速さだと回転中は相当の騒音や振動があったことだろう。


 空き地はさすがに年月を感じさせる。雑草の生え方を見ても昨日今日のことではないことがすぐに分かるが櫓と建物本体は比較的しっかりしているようだ。住友ぐらいになると閉山したヤマでも企業イメージがあるのでほったらかしにはなかなかできないだろう。特にこういう町中だとよけいに。ここではまた廃坑内からの石炭ガスを発電用に再利用すると言うプロジェクトも立ち上げているようである。


 ・L写真:右写真の左右に延びている錆びた丸い屋根の延長が左写真のものに繋がっている。この中には地下深くから採炭してきた石炭を載せたトロッコやそれらのレール、トロッコから石炭を排出するチップラー、トロッコを移動するポイント、それらを操作する操作台、トロッコを跳ね返すプッシュバックなどなどが所狭しと敷設されている。屋根から首を出している窓の壊れた建物は充填研ポケットと書いてあるがホッパーのことでは?
 ・R写真:当日は何故か見学者が多かった。私以外にも10人ぐらいがカメラを向けていたようだ


 上の小さな錆びた屋根の建物は当時の売店だったようだ。
 上左はさすが43m以上もあると首が痛い。
 左の”?鉱保炭滝認人第22号”って何だろう?


 こちらは竪坑櫓の前にあるピンクの建物。住友石炭鉱業の事務所。車の出入りがあるところを見ると現役の事務所のようだ。


 ・L写真:なんでもこれは更衣室とか。向かいの竪坑と地下トンネルでつながっていたようだ。
 ・M・R写真:いろんな施設がまだまだよく見てみると結構残っている。


 これはなんだろう?上の写真とはまた別物だ。採炭施設ではなく食堂か事務所関係のようだが。


  

  立坑の前にあった案内板を拡大した。

 図面をよくよく見てみると(素人なので間違いもあるかとも思うが)ケージ(エレベーターの箱のようなもの)が地下350mレベル専用と地下650mレベル専用のそれぞれのケージが計二台動いていたようだ。
 各ケージはタテに四段構造(四階立て)で各フロアに人なら18人づつ×四段で計72人が乗り、尚且つそれぞれのフロアを人用と鉱車用にニ分割していたようである(二列四段式)。石炭鉱車(炭車)は2立米の容量の物が各フロアに一台、計四台載せたようである。察するに相当の重量だ。人と石炭を満載すると10トン近くあるかもしれない。そんな重いものを秒速12mの速さで巻き上げる理屈らしい。
 それにマイナス350mや650mもいっきに降りると気圧の変化で耳がおかしくならないだろうか?
 工事費:20億円もS34年当時としては桁はずれかも。現在のカネに換算すると・・・・・ウ〜ン、イメージできないよ〜。



 竪坑櫓のちょっと南側の山側辺りを歩いているとどうやらかつての赤平炭鉱(だろうと思う)への坑口方面に行く道路が。綺麗に舗装されていてチエーンさえなければ入れたがチェーンがあるためにここでSTOP! おそらく赤平山(366m)の北東斜面にも坑口があると思うのだが。





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