11月23日(木)  木村拓也、工藤静香との結婚を発表

なんでまた、こんなページを作ったんですか。

別に、なんとなく・・・

あなたはなんとなく自殺について考えたりするんですか。

はい。 てゆうか、それが普通なんじゃないですか。

じゃああなたは、生きているのが嫌だと・・・

別にそんなことはないです。

11月25日(土)

どんなときに自殺について考えるんですか。

先が見えないときですね。なにをしたらいいかわからないというか。
大変でも、やるべきことが見えてるときはそれどころじゃないでしょう。
ただ、やってもムダ、と感じたときはやっぱり同じです。

それは自殺しようとする人なら誰でも同じなんですかね。

人があまねく備えている性質じゃないかと思いますが。
ただ、自殺自体にはいくつかの類型があるんじゃないかと思います。

11月26日(日)

類型というと・・・

私が今のところ思いつくのは3つの類型です

1.苦痛逃避型  たとえばガンの末期とかで、肉体的苦痛・精神的苦痛が
          著しい場合です。この場合はとにかく苦痛から逃避するため
          に自殺を選択するのですから、通常の判断の延長だと言って
          いいと思います。むしろ正常なことだと思います。

2.報復型     なぜか、いじめられっ子が使いたがる自殺です。それもいじめの
          激しさから逃げるためではなく、いじめっ子への見せしめのために
          自殺しているつもりらしいです。

よくニュースになったりする、遺書にいじめっ子の名前を書いて死ぬアレですね。
そういえば、 「自分は見せしめのためにいじめっ子の前で自殺未遂をしたが、
相手は反省するどころか逆に自分をバカにした、許せない」 というような話も
時折 耳にしますが、どう思われますか。

私がいじめっ子でもそうすると思いますけどね。なんで自殺することが仕返しになるのか、
さっぱりわかりません。わけのわからないことを ”さあどうだ” と言われてもねぇ・・

曲がりなりにも命がけで訴えてるのに、それはちょっと冷たすぎませんか。

そうは言っても、家族でも仲のいい友人でもない人が死んだって別に悲しくもないです。
友人だって死んだ人より自分の生活の方が大事ですから、自分からわざわざ死んだ人
のことなんて半年もすれば忘れてます。
遺書にいじめっ子の名前書いたって、死んだ本人には仕返しができたかどうかなんて
どうせわからないし・・・   バカバカしいことです。

そういえば、大平光代さんの 『だからあなたも生き抜いて』 でも見せしめのための
自殺が逆にバカにされ、ヤンキーからも気味悪がられたと書かれていましたね。

そんなもんでしょうね。 そもそも、自分にとって大事な人をいじめる人間はいないですし。