Impression #single
<抱きしめたい 1992年12月1日>
「キャンドルを灯すように そっと二人育ててきた 形のないこの想いは 今はもう消えはしない」
永遠というものがきっとあるのだと信じて綴った事だろう、この美しすぎる純粋な愛の歌。
こんな気持ちをずっと持ち続けていられるのは、よほどのロマンチストか気違いだけだ!
なんて冷めてしまった私でも、この究極のラブソングの前ではただ、ひたすら平伏すしか術がない。
<Innocent World 1994年6月1日>
桜井和寿という人は私より年下だけど、もしかしたら私よりずっと大人なのかもしれない。
20歳そこそこでこんな詩が書けるものなのかと、驚ろかされた。
底抜けに明るいメロディにのせて歌われる詩の内容は、当然前向きなものだと思っていた。
しかしこの「イノセント」という響きがとても寂しく感じるのは何故だろう。
彼は人よりもずっと早く人生を駆け抜けてきたのか、
まるで真実を悟っているかのように言い放つ。「またどこかで会えるといいな イノセントワールド」
それは彼自身が、イノセントの世界からの決別を意味しているようにも聞こえる。
汚れのない純粋な自分など偶像であるのだと・・・。そう思うと、なんて切ない曲なのだろう。
<Tomorrow Never Knows 1994年11月10日>
人生の普遍性が描かれているこの曲、取り様によっては随分無責任な歌かもしれない。
人間くささを知りながら、きれいな言葉とメロディで美化してしまっている。
そして全ての闇を飲み込んで、またあなたは進んでいく。
「心のまま僕はゆくのさ、誰も知る事のない明日へ」
しかし人間はとても弱いものでして、そんな歌を聴いて一度だけ号泣してしまった。
「少しくらいはみ出したっていいさ、夢を描こう」沖縄での出来事だった。
有無を言わせぬ名曲である事は間違いない、いつの時代にも受け継がれていくことだろう。
<es- theme of es 1995年5月10日>
この曲をピアノで弾いてみると、また新たな感動が湧きあがる。
陽と陰が混ざり合ったようなコード進行はとてもみずみずしく、私の心にとけ込んで来る。
esという哲学的な表現を使っていながら、聞き終わった後はいつもこんな風に想ってしまう。
「人間て、いいものだな」
30歳を過ぎて、男として益々円熟された桜井さんが歌う、生の「es」を聞いて見たいものです。
<シーソーゲーム 1995年8月10日>
「空耳アワー」にも採用されたこの曲、改めて歌詞カードを手に聴いてみて私はぶったまげた!
だって歌詞の内容の半分くらいを聞き間違っていたからだ。
ミスチルの歌詞の複雑さと、桜井さんの発声の聞き取りづらさを再確認してしまった。
英語詩への嫌悪感を現しながら、実は彼自身の歌い方は限りなく英語訛りになっているのだ。
へ!?こんなこと言っていたの?「変声期みたいな吐息でイカせて」(笑)。
真剣な恋愛さえも痛快なメロディに乗せて笑い飛ばしてしまう、何て気持ちのいい歌だろう。
ちなみにカップリングの「フラジャイル」はかなり好きな曲だ。
この頃から社会風刺の詩が顕著に現れるようになる、そんな青臭い毒の吐き方が私は好きでたまらない。
<名もなき詩 1996年2月5日>
この言葉を聞いてドキッとさせられた人が多いのではないだろうか。
「知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で」そして彼も同じ人間なんだと胸をなでおろす。
「あるがままの心で生きられぬ弱さを誰かのせいにして過ごしている」
こんなに深い詩を書いてみたり、
「また会えるかな、やる時はやるってな奴になってやろうじゃない」(カップリング「また会えるかな」)
と、おどけて見せたり。この人って不思議な人だ。
でも意図的にバランスを取ったり、言葉遊びを楽しんでいる様子を見ると案外「楽観主義」かもしれないな。
<花mement-mori 1996年4月10日>
これを初めて聞いたとき、なぜか演歌っぽいなと感じた。どう見てもRock’n演歌だと。
「イエローサブマリン音頭」じゃないけど、
坂本冬美がコブシなど利かせながら歌っているところを想像してみよう。
ほらいい感じでないですか!?(笑)
最近では、 宇多田ヒカルの「Automatic」にも似たようなものを感じた
こちらはR&B演歌(^_^;))!
キーワードは日本人の心の故郷 「ENKA」だったのだ。
アコギで始まるシンプルなサウンドは、やがて壮大な音の広がりを見せ、
今まで見た事もないような世界へ惹きこむ。
鉛のように重たくて、でも真っ直ぐな筋がしっかりと通っていて絶対に揺るがない力強さがある。
プレッシャーに耐えかねて崩れ落ちてしまいそうになった私を、幾度となく救ってくれた。
「死」をも連想させるような重いテーマを掲げているのに、内容はどこまでもポジティブだ。
どうしてこんなにも心が洗われるのだろう、そしてこの演歌調のリズムが非常に気持ちいいのだ。
<Everything it’s you 1997年2月5日>
一度聴いただけで直ぐに「いい曲だ」と感じた数少ないナンバー。
だってのっけから「泣きを誘う」哀愁タップリのメロディで始まるんだもの。
ドラマのタイアップ効果もあって私の心を一発で掴んでしまった。
しかし、歪んだ心の持ち主は次に恐ろしい事を考えた。「もしかしたらスグに飽きてしまうかもしれない」
今までと全く違う出会いだったから・・・でもその予想は見事に外れた、
数年たった今でも拒否反応は出ていない。
しかしこの歌詩に登場する男ってよくよく見ると、しょーもなく甘ったれた奴だよね。
アルバム「ボレロ」の中では唯一虚勢を張ってる歌なのかな?
夢も希望もないようなヘヴィな曲達の中で、これが精一杯の「前向きさ」だったのかもしれない。
シングル用に惰性で作ったとは思いたくないけど、
弱さをさらけ出す事にためらいもない、何てけな気で哀しい歌だなあ。
「守るべきものは、ただ一つ君なんだよ」なんて言っておきながら「もう君の好きなようにして」っていったい・・
結局、人に委ねるなっつーの〜!
強いとも弱いとも取れるこのセリフ 優しいようで実は冷たい
勇ましさと優柔不断が同居する、男性の情感が目一杯あふれている
桜井さま、やはりあなたも・・・?
でもそんな情けない男が、実は好きだったりする(笑)。
<ニシエヒガシエ 1998年2月11日>
人はある日きづく、人生とは何て厄介なものだろう。
あがいても、もがいてもどうにもならないこの現実に失望する。
それでも、張り付けの刑になったって明日に向かって生きていくんだって、精一杯背伸びしてみせる。
この歌に込めた魂と、彼の本心は誰にも分りはしない
でも確かに彼はどのステージでも勇々しいオスとなる、自らを奮い立たせるように。
2001年夏のツアーポップザウルスでの「ニシエヒガシエ」、そこで私は神の姿を見た。
桜井さま、あなたを世界遺産(人間国宝?)に登録したい。
<終わりなき旅 1998年10月21日>
この曲をアコギで挑戦した事がある。結果は無残にも爆沈!
コードチェンジの難しさに負けてしまった。
「ギター少年泣かせ」と言われたこの曲は、奏でる人も聴く人も 相当な覚悟が必要だ
「もっともっと、きっときっと」と延々と繰り返される呪文、限りなく洗脳に近い普遍的なメッセージ
これでもかとモチベーションを刺激する 桜井氏の張り詰めた声
ゴンゴン背中を押されてしまい、前へと進まざるをえない拷問のような激励の言葉
突然私は息苦しくなり、ビルの屋上からダイブしたくなる衝動を抑えながら、彼のあえぎ声に溺れてゆく・・・。
終わりなき自分探しの旅に一歩踏み入れてしまった者は、もう逃げ場所はないのだ
さあ、あなたはこの曲にどう答える?? 私ならこう言うだろう
やり過ぎなんだよミスチル!!でもそこがまた好きなんだなあ〜〜
すみません本当に愛してます「終わりなき旅」。
<口笛 2000年1月13日>
「人はついありきたりな物を嫌って マニアックに走りがちである、
でも時にはその人に合った飲みやすいお酒を作ってあげたい」という桜井氏のコメント。
確かに分りやすい。
それから彼らはポップ路線をまっしぐらに進むのであった・・・その手始めが「Q」である
「ディスカバリー」まではかろうじて残っていた野性味は完全に消えていた
強靭な魂はどこへ行ってしまったのだ?桜井くん
幸せすぎてハングリー精神が消え失せてしまったのか??
とはいえ2000年の冬は厳しい寒さでありまして、この曲を聴いて心を暖めていたのはこの私です
こういうストレートなラブソングに感動できないのは、自分がいい恋をしていないからかなぁ(涙)。
<NOT FOUND 2000年8月9日>
人間長くやっているとある日訪れる「節目」
その時は気がつかないで過ぎていってしまう事が多いけれど・・・
今考えるとMr.Childrenにとってこの曲はそうだったのかな、と感じる事がある
この1年後にリリースされた「優しい歌」を機に彼らはもの凄い勢いで飛ばし始め
今までのマイペースをあざ笑うかのように変貌する
そこに至るまでの長い混迷期の途中で「NOT FOUND」は、爆発寸前の「ピーク」に思える
私にとってのこの曲は最後の砦だったかもしれない
私が創造した(あくまで私の中での)Mr.Childrenの頂点であり
Mr.Childrenが最もMr.Childrenらしく輝いている歌なのです。
<優しい歌 2001年8月22日>
待ちに待ったニューシングル「優しい歌」が発売された
といっても既に彼らのライブで聞いているし、ラジオでも随分オンエアされている
新しくて古い彼らの新譜
いつもなら真っ先に買う私はこの日 1000円出して買うのをためらった
それだけ魅力のあるモノではなかったのだ、残念ながら。
自然と足はCDショップへと向かったけれど、結局買わずに中古で安く出回るのを待つ事に決めた
これがこの曲に対する正直な感想であり、評価なのです。
ライブで聴くと確かにポップで明るく、元気を与えてくれるサウンドに仕上がっている
しかしなぜかいつものような力強さが感じられない
あえて聞いてみたい癖になるような感覚
するめイカのような聞くほどに味が出て耳から離れないサウンド
それらが全く無いのだ なぜだろう???
彼らはこの曲を自らこう言う。新生ミスチルでありポップを再検証した作品、宣戦布告である!!と。
そしてあたりまえの様に、ファンやメディアの間で「最高」と絶賛されている。
でも自分に嘘をついてまで同じ事を言う気にはなれない、自分を騙してまで・・・
ある日突然やって来る衝撃、永遠に心に焼き付けられるその「瞬間」が
いつの日か来るのだろうか?
<Youthful Days 2001年11月7日>
長い、長い「思春期」が終わって、少年達は大人になってしまったのか
「倦怠期を乗り越えたセックスのようなものだ」
なんて書かれたものを見ると、何だか悲しくなってしまう。
確かに30過ぎてまで、長い迷宮を彷徨っているなんて邪道なのかもしれない
イノセントとは喪失する運命だとしても
私は彼らに自分が果たせなかった「想い」を託してしまったのかもしれない
Mr.Childrenは深海という荒波を飲み込んで、消化させて、現在の道に辿りついてしまった
その答が「優しい歌」であり「Youthful Days」なのだ。
「ポップを引き受ける覚悟が出来た」という言葉を改めて考える、ポップっていったいなんだろう?
明るくて歪みのない、耳障り良いメロディのこと?
大衆受けする均整が取れた、真直ぐな音楽のこと??
私も実はよく解かっていない、誰か教えて欲しいものだ
ああポップって奥が深いんだなあ。
もしそんな単純なポップというものでMr.Childrenが勝負するのなら
私は受け入れられない。(いや、そうでない事を願う)
「答はニューアルバムの中にある
これからのMr.Childrenを見て欲しい」という彼らの言葉を信じたい。
<君が好き 2002年1月1日>
確かに綺麗な、美しいラブソングだ
真直ぐすぎる、わかりやすい、これこそがポップソングの王道なのだろうか
ただ欲を言えばもう一ひねり欲しい、どこかで「鋭さが」削ぎ落とされているみたいだ
意図してそれを排除しているのかどうか分らないけれど
「美人は3日で・・・」みたいに、アクが弱いものってすぐに飽きてしまうのよね・・・。
過去の作品のように永遠の輝きを放つ曲と比べると
もっと鋭く、心の中に押し寄せてくる渦潮のような「重厚さ」が足りないように思える
ただ汚れのない純粋な音楽というのは、時として人の琴線に触れる。
「歩道橋の上には見慣れてしまった濁った月が浮かんでいて
汚れていってしまう僕らにそっと、あぁ空しく何かを訴えている」
悔しいけど、この歌詞を読んでいて何故か涙が出た
この素直で真っ直ぐな言葉が、私の心の何かに触れたみたいだ
ああ、こうしてまた「愛という素敵な嘘」に騙されてゆく運命なのか・・・笑。
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