たのしかった性転換ツアー(パクリ)手術体験編6〜ダイレーション
ダイレーション。つまり、拡張工事です。
この時期の傷口は、急速に治癒に向かい、塞がろうとしますので、
維持・拡張をする必要があります。
ダイレーションの大まかな手順説明
ダイレーションセット。鞄が可愛らしすぎて不評。
ダイレーション
ダイレーター
(透明なプラスチックの丸棒)
を、アルコールを浸み込ませた綿
(黄色い蓋の容器)
で、拭く。
↓
ダイレーターに、ゼリー
(青いチューブ)
を、塗る。
↓
ダイレーターを挿入して、止まったとこで、軽く押す。
↓
細いのから順番に、自分の限界の太さまで、繰り返す。 ↑
消毒・抗菌
消毒原液(緑のラベルのボトル)
を、精製水(赤いラベルのボトル)
で薄めて、消毒液を作る。
(水色の容器で薄める。)
↓
洗浄液を、患部全体に降りかけて、外側を消毒する。
(赤いスポイトで降りかける)
↓
洗浄液を、膣内へ、強めに注入して内側を洗浄・消毒する。
(赤いスポイトで吹き上げたのち、吸い取る)
↓
外側の水気をガーゼで吸い取った後、手術の縫い目に沿って、抗生剤(黄色いチューブ。)
を塗る。
(病院では、おまるの上で洗浄しますが、自宅なら、お風呂場にマット引く方が簡単です。)
12〜13日目のこと
ダイレーションに明け暮れる時期の、始まりです。
病院では、朝9時、昼3時、夜9時にダイレーションをします。
とても時間が掛かり、面倒です。
患部に対してダイレーションをするのが怖く感じますが、
10日以上もの間、詰め物がギッシリ入っていたので、
無理に挿入しているという感じはありません。
そうは言っても、簡単そうにやる人は、かなり珍しいようで、
ゆかりさんが、「はやーい!」っと声を上げた程です。
私は、その時、不思議な幸福感を、感じていました。
これは、昔やったのに比べれば、物凄くやりやすい・・・。
えっ!昔って何?・・・。
入院仲間との交流風景
絵:能町みね子さん
だんだん、自由に動けるようになって来たので、
入院仲間の所へ遊びにいくことが多くなります。
ベッドの脇にはソファーがあるので、
そこで、お話すると丁度良い感じなのです。
絵との違いは、私には結構、痛みがあったのと、
ご近所回りを始めた時期が、オープンしてからだということです。
患部に、縫合部が引きつれる痛みがあると、
能町さんのような、お尻が摺れるような座り方は、
縫合部が痛むので、出来ません。
そこで、ソファーにいる私の方が、
ベッドにいるYちゃんのような、体育座りになってしまいます。
絵とは、2人の体勢が逆なんですね。
午前の回診の時間に、ゆかりさんが来たときのこと。
ゆかりさん「えつこさん、見えるよ・・・。」
私「えっ、何が!?」「あっ」
(入院着の裾を、思いっ切り引張って)
私「まだダメ?」
ゆかりさん「ダメ・・・。」
パンチラなんて柔なもんじゃねえ
今まで、ずっと○ンコ晒したまま、お話ししてました。
月岡えつこ一生の不覚・・・( ̄□||||
4人目、5人目の同胞と知り合うことができました。
【なつきさん】
私の次の次に手術を受けた人です。
システム系の仕事をやっていて、派遣社員として勤めた先で、
派遣会社をやめて、個人契約をしたというツワモノです。
今回逢った人の中では、比較的年齢が近くて話しやすかったので、
この頃から、ずっと、なつきさんの所へお邪魔してました。
物事の考え方も私に近いのかも知れない。
それは、危険な性格だとも言えるのですが(^^ゞ
【みささん】
なつきさんの次に手術を受けた人です。
この人もかなり若い人。
何という偶然か、私の両親の故郷の出身だとかで・・・。
小さな田舎町ですから、名前だけでかなり特定できてしまいます。
お互い全国的には多くはない苗字で、故郷にもそこそこ程度という有様。
何処〃の何々さん。確かにおるね。って感じで、お互い警戒してしまって、
全く話しができませんでしたヾ(・・;)
14日目のこと
【蘇った記憶】
オープンの日から、ダイレーション中に、
昔やったことがあるような不思議な感覚に包まれていました。
膣なんてあったはずが無いのにって思っていたのですが、判りました。
察しの良い方は、すぐに判ったことでしょう。
恥ずかしながら、肛門に物を入れて遊んだことがあったのです。
それは、小学4〜5年生の頃のことでした。
本屋で見た、「男と女の体の違い」の本の中に衝撃的な記事を見つけました。
「生まれつき膣の無い女性の治療方法として、木のヘラで膣を凹ませて形成する術があり、
それは、ちゃんと膣として機能する」
SRS後のダイレーションだけを見て、誤解したとしか思えないのですが、
当時の私は、それを信じて挑戦しました。
何故だかは思い出せないけれど、自分の体に膣が欲しいと思ったのです。
家にあったハタキの竹の棒の先端で、押せども押せども凹みなど出来ません。
ついに私は、意を決して、ハタキを股間にあてがい、ベッドから飛び降りました。
その直後の記憶がありません。歩けないほど、痛かったと思います。
そして、その挑戦はその日で終わりました。
その後日に、オカマの技として、肛門でペニスを受け入れる技があることを知りました。
そして、それに挑戦しました。
しかし、小学生が手に入れられるものなど多寡が知れています。
確か、ポン酢のボトルのような空き瓶に、石鹸を塗ってやっていたと思います。
蓋の所は、肛門の中に入るのですが、肩の所から急に太くなります。
蓋の角も尖っていますし、蓋には滑り止めのギザギザまでありました。
痛いばっかしで、少しも気持ちよくないし、肛門の中を洗うのは凄く大変だしで、
失意のまま終わったように思います。
そんなことは、とっくに忘れていたのですが、それでダイレーション中に、
「やったことがある気がする」
「凄くやりやすいし、何でだかとても幸せだなあ」
そういう風に思ったのです。それを思い出して突然、涙が止まらなくなりました。
「やっぱり膣が欲しかったんだ」
「ちゃんと、手術して良かった」
そう思ったのです。
更新日:2009年6月14日
このコンテンツは、
Satomi on the earthさん、橋本佳美さん、山本蘭さん、
能町みね子さん、咲山里菜さんのHPからお借りした画像を含みます。
はっきり言って不正な引用なのですが、なにとぞ、お目こぼしを・・
続くよー(工事中)