壊れたはずのオルゴールが突然鳴り出した。
懐かしい曲が流れ出した。

そこでふと夢から覚める。
オルゴールなんかありはせず。
手のひらにオルゴールがあった。

そこでまた夢から覚める。
永遠に現実へたどり着けない。
嫌な夢だった。

そして、また自分は目覚めるだろう。



浄火−JOKER−


チャンス、チャンスだと? 俺があの世に行くチャンスだ 『Getaway』
政府は発足した。 徒に強権を発動させ、企業の力を削ぎ落とし、人類を導く新たな旗手となるべく。 政府は発足した。 反発はあった。 テロが起こり、争乱が起こり、沢山の、それこそ山積みの人が死んだ。 その度に屍山血河を築き上げる。 政府とは、即ちそんな存在だった。 企業と政府の闘争は、民衆の暴動も誘発し、暴動は殺戮を呼んだ。 その殺戮を繰り返す中、政府は対策機関としてAP、武装警察(Armored Police)を発足した。 『警察』と名が付いているが、構成員は全て軍人である。 自然、鎮圧の方法も、全く軍と同じであった。 そして、政府と軍が批判をかわすためだけに組織を設立した事は見え透いていた。 何より『昼行灯大将』と呼ばれた人間がAPのトップにいる事からも、それは明らかだった。 オールド・アヴァロン経済特区 政府発足以前からの企業戦が表に裏に闘争を繰り広げた場所。 当然の如く、そのお零れに預かろうとする犯罪者も多数存在し、温床となりて数十年である。 そして、最近ではアリーナと言う賭博対象まで設立され、巨額の賭がほぼ公然と行われている。 ある日の朝、マリア・ヴェンナーは裸で寝ていた。 隣に男が居るわけでもなく、彼女は裸で寝ていた。 起きてすぐにシャワールームに入り、熱いお湯を浴びた。 この快感のために彼女は裸で寝ていた。 そしてシャワー室から出るとすぐに制服に着替える。 今日は新任の捜査官が中央から派遣される予定だった。 黒髪、黒靴、黒のスーツと眼鏡という、割とありふれた風体の男だった。 違うのはただ1つだけ、そのスーツにつけられた紋、『武装警察』の印であった。 「身分証を」 身分証を受け取り、機械に通すと、無数のデータが現れ、正規のデータであるという結論を出した。 「はい、どうぞ、この都市は犯罪者だらけですから、お気をつけ下さい、ドレヴィン少尉」 さて、警察署へ向かわねば、そう考えていると。 「ああ、少尉、ロビーへどうぞ、女性がお待ちですよ」 「女性、ですか?」 「ええ、多分署からの遣いですよ」 ああ、なるほど。 「中央政府から派遣されたAPの方ですね、マリア・ヴェンナー軍曹です」 金髪で、黒服を着込んだ女性が言った。 軍歴は少年兵の頃より8年という事だから、かなりのベテランということだった。 「アルフレッド・ドレヴィン少尉です、よろしく」 一通りの、極めて軽い自己紹介を終えた。 「早速ですが辞令が下っています、道案内を兼ねてパトロールに出ろとの事です」 「ふむ、そうですか、わかりました」 車に乗り込むと、彼女はまず都市の主要部へと向かい、一通りの説明をした。 「……で、最後にアレが地方政府の主要部、APのオフィスもこちらにあります、覚えておいてください」 「少し遠いですが……わかりました、地図を後でいただけるとありがたいですね」 「了解しました、パトロールが終わったらオフィスにてお渡ししましょう」 そこまで話したところで通信機が鳴った。 『HQより通信可能なAP全機、応答せよ、応答せよ』 即座にマリアが通信機を手に取った。 「こちらオスカーシエラ、感度良好、どうぞ」 『オスカーシエラ以下、この通信を聞いている近隣の全部隊、チャイナタウンで暴動発生、鎮圧に向かえ』 「規模は?」 『規模は極めて大、状況からスウィフト改型一個中隊を投入する予定』 「スウィフト? そんな機動兵器がでるような状態で普通科のパトカーを投入するの?」 数十年前のネスト崩壊に先駆けて崩壊した二社、クロームマスターアームズとムラクモミレニアム。 その内の片方、クロームマスターアームズの技術者が流した技術から設計された機体だった。 クロームの技術体型は政府の母胎となった組織が入手しており、スウィフト改、スパイトフル改などは政府の戦力となっている。 一方、ムラクモ型技術機である有明、狭霧、陽炎、不知火などは、 ジオマトリクス、バレーナなど企業サイドがどこからか手に入れ、自戦力としている。 どちらも生産性はかなり高く、設計から数十年経った現在でさえ実用状態にある。 『特に危険な区域は機動歩兵の援護の下、暴徒を鎮圧せよ、以上オーバー』 通信は途切れた。 舌打ちしながら通信機を叩きつける、心中穏やかなはずもない。 映画ならここで『Fuck!』とか叫んでるシーンであろう。 だが、通信兵の言っていた事も、おそらくは上層部の指示だろうが、正しい。 世の中、例え兵器がどれほど発達しようと、最終的に歩兵が居なければ制圧は不可能なのだ。 「どうしますか? ドレヴィン少尉」 どはいえ彼女の心中も分かる。 この都市の中華街の総面積は他の人種地区の合計より大きい。 そこに居る暴徒の数は最終的にどれほどまで増えるか分かったものではないのだ。 実際、彼女は顔全体で『No』と言って欲しいと叫んでいた。 「中華街は近いのですか?」 先程の道案内では通る事も、紹介もされなかった。 「ええ、外縁部まではここから10分という所でしょうか」 「ならば行きましょう」 敢えてそう言った。 「暴動は多いのですか?」 「ええ、とても、毎週のように起こってますね」 「中央で見聞きした話ですが、麻薬事件も数限りなく起こっているとか」 「それも、あります、ダッシュボードの中を見てください、証拠品入れになっています」 「これは……昨日の回収分ですか?」 中には大きな袋があり、昨日の日付がラベリングされていた。 「多いな……しかし、これはなんです?」 携帯電話のような大きさの機械と、そこからはみ出た二本のコード、証拠品入れにはそんな物が入っていた。 「最近、ここ数年間で出回り始めたサイバー・ドラッグ『クリムゾン』です」 「サイバー・ドラッグ?」 「はい、従来の麻薬と違い、薬物の投与ではなく、脳に電気信号を与えて脳内麻薬を異常分泌させます。  中毒性は極めて高く、しかも証拠に残りにくい、非常に厄介な薬です」 「……出回り始めた、もしくは押収されるようになったのは?」 「8ヶ月ほど前です、それ以来の普及率は極めて高く、それこそ24時間営業店コンビニエンスストアでも買えますよ」 「そいつはまた……厄介ですね」 「ええ……元を潰さない限り出回るでしょうね、なんと言っても麻薬犬の類が使えませんから」 遠くから銃声と怒号と悲鳴が折り重なった音が聞こえた。 機動兵器の音は、それよりも遠くから聞こえていた。 「車を止めてください」 「どうしました?」 「ここからは単独行動の方が良いでしょう、貴方は乗り気では無いようだ」 「え、それは……しかし、単独行動は危険です!」 プロ軍人としての彼女がそう言わせた。 司令部からの命令無く任務を放棄するような彼女ではない。 「安心してください、生きて帰ってくる事を約束します」 笑顔で眼鏡の青年は背中を向けた。 呆気にとられた彼女が正気に戻ったのは数分後の事だった。 そして彼が目をつけたのは、エンジンがかかったまま放置されている車だった。 運転席に乗り込むと、一度だけ浅く呼吸をし、アクセルを踏み込んだ。 ある場所の事、バットでショーウインドウが叩き割られた。 歓声がわいた。 その近くでは巻き添えを食って倒れている青年がショットガンで足を撃ち抜かれて苦悶している。 ある場所の事、拳法の経験者らしき暴徒が別の暴徒を蹴り倒した。 そして後ろからザウエルで頭部を撃ち抜かれて倒された。 現場に先行したパトカーが火炎瓶で燃えだした。 あわてて飛び出した警官がマシンガンで撃ち抜かれ、倒れた。 熱狂は熱狂を呼び、最高潮に達しようとしていた。 そこにいた60人程度の暴徒は互いに殴り、蹴り、撃ち殺しあった。 そして車が突っ込んできた。 十数人が巻き込まれ、一部は咄嗟に逃げだし、残りの大半は、熱狂を邪魔された怒りで頭がイッパイになり。 生きるチャンスを失った。 極めて普通の男だった。 全体的に黒い色調で全身を覆い、眼鏡をかけた姿は、喪服のように見えた。 三人の暴徒が何やら叫きながら、近づいていく。 二人は銃を持ち、一人は鉄パイプを持っていた。 他の人間は、これから始まる私刑に期待し、ニタニタと笑っている。 銃を突き付けられてなお、男は笑う。 そして、彼の思考は、完全に止まった。 二人の銃口は、発射される前に逸らされた。 一人の銃口は、天を羨むように上を向き。 一人の銃口は、地を蔑むように下を向いた。 そして銃は発射され、虚しく空を行き、もしくは地面に突き刺さった。 その行為を、僅か一動作にてやってのけた男は、その行為の完了と同時に腰を落とし、拳法の構えになっていた。 右腕が直角に折れ曲がった状態で上に、左腕も直下に折れ曲がった状態で下へ。 先程まで直立不動で微笑んでいた男は、左腕を突き出し、鉄パイプを持った男に掌底を叩き込んだ。 同時に踏み込んだ左足を軸に、右にいた男の脇腹に蹴りが叩き込まれた。 そして右足が地面に戻ると、さらにその右足を軸に回転し、左の男の顎に裏拳が叩き込まれた。 かくて男達は倒れ伏し、二人が持っていた拳銃は、いつの間にか男の手に収まっていた。 まるでそこに物理法則があるように。 ちらりと左右の手を見る。 右手にはザウエルP226、左手にはグロック19が手に収まっていた。 重量から判断して、P226は13発、グロックには12発。 拳銃を見てから判断を下すまでの時間は0.03秒、僅かに鈍ったか、と思った。 そう考える間に、次の一歩は踏み出され始めていた。 暴動は変化した。 無秩序に動く暴徒の動きは三つに分かれた。 1つは、怯えのままに男から逃げる者。 1つは、怒りのままに男に向かう者。 1つは、その本性を明らかにする者。 最終確認、全域視認。 状況把握、接近15名、逃亡23名、他10名。 接近15名、火器装備無し、危険度小、完全接近までに殲滅可能と判断。 接近4名の無力化成功。 逃亡23名を認識、危険度最小と判断。 他10名の危険度把握完了、極めて大。 左右五名づつ展開済、装備は全て統一済み、ウジィ軽機関銃と認識。 接近2名をさらに無力化。 軽機関銃攻撃姿勢確認。 緊急回避が必須と判断。 ここまでの時間は0.13秒、『ノルマ』の中でギリギリの時間だ。 判断すると同時に姿勢を低く、低空を跳んだ。 目標は酒場の看板、一瞬の障害物。 背後で軽機関銃が残った暴徒が撃たれている、予測、暴徒9名死亡ないし無力化。 看板の寸前、着地と同時にベクトル変更。 目標、集団『他』の10名の中心位置。 彼等の構え−左肩と右手で銃身を固定しブレを減らすという−の死角から跳んだ場所がそこだった。 中心位置に到着。 そして銃付きの翼Gun with wingは広がった。 武装集団の中心点、それは火点が集中する地点ではない。 『彼と同じ彼等』ならばそれをするだろう。 だが、彼等でない集団にそれは不可能な相談であった。 中心の先には味方が居るのだから。 一般の人間にとって、火線とは即ち乱数的三次元である、どこへ飛ぶかは分かったものではない。 だが、彼等の『確率統計弾道解析』を行えばそれは目標までの一次元でしかなく、火線の先の味方など、意志の外の存在でしかない。 そして、同様の手法をもってすれば、軽機関銃の掃射など、注意さえ払っていれば路傍の石を避けるが如き容易さで回避が可能なのだ。 既に最終確認−位置確認と行動位置予測−まで済ませた相手を再度視認する必要はない。 目標が居るであろう場所へ向けて銃弾が発射され、目標を貫いた。 戦闘外判断介入、情報入手のための生存者を要求、受理。 九人を射殺、戦闘外判断の為残りの一人を再度視認、同時に残弾全てを叩き込む全弾発射。 即ち、残弾10発は、ウジィ軽機関銃へと。 耳元でのウジィの暴発は一瞬の苦悶と脳震盪を誘発させ、容易に人質とする事に成功した。 弾丸の切れた銃を投棄する。 「状況終了、エリア内の暴動鎮圧成功」 彼は、一人呟いた。 遠くからの怒号と銃声が途絶え、マリアは迷っていた。 応援を呼ぶべきか、それとも自分一人でも応援に行くべきなのか。 迷っていると、不意にドアが叩かれた。 「マリアさん、ただいま帰りました」 「あ……お帰りなさい」 迷っていた自分がなんとも滑稽だと思った。 「それで、結局暴動は鎮圧したんですよね?」 敢えて方法については聞かなかった。 「ええ、少なくとも外縁区域は鎮圧したはずですよ」 「分かりました、一応の報告をしておきます」 通信機に向けて報告を入れると彼女は言った。 「ところで、何故人質を? ただの暴徒なら情報なんてありえないと思うのですが」 その人質は、後部座席で拘束されている。 当然自殺も不可能なような拘束方法だった。 「ただの暴徒じゃないと思いますよ」 「ほう、それはまたどうして?」 「彼は確実に戦闘訓練を受けています、それも、恐らくネーヴェルン式の」 「ネーヴェルン、ってあの企業連合軍部隊の?」 驚きのあまり、彼女は敬語を忘れた。 「ええ、あの対人用工作部隊です」 「それがまたどうして暴動なんかに?」 「それはまだ分かりませんが、とにかく署に着いて、報告してからにしましょう、取調室は開いてますか?」 「尋問室の事ですか? 開いています、いつも犯人殺しちゃうから尋問なんて不可能ですし」 「なるほど」 署に戻ると、とても歓迎された。 配属初日で暴動の鎮圧に多大な功績を上げた事や、情報が聞き出せそうな人間を人質に取った事などがその理由だ。 「なるほど、今回の暴動は企業介入の痕跡有りか、分かった、あの部屋を存分に使い情報を聞き出してくれ」 「ありがとうございます、署長」 一応の報告を本部にしておこうと思ったが、失敗であった。 尋問室には、手足を縛られ、目隠しをされた男が居た。 「それではこれから質問させて頂きます、正直に答えて頂ければすぐに終わります、そして身の安全も保証されます」 よろしいですね、と人差し指を立ててから眼鏡の青年は質問を始めた。 「まず、何故あのような暴動を起こしましたか?」 「なんの事だ、俺はただの暴徒だぜ?」 「ま、そう答えるしかないでしょうね、雇われ、忠誠を誓った身ならば」 平然と答えたが、男は僅かに身じろぎした。 「では質問を変えましょう、何故あの場所にいましたか?」 「知らないね」 銃声が響いた。 弾丸は腹部を貫通した。 「正直に答えてくださいと言ったんです、言った意味が分かりませんか?」 9ミリ無力化弾、比較的低速で弾丸を発射し、体内に弾丸を残し、一瞬の苦痛の後の苦痛で相手を無力化させる弾丸だった。 硝煙の匂いだけが漂う部屋に、苦痛の声と血の匂いが漂い始めた。 「会社に、言われた、暴動を、起こして、実験を、行えと」 途切れ途切れの、真実の告白だった。 コレでもし嘘を言ったとしたら、もしくは何も話さなかったら、それこそ人外の胆力であったに違いない。 「では、その実験とは?」 「詳しくは、知らない、それは隊長が知っていて、隊長は死んだ」 「なるほど、そうですか、では、貴方を雇っていた会社とは?」 「話せない、それこそ、話せない」 『この時代にあって、極めて高い忠誠心の持ち主である。』 アルフレッド・ドレヴィン少尉は報告書にそう書いた。 「ふむ、仕方ありませんね」 椅子から立ち上がり、私物入れから幾つかの器具を取り出す。 彼の荷物には、身分証、正装やカード、そしてこの類の器具が入っていた。 ナイフで腹部の傷を引き裂き、素手で弾丸を摘出した。 血を吐いた。 「言いたくなったらいつでも言ってください、やめますから」 彼はそう言った。 拘束具の一部を切り裂いた。 腕が露出し、そこに触り血管の感触を確かめた。 静脈に針が差し込まれた。 微痛、先程の激痛とは程遠い痛み。 「静脈献血です、企業の人間ならば時々やった事くらいあるでしょう?」 当然ながらやった事があった、その血液は自分を含めた前線の兵士への輸血や、実験のために使われていた。 「それでね、この血液の行く先、どこだと思いますか?」 クスクスと、笑う。 腹部の苦痛への感覚が失われ始めた頃だった。 ポタポタと、頭に何か液体が落ちてきた。 この臭いは嗅ぎ覚えがあった。 血液だった。 「人間はね、血液総量が3分の2で危険な状態になり、半分で死ぬと言われています」 怖かった。 「自分の血液が失われ、頭にかけられて、貴方は死にます」 怖かった。 「体験してみませんか?」 叫んだ。 叫いた。 「はい、結構です」 意識が朦朧とする、体中の血液が抜かれ、そんな中叫び、叫きすぎた。 「ご苦労様です、情報は集まりました、貴方の身柄は政府の軍病院へ搬送されます」 それを最後に意識は途切れた。 マリアが彼に呼ばれ、部屋にはいると、そこは血臭に満ちていた。 「こ、これは……」 「ご苦労様です、マリアさん、彼を軍病院へ運んでもらう手続きをお願いします」 彼の物腰は極めて柔らかい、上官という事を忘れ、まるで古くからの知古であるかのような錯覚を起こしてしまいそうだった。 「は、はい、了解しました」 「それから、車を一台お貸し下さい、それから、着替える為の部屋を少しお貸し頂けるとありがたいですね」 だが、この部屋に居る彼は、極めて滑稽だ、手は袖まで血に染まり、その後ろには頭から血を流したようにしか見えない男。 その取り合わせは、極めて奇妙だった。 「車、は分かりましたが……どちらへ行かれるのですか?」 「ええ、ちょっと、エムロード支社に捜査を、ね」 彼は部屋にはいると、まず血だらけの服を全て脱ぎ捨てた。 そして私物入れから服を取り出す、正装をだ。 そう、正装である。 『執行者』の正装である。 そこに刺繍されたエンブレムは、政府の物でも、政府軍の物でも、APの物でもないデザインだった。 APのデザインは中央の円に菱形が四つ、規則的に散りばめられた没個性的なデザインであった。 そして彼の服のエンブレムは十字、白い十字の中央に黒い十字が書かれ、二つの十字の中心点には業(カルマ)とあった。 正装に着替えると、1つ深く呼吸をした。 それからその服から二挺の拳銃を取り出す。 銃のエンブレムも、いささか奇妙であった。 紙に書かれた正方形の中心点を探す方法を御存知だろうか。 ただ対角線を引けば事足りる。 その中心点から端部へ向けて垂線を引き、その上下の点からさらに二等辺三角形を書くように二点へ直線を引く。 それから正方形の線を消す。 そのようなエンブレムだった。 彼はそのエンブレムを堪らなく美しいと思った。 ただの線でしかないのに、堪らなく美しいと思った。 その美しさに恍惚となりながら、装備を1つ1つ確認していった。 ほぼ独断の行動であった。 だが、署長はその強行突入−あえて捜査と言い換えても良い−を許可した。 「第一から第四までの機動歩兵隊は前進せよ、通常歩兵分隊は分隊単位で持ち場にて待機せよ」 投入された面々は『了解』の言葉と共に持ち場へと向かった。 「署長、彼は一体何者なのですか?」 副署長が聞いた。 彼は、AP長官直々の捜査命令条−現地の全APへの命令権を有す−を持っていた。 「わからんがな、先程長官に直接問い合わせてみていくつかは分かった」 ファイルが挟まれたバインダを手渡された。 最初のページから1つ1つ丁寧に読み込んでいく。 そこには彼の赫々たる戦果が大量に書き込まれていた。 オールドザムやオールドガルなどの旧市街地区は勿論、 ソーンガーデンやフォークシティーなどの比較的新しい都市でも多くの事件を解決していると理解できた。 「あのラプチャー占拠事件解決にも関わっているとは……」 だが幾つかの事件の備考欄には気になる一文が書かれていた。 『備考:完全殲滅』 「署長、これは?」 「ああ……犯人が人質をとっていて、通常では事件解決が不可能だった事件の時だな、人質諸共に犯人を射殺している」 そこから先にあったのは無惨な死体写真だった、全て彼のやった事のようだった。 中には明らかに人質であろう少年や少女の写真も含まれていた。 『犯人の胴体ごと首を落とされた』『犯人の心臓を撃ち抜くために喉元を撃ち抜かれた』というように、 当時の状況までの事細かな注釈と共にファイリングされていた。 事務職が中心である副署長はそれだけで車の外へ嘔吐した。 「それからな、もう一つだけ分かった事がある」 「なんですか?」 口を吹きながら副署長が聞いた。 「彼は幼少の折、妹を亡くしているらしい、麻薬中毒者によってな」 車でエムロード本社まで到着した。 APが保有する機動歩兵隊の行動によって、エムロードもかなり混乱しているようで、難無く支社ビルへ到着する。 受付で堂々と聞いた。 「私はAPのアルフレッド・ドレヴィンだ、社長と話がしたい、取り次いでくれ」 続いた反応はごく当然の反応だった。 背後から多数の銃口を向けられた。 「ふむ、捜査協力法違反という事でよろしいか? 強制執行という事でよろしいか?」 受付嬢がカウンターにかがみ込み、銃撃戦が始まった。 ああ、悲しいかな無学なる者共よ。 確率統計弾道解析を旨とする『銃道』、意の境地への到着を目的とする『剣道』 その融合たる『戦道』の前には、そのような銃撃は枯れ葉の囀りも同然也。 即ち、そのような銃撃の前では透明と化す。 戦闘の長期化、それによる残弾不足を懸念し、回避運動を続行しながら、銃ではなく意匠を凝らした二振りの短刀を腰から引き抜く。 確率弾道統計解析による回避術、僅か二歩の移動で安全圏に到着する。 敵武装確認、反動による銃撃偏差探知完了、接近戦への最適移動位置計算完了、終了まで0.04秒。 「上出来だ」 走りながら呟いた。 「撃てfire!」 エムロード部隊への警告が無視されるとほぼ同時に全戦闘部隊は発砲を開始した。 たちまち両者の間で爆発が起きた。 「通常歩兵連隊は機動歩兵との戦闘を迂回し後方へ回り込め!」 「正面、迫撃砲!」 「撃てkill撃てkill!」 車載装備のミニガンであっという間に砲兵はバラバラになって吹っ飛んだ。 「撃破確認、前進だ! 総員姿勢を低くしろ! やられるぞ!」 最前線で、マリア軍曹は叫んだ。 さすがに本社の守りを行う者達だけに、戦闘判断も悪くはない。 前衛が既に格闘戦に移行している。 ほぼ全ての企業が採用しているUMP短機関銃を使い殴りかかってくる。 後衛は前衛ごと撃ち抜こうとしているようだ。 悪くはない、悪くは。 だが、戦道の前には。 銃身ごと鎖骨から一気に脇腹までを切り裂き、同時に最適な回避位置へと移行した。 「侵入者か」 「は、社長、如何致しましょう」 「君の好きなようにやりたまえ、アレの使用も許可する」 「アレ、ですな、了解しました、本日の『実験』の成果もお見せできるでしょう」 「楽しみにしている」 社長はにやりと笑う。 「外の方はどうなっているか」 「は、一進一退という所でしょうか」 「そっちは地雷原だ!」 指揮系統の混乱が危険を増していた。 被害が出る中、指揮系統の再統一のために部隊を再編した物の、再編していた部隊を急襲され、逆に混乱の度合いを深めていった。 そもそも、歩兵部隊再編のために集結した場所が、エムロードが用意した罠の中心点だったのだ。 「右の廃屋! 狙撃兵が居るぞ、迫撃砲でいぶり出せ!」 指揮官の中尉が死亡した状況下で、マリア軍曹は必死の指揮を執っていた。 「通信兵! 援護部隊を呼び出せ! このままでは全滅するぞ!」 「戦車、か」 ビルの二階、直径800メートルの巨大なフロアで、彼は迫る重低音とディーゼル機関音を聞いた。 恐らく三階から下りてくる、この広い階段ならば十分可能だろう。 「だが、早すぎる」 音から判断して、時速200キロは出ているだろう、そのような速度の戦車は…… 「レッドスコーピオンか!」 赤い車体、そしてこの高速性、間違えようがなかった。 20世紀後期に開発された『ブラックイーグル』を基本に制作された超高速戦車。 元々の性能に加え、ACのブースター技術が投入された強力な戦車である。 最高時速300キロ以上という狂気のような速度は、数さえ揃えばACすらも翻弄する。 ただ一台とは言え、人間には圧倒的戦力となる。 衝突しようが機関銃で貫かれようが、人間ならば死ぬ。 機関銃が吼えた。 右後方へ飛び、化粧柱に飛びつき、そこを足場に跳んだ。 天井を足場に戦車に飛びつく。 ポケットから手榴弾を飛び出した。 「戦車というのは……歩兵を援護ないし殲滅する物ではない、戦線の突破こそが至上目的、ならば……」 ハッチをこじ開けた。 「基本を忘れた貴様の負けだ!」 手榴弾を放り込り、再度上へ跳んだ。 爆発音と共に機関音が停止し、壁を突き破り、落ちていった。 再び天井を蹴り、一回転して着地した。 「急がねば……」 息一つ乱すことなく走り出した。 「おやおや、戦車まで撃破するのかね、この侵入者は」 社長は笑う、楽しそうに。 そして社長室に入ると、そこには5人の男が居た。 「エムロード・オールドアヴァロン支社長殿ですな、貴方を政府法13条2項、麻取法違反にて逮捕拘禁させて頂きます」 「ふむ、ノックもできないのかね、APの方、でいいのですかな?」 「私は中央政府より派遣されたアルフレッド・ドレヴィン捜査官と言います、逆らった場合は射殺の許可も得ています、こちらへ」 身分証を手に掲げて言った。 「君は現地企業の人間に敬意という物は持てないかね?」 「社長、支社長殿、私は犯罪者に敬意を持つつもりは微塵もありません」 身分証を服の中にしまい込んだ。 「それこそ雲霞の如き制空戦闘機部隊に襲いかかる単独の爆撃機の勝率並みにありませんな」 「なるほど、ならば仕方ありますまい、専務」 「お任せ下さい、社長」 専務と呼ばれた男と、それ以外の3名が一歩躍り出た。 対して、彼も同時に銃道の構えを取る、弓道の『会』の構えの流れを組んだ『狙』の構えだ。 「君、クリムゾンは知っているかね?」 「勿論です社長、そのサイバー・ドラッグとやらを使えば恐ろしい人間兵器が生まれるであろう事もね」 安全装置を解除した。 「飲み込みが早くて大変結構」 専務が指を鳴らし、戦闘が開始された。 「歩兵部隊を援護する、焼夷榴散弾、発射しろ!」 機動歩兵第三小隊隊長デルタリーダーは叫んだ。 敵兵の頭上で火花が散り、燃えた鉄が拡散しながら降り注いだ。 「敵部隊に穴が開いたぞ! 負傷者を援護しながら脱出する!」 自らも頭部に軽傷を負ったマリア軍曹が叫んだ。 「そいつは死んでる、置いていけ!」 恐慌状態に近い士官学校出たての少尉を引きずりながらマリア軍曹は撤退する部隊を近くの曹長に任せた。 そして引きずっていた少尉を近くの二等兵に預けた。 「生き残った分隊員はこっちに続け、混乱した敵を逆撃する!」 外の激戦が混迷を極める中、社長室での決闘も膠着していた。 9ミリ対人弾、通称『浄火弾』を発射しながら、彼は戸惑っていた。 「さすがに、並の人間では無いですね」 青年の鉄パイプを回避して一度後退し、4発頭部に叩き込んでから言った。 「当然だとも、もはやクリムゾンは新たな段階を向かえているのだから」 「新たな、段階?」 左から襲ってきた女性の腹部肋骨を粉砕しながら言った。 「そう、実験の成果だよ、最早脳は意味を成さない、全身が脳であり脊髄であり目なのだから」 少ない言葉だが、彼は理解した、全身を吹き飛ばさない限り、この3人は死なず、死ねないのだ。 ただひたすらに目標、即ち彼を殺そうとする、クリムゾンとは(そう定義してよいのなら)そういう薬物なのだ。 人体実験の結果とは言え、惨い物だった。 口から涎を垂らし、全身から血を流してなお、3人は向かってきた。 「そうですか、ならば、このようなくだらない実験、終わりにさせて頂きます」 そう言うと、銃のグリップからマガジンがこぼれ落ち、袖口から飛び出たマガジンが瞬時に装填される。 右から飛びかかってきた老人の胸部を粉砕すると同時に崩れ落ちる肩を足場に上へと跳んだ。 「許してくれなどとは言いません、ですが……さようなら」 両手から放たれた合計34発の浄火弾は女性の頭部を貫通し、それは股から床へと突き刺さる。 それは結果として女性を左右に分断した。 グリップを一瞬だけ解放し、銃を袖口に引っ込めると、再び二振りの短刀を抜刀する。 天井を足場に青年へと襲いかかる。 二振りの短刀が両腕を肩口から切り落とし、右からの回転運動を加えながら両足と首を切り落とした。 そして回転運動が終わった時、彼の全身は老人の方を向いていた。 目を閉じた。 だが、それでも、彼は正確に老人をいくつものパーツへと分断させた。 死んでいようと生きていようと、ここまでされたらどうしようもないと言う段階にまで分断された。 血が刀身を濡らす事すらない、完璧な剣舞であった。 惜しむべきは、反応速度が人間のそれを超えていたことだろうか。 「ここまでです、社長、そして専務」 抜き身の剣を向けた。 「ここまで、かね」 「ええ、私にその人間兵器は通用しなかった、例えあなた方がそうなったとて、私は確実に貴方達を屠ります」 専務が銃を向けた。 彼までの距離は15メートル前後、確実に撃ち抜けると思った。 だが次の瞬間、専務の腕は落ち、首は飛んだ。 首は強化ガラスを貫通し、窓の外へと飛んでいった。 「貴方はどうしますか?」 「ここまでされたら仕方がない、ゲームセット、私の負けた」 エムロード社の降伏宣言だった。 『社長より全エムロード部隊に告ぐ、停戦命令だ』 その時、アルフレッド・ドレヴィンは『燃やす』と言う手段で中毒者を供養していた。 その時、マリア・ヴェンナーは敵兵を殲滅していた。 その時、署長、ビリー・ダストンは負傷者の後送を命じていた。 その時、副署長、ガリー・クラウンは周辺地域の被害報告をまとめていた。 その時、男、ヒューリー・ツォルフは軍病院で意識を取り戻した。 その直後、支社長、ブラン・クルーリーは頭を撃ち抜いた。 それは、昼過ぎから始まった作戦が、日が沈む前に終わった事を意味していた。 沢山の軍人達は、疲れきっていた。 沢山の軍人達は、この地に残った。 沢山の軍人達は、夕日を見ることがなかった。 だがそれでも沢山の軍人達の仕事は終わらない。 「現状において続けて作戦行動が可能な部隊、応答せよ」 「チームブラボー、問題なし」 「チームチャーリー、損耗2%」 「チームデルタ、後方にて再編終了済み 「第一普通科連隊、損耗8%、続行は可能です」 「第一普通科連隊、ブラボー、チャーリーと合流しビルへと突入、臨検にあたれ、チリ一つ逃すな」 「アイ、サー」 「チームデルタ、残存している敵軍部隊の投降を受け付け、残務処理に当たれ、抵抗する連中は滅せ」 「アイ、サー」 「残りの部隊は本部へ戻れ、再編については署内で行う」 「アイ、サー」 「副署長、君はここに残って投降部隊の武装解除、その他の処理に当たってくれ」 「了解しました」 こうしてオールドアヴァロンにおけるサイバー・ドラックの供給源が−規模に比してあまりにあっけなく−滅びた。 その後、主力としていた麻薬の供給が完全に断たれた事で、仲介組織は大きく混乱し、その多くがこの都市を離れていった。 その後の下部組織との抗争では、男、ヒューリー・ツォルフの情報によって有利に展開しているという。 彼は、エムロード支社の壊滅によって忠誠の拠を失い−本社に戻る、と言う思考は無かった−APに協力する運びとなったのだ。 彼曰く「私が忠誠を誓ったのは、支社長様だけですから」ということだそうだ。 だが、その抗争にアルフレッド・ドレヴィンの姿はなかった。 彼は何も言わずに姿を消していた。 マリア・ヴェンナーは、少しだけ戸惑い、そして激務の中で彼の事を忘れていった。 それでも、時折彼の事を思い出す、死んだのか、生きているのかさえ分からないから、時々なんでもない時に思い出す。 もしかしたらコレが恋という物かもしれない、でもそんなのは自分のガラに合わないと考えながら。 中央政府専用ステーション内、そこに彼の姿があった。 「アルフ少尉、どうでしたか?」 気品と威厳を漂わせた女性と、その威厳を裏付けるように側近らしき男が−彼自身も高官らしさを漂わせながら−立っていた。 「大将閣下、任務完了し、帰還しました」 敬礼をした。 「そう、妹は見つかったかしら?」 楽しそうに女性は言った。 「いえ、そちらはまだです……失礼します」 悲しそうな顔で、彼は立ち去っていった。 「まだ、彼は妹を捜しているのですか?」 男が聞いた。 「そう、死んだ妹を捜しているのよ」 「彼はあなたの……」 「分かっているでしょう、政府の創設は内密でなければならなかった、企業の妨害を受けてはいけなかった」 眼鏡を軽く掛け直した。 「その為に私たちは『サイレントライン』と言う手段でもって隠匿し続けた」 彼女は言った。 「そして『私』は、麻薬中毒者によって殺された」 彼女は笑う。 「中毒者に殺された人間は政府の高官として生きている」 彼女、昼行灯大将は笑った。 「そして、妹を失った彼は心を病んでなお強くなった」 愉快そうに笑った。 「そして創設され、公開された政府の人間となって妹を捜している、それだけ、それだけよ……」 「名乗り出る事は、しないのですか?」 「どうやって? 私は生きていて、私は貴方の妹よとでも名乗り出る? 冗談じゃないわ」 彼女は歩いていく。 「そう思わないために、私はあの人を、鬼札JOKERを死地へ死地へと向かわせているのよ」 彼女、アンナ・ドレヴィンは空を見上げた。 「そして兄さんは死地へと向かうのよ、わたしを捜すために、ね」 寂しそうに、見上げた。

調子に乗って第二弾を書いてみました、皆さんコンニチワ、geoです。 書き上がっての感想、どこがACの小説なんでしょうか。 アルフ君ACどころかMTにも乗ってませんし、乗ったの車だけで彼は肉弾戦闘ばっかりです、特攻万歳。 死女神書いた後から格闘戦書きたいなぁ、よし、次はちょっと書いてみようと思ったらほぼ全面格闘戦です。 つーかマリアさん目立ってませんな、ベテラン軍人という設定も生かし切れてない気もかなり、反省事項ですな。 戦道とか設定考えたあたりからもう満足しちゃった感が。 でもまあ一応形を作らねばという形でこうなりました。 サイレントライン云々についてはどこかで読んだのですが、 AC2の時代はAC3より後というのを読んだ事があったのでこういう形にしました。 まあ、その、なんですか。 自分一人だけは書いてる間楽しかったですよ?<ひでえ まあ、そんなわけで作品終了です。 例によって下にリンクを貼り付けておきますので、書き寄せに戻ってくだされ。 自分のが気になった方はその下から私のサイトに飛んでください。 それでは、できたら(まず不可能ですが)三作目にまたお会いしましょう。 書き寄せイベント会場に戻る 私のサイト『轟沈』に行ってみる