〜跋文〜 楽団は転がり続ける。 雲の上であろうと海の底であろうと。 分け合い、奪い合い、愛憎に塗れる。 足掻けどもがけど蟻地獄。 おお、偉大なる非我という訳か。 二重奏は屹立する。 互いに自慢の玩具を見せびらかし、互いに嫉妬する。 予定調和の破壊、様式美の否定。 梃子でも動かぬ天の邪鬼。 おお、恐るべき自我という訳か。 どちらも 紛れ無き私。 ガレージシャンソンショー。 奇妙奇天烈なふたりぼっちには、 今 時間と距離が必要なのだ。 ガレージシャンソンショー的世界観に 興味を抱いて下さった皆様。 願わくばそのアンテナに誇りを持って頂きたい。 あなた方の愛は”いばらの道”に吹く追い風であった。 心からの謝辞を送らせて欲しい。 ありがとう。 昨日は消えない、明日は分からない。 季節が訪れたら、その時、又。 二〇〇六年 皐月 ポップでキッチュなガレージシャンソン歌手 山田晃士 |
〜ガレージシャンソンショー活動‘お休み’に寄せて〜 5月の2夜連続単独公演に向け、新たな曲を書こうとしている時でした。 ガレージシャンソンショーとして、ライブという「カタチ」を毎回魅せ続けるためのアイデアが枯渇してきたのではないか、という事実に突き当たったのです。 最初は、以前から少し感じ始めていた曲を書く上での生みの苦しみ、でした。 新曲のアイデアがなかなか出てこない。 しかし、それはこれまで経験した生みの苦しみとは少し異質で、残されたアイデアの数そのものがもうあと僅かしかないのでは、という危機感を伴ったものであ ることに、徐々に気がつきはじめたのです。 そして、もうひとつ気がかりだった2夜連続単独公演という初の試みへの、演出プランのアイデア。これが一向に浮かんでこない。 これをキッカケに色々考えをめぐらせてみると、ガレシャンにおけるアイデアの‘泉’が枯渇してきて、‘泉’の底が見え始めている、としか思えなくなってき たのです。 「いやそんなことはない。まだまだ出来るじゃないか。」 そんな声も聞こえてきそうなのですが、逃げも隠れも出来ない舞台の上で、自分自身をさらけ出している舞台の上で、ウソはつけません。 これまで‘ふたりぼっち’で出来るあらゆることに挑戦してきたし、思いつく限りのパフォーマンスも演じてきたことには、自信を持っています。 しかし今後、これまでのペースで、これまでと同じように中身の濃いライブを作り続けていくことには自信を持てない、ということをはっきり認識したのです。 残念ながら、水を汲みに行かないと、‘泉’が枯れてしまいます。そろそろ底が見え始めているのです。もうそろそろ水を汲みに行かないといけない時期がやっ てきてしまったのです。 とはいえ、もうすべて枯れてしまったわけではありません。枯れる寸前まで、その水は惜しげもなく使いますから、皆で存分に味わいたいと思いま す 。 真夏の太陽が照りつける頃になったら、水を汲みに出かけます。汲みに出かける元気があるうちに。 これまで我々を支えてくださった多くの方々に感謝いたします。 そして今年7月29日のライブをもって‘お休み’することを、お許しいただけますよう、よろしくお願いいたします。 平成18年5月20日 佐藤芳明 |