杭州心源茶樓の琴會 −「意與古會」のために− 



伏見 无家


 杭州心源茶樓の喧騒は、街の雑踏の中のようだった。数えきれないくらい大勢の人々がお茶を楽しんでいた。大きな声で喋る者、笑う者、怒鳴る者。子供たちは走り回り、はしゃぎ回り、柱に攀じ登り、茶碗はひっくり返り、お皿に盛られた木の実はまき散らされ、この広く大きな茶樓に大騒音となって響き渡る。
 はたしてここで琴の演奏などできるのだろうか。
 すでに赤い横断幕は張られ、舞台にしつられた場所には琴台が置かれ、その上に古琴が鎮座している。この騒然たる雰囲気の中で我々は主催者に対し憤りをおぼえていた。いくら大衆のための琴會といっても、この場所がそれにふさわしいのか。
 演奏を拒否すべきか、スピーカーの音量をもっとあげるべきだ、絹絃の琴では無理だ、スチール絃で弾かなければと、この喧騒を前にして我々は話し合った。しかし、私は琴は絹絃でなければならないし、マイクも必要ではないと提案した。この茶樓のすべての人々に沈黙を要請すればそれは可能だと。しかしそれは不可能な提案だった。この茶樓に琴を聴きにきた客はどのくらいいるだろう。ほとんどが午後のお茶とおしゃべりを楽しむためにこの茶樓に来ている。それらの人々にどうやってこの琴を聴かせようというのだろう。どんな琴會でもマイクから音を拡声してスピーカーから流すのが、中国琴界の流儀であり常識である。スチール絃をも用いて、この喧騒に満ちた大衆に向かって闘いを挑むように演奏するのが中国においての琴演奏なのだ。そうでもしなければ大衆の耳に微妙な琴韻は届かない、とそう信じているかのように。まるで琴が悲鳴をあげるように奏でられ、騒音の上にもう一つ騒音を重ね、無理矢理大衆の耳を傾けさせる。私はこの茶樓において、中国琴界の悲劇的運命をみたような気がした。中国琴楽のゆくえは大衆に琴という伝統音楽を広めようという一点に向かっている。それこそが唯一価値あるものとされる。そのためにたとえ多くの琴演奏家を輩出しても、それはまさに古人が常に戒めていた俗化の道を進んでいることにほかならないだろう。そんな絶望感がこのような場所で琴會を行うという意図に感じられた。
 中国著名琴人たちが演奏した別の会場浙江音楽廰もまたこことほとんど変わりない喧騒に満ちていた。演奏が始っても誰も話すことは止めず、携帯電話がひっきりなしに鳴り、それも最前列でその電話に大声で出る有り様。演奏中に席を探し回る者、空き缶を何度も蹴る子供たちが観客席にあふれ、雑然たる雰囲気の中で会場内に大きく金属音の琴が鳴り響いていたのだ。

 中国のテレビ局がこの茶樓に入り、中国全土ではないかもしれないが広く放送されるという。新聞雑誌関係のマスコミも多くいた。あるインタビュアーは私に質問をした。「あなたは演奏家の琴人か、文人の琴人か」と。その質問は、中国一般の大衆は琴というものがある種特別な伝統音楽であり、大衆音楽とは一線を画している音楽だという認識があることを意味していた。私はそのことに少なからず安心した。やはり琴を生んだ国である。琴に対する国民の認知度は高い。そこで私はもちろん「文人の琴人」だと答えた。私の態度は決して不遜ではない。私は演奏家ではないのだ。聴衆に媚びることなく、たとえ技術的に稚拙な演奏であっても自ら娯しむことを善しとしているのである。琴は「修身理性」の具であること、琴を奏でることは古人の心を慕うことにほかならないということを「文人の琴人」という言葉に託したかった。
 インタビュアーは再び質問した。「あなたは琴を演奏するとき、どんな時に歓びを感じるか」と。それはわが意を得たりというべき質問だった。このインタビュアーはかなり琴の勉強をしてきているようだ。私は喜んで答えた。「自分一人で弾いている時に」と。琴は伝統的に自娯の音楽である。聴衆は弾琴する自己と、一人の知音がいればよかった。王を慰めるのは伶人が弾く琴ではない、王自らが弾く琴であった。
 さらに質問は続いた。「あなたは琴が大衆に広まることについてどう考えているか」確かに演奏家の琴と文人の琴の二つの道は伝統的に現代に至るまで存在している。中国において現代にまで連綿と琴が遺され、弾き継がれてきたのは、ひとえに伶人なる職業的演奏家の存在があったからであろう。日本においては何度も絶音の時期があったが、それは伶人としての技術的継承者が存在しなかったせいかもしれない。しかし、中国でも日本でも長い琴の歴史上、琴が大衆に受け入られたという時期は一度もなかったのではないだろうか。琴をいくら大衆に広めようと言っても、この騒然たる環境の中で、琴本来の音楽性「静寂の音楽」を正確に人々に伝えることができるのだろうか。やはりこういう演奏会形式は間違いなのではないだろうか。
 琴は沈黙の中で生まれる静寂の音楽である。琴の美しい微音に耳を欹て、心静かに聴き入ろうとする者に、はじめて琴の音楽は理解できるものである。私にとっては演奏家が奏する琴などどうでもよいことだ。聴衆を満足させるためのプロの演奏は、琴の別の一面にしかすぎない。たとえ稚拙な演奏であっても絹絃を張った琴を慈しむように弾き、古人の意と会そうとする演奏に私は心動かされ、琴の音楽的な感動を味わう。
 西湖琴社の人々もこの茶樓で弾く予定であるが、琴奏者の誰もがこのような場所で弾琴するのは不本意であったろう。いつ演奏が始るのかわからないままに時間は過ぎてゆく。待ちくたびれたのか、この喧騒の渦に嫌気がさしたのか、浙江音楽廟で弾琴するはずの琴人たちが次々と席を立って行く。
 私は舞台に上がった。琴台に置かれた絹絃を張った琴の前に座り、おもむろの調弦をはじめた。音がまったく聞えない。スチール絃ならまだしも微弱な絹絃はいくら耳を琴に近付けても響きは聞えない。私は戸惑った。動揺した。自分にも聞えない琴をどうやって弾けばいいのだろう。私は徽を見て、絃を見て視覚的にしか自分が弾く琴を弾くことができなかった。何も聞えない琴に向かい、大きく一息つくと、静寂が私の中で生まれた。まるで無絃の琴をさするように、私は弾琴し始めた。




『歸去來辭』を弾琴する筆者

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