學琴心得




伏見无家 譯



七つの大病〔『永樂琴書集成』より〕
一、琴を彈ずる時に、体を揺らしたり頭を動かしたり、姿勢悪く坐ること。
二、目は余所を見たり、耳は別な方に向いたり、左右や上下をかへり見ること。
三、顔色を変へたり、表情は定まらず、恥づかしがり、人目を気にしたり、歯を食ひしばること。
四、息を荒げ、気分は粗雑にして、体の動きは硬く、心と体は離れ離れになること。
五、上手に彈いてはゐるが、演奏が大雑把であったり、あるひは違ふところを押さへ、音程がくるってゐたり、その響きは喧しく乱雑で、五音がずれてゐること。
六、調絃は整はず、音程は律に適はず、演奏に誠意が無く、雅びな調べが聞こえて来ない。
七、曲を彈じ調べを奏する。それがゆっくり過ぎたり、早すぎたり、句章が合はなかったり、小節を知らなかったり、妄りに古しへ人の心を今に改めてしまふこと。

五功
指の運びが合ってゐること。
彈奏が雑ではないこと。
吟揉(ビブラート)が大袈裟ではないこと。
起伏が順序立ってゐること。
演奏に張りがあること。

五能
坐は安定させる。
視線は専ら集中させる。
心は静かにさせる。
精神は鮮明にさせる。
指の運びは正確にさせる。

五不彈
大風が吹き、雨が激しく降ってゐる時は彈かない。
町なかでは彈かない。
俗人の前では彈かない。
立ったままでは彈かない。
服を着ず冠をつけずには彈かない。

八絶
肘や肩を曲げず、下に向けること。
手や指の骨や節を露はにしない。
指法は爪や指の腹を相兼ねること。
小節に渡る時、音を断絶してはいけない。
またゆっくりと、また早く。
人が側にゐても、人を気にせず。
心は他のことを思はない。
調絃はほんの少しも違ってはならない。

十善
演奏は淡として古意に合ふこと。
演奏は規矩に当たること。
軽きは浮薄ならざること。
重きは粗ならざること。
演奏に勢いがあること。
指を走らせるのは自然なること。
力んで彈くもわざとらしくないこと。
自由に彈いて平然としてゐること。
ゆっくりでも音が途絶えないこと。
早くても乱れないこと。

十要
一、心は散漫にならないやうに。
二、きちんと音律(メロディ)をわきまへる。
三、奏法ははじいたり引いたりし。
四、演奏はいさぎよく。
五、指の運びはかさならず。
六、音色は軽きと重きとあり。
七、節奏はゆっくりであったり、急であったりする。
八、重きと低きと起伏あり。
九、絃を調へるのは正しく和すこと。
十、左右の手を正しくまとめる。

五病
指の押さへ方が悪く拙いこと。
挑摘の彈き方を取り違へること。
奏法が円滑ではないこと。
正しい演奏になってゐないこと。
演奏の仕方が狂ったやうに激しいこと。

五繆
頭や足が揺れ動くこと。
妄りに視線を走らすこと。
曲を忘れ中途で止むこと。
精神が散漫であること。
気だるさうに演奏すること。

五誡
精神は清く心は平生をたもつこと。
端座は石の如くあること。
徽を押さへるも徽が無いやうであること。
徽を見ずとも間違へることなく。
遅速軽重は一々みな当を得てゐること。

九不祥
音を出さずに正しき音を得ようとする。
泛音や按音が度に過ぎる。
調絃せずに演奏に入る。
五音が整ってゐない。
演奏が素直ではない。
緩急の次第が違ふ。
吟揉が適当ではない。
曲を忘れ慌てる。
奏法を知らずして人に教へる。

十疵
淡々としてゐるが拙である。
音節が多けれど雑である。
軽く彈いてゐるが模倣のやうである。
重く彈いて音が内にこもり過ぎること。
自信無く演奏する。
逸(はや)けれど中途でつっかへてしまふ。
力んで固くなる。
勝手気ままに演奏する。
ゆっくりであるが暗い。
速き演奏にして内容がない。

十悪
一、手を洗はずに演奏する。
二、調絃せずに演奏する。
三、曲に旋律無く演奏する。
四、手を無駄に動かし演奏する。
五、道を同じくするのではない者と演奏する。
六、道を同じくする者を迎へずに演奏する。
七、塵を払はずに演奏する。
八、笙の笛を伴奏に演奏する。
九、悪しきを改めず演奏する。
十、恥づかしがって人に奏法を教へる。

琴中七宜
知音に対し彈くに宜しい。
広き家にて彈くに宜しい。
たかどのに升(のぼ)りて彈くに宜しい。
山谷に憩(いこ)ひて彈くに宜しい。
汀(みぎは)に船を浮かべ彈くに宜しい。
松の下や竹林にゐて彈くに宜しい。
清らかな風が吹く明月のもと彈くに宜しい。

琴中七不宜
汚れた琴机では彈くに宜しからず。
手を洗はざれば彈くに宜しからず。
香を焚かざれば彈くに宜しからず。
烈しき風や大雨の日は彈くに宜しからず。
精神が疲れ気分がだるい時は彈くに宜しからず。
演奏が派手で笑ひながらは彈くに宜しからず。
知音に遇はずに多くは彈くに宜しからず。

彈琴有七要〔『誠一堂琴譜』より〕
一に曰ふ、琴を學ぶものはその風格がさっぱりとし、清く爽やかでなければならない。穢れた俗気は無くして、聖人の雅びな音樂と相適ふを佳しとする。
二に曰う、琴を所持する者はそれに九徳が備わなければならない。並みの材を以てしはならない。九徳とは、めづらしいこと(奇)、古めかしいこと(古)、よくとほること(透)、うるほってゐること(潤)、しづかなること(静)、ととのへること(匂)、まどかなること(圓)、きよらかなること(清)、にほやかなること(芳)、である。
三に曰ふ、演奏は落ち着いて静かに、荒々しくてはならない。躁勾刎(琴の奏法)などの指法は確かにし、宮商などの音程も錯まり乱れてはならない。
四に曰ふ、曲調は雅びやかに正しく、婬りがはしい音曲を挟んではならない。
五に曰ふ、俗奏をしてはならない。古人の高き風格を疵つけてしまふが故に。
六に曰ふ、音色ははっきりと、純正を得なければならない。
七に曰ふ、琴を聴く時は静かに思ひかんがへ、派手な音色を求めてはならない。

琴が宜しきところ〔『太古遺音』より〕
官にある者、世を遁れた者、儒學者、道士、徳ある者、これら五者はその雅において聖人の樂にかなひ、琴を彈ずるに相応しい。官にある者は大雅聖徳の歌を鼓し、世を遁れた者は流水や高山の調べを操し、儒學者は平和で清らかな治世の音を撫し、道士は風を御す飛仙の曲を操し、徳ある者は枯淡にして清虚の吟を彈ず。すなはち琴を鼓すには、伯夷叔齊兄弟や柳下恵の流れを汲む者でなければならないのである。
 詩人や客分としてをる者、旅人、あるひは未亡人、これらは皆、琴にこころを寄せ、その思ひを伸びやかに樂します。古人は皆これを尚んだのである。
 琴を學ぶものは、必須の条件として文學を有し、詩をよく吟ずる者でなければならない。その姿容貌は、必ず清らかであること、古めかしく威厳あること、俗人であってはならない。
 その心には必ず仁義、慈愛、美徳を有し、よく貧に甘んじ、志を堅く守る者でなければならない。
 その言葉には、必ず誠があること。軽々しく華やかで虚飾があってはならない。
琴を鼓すには、必ず明るい堂内、静かな室内、あるひは竹林の中、松の木の下を擇ぶべきである。ほかの場所は宜しくない。

琴が忌むところ
 心中に徳無く、口上に髯無く、胸中に詩が無い者。これら三俗は琴を鼓すべきではない。武士の家も琴を鼓すに相応しくない。武士はすなわち戦を旨とする。聖人は兵を以て凶器と見做す。それ故に武士は琴を鼓すのは宜しくない、と言はれるのである。武将の家には琴の音が聞こえない。戦の準備をし、金具の音が喧しい。だからこそ、さう言ふのである。
 商売として琴を鼓すべきではない。琴は本来、聖人が身を修め性を養ふ器なのである。貧に甘んじ、止むことを知り、止めどない快樂を戒むのである。商売といふのは利益を求め、ものを惜しみ貪ることである。市井の庶民は聖人の道に反する。それ故に琴において宜しくないと言ふのである。  役者(演奏家)は琴をあへて鼓すべきではない。昔は伶人といふ音樂家がいゐた。琴は俳優や芸妓のものではない。漢代や唐代では神樂の官がこれを司ったのである。後代に至り、俳優が竊かに伶人と名乗った。これはまことに笑ふべきことである。琴は切に、役者(演奏家)がこれを鼓すことを忌む。聖人の音樂を穢し疵つけることを恐れるからである。また何をか況んや、聖人が琴を抱くにおいてをや。
 國人にあらずして辺郷にあり、外國語を話す者。その音樂は正しいとは言へない。どうしてよく聖人の正しき音樂に合ふといふのか。だから琴を鼓すには相応しくないのである。琴は本来、中華の賢人や君子の養性修身のための音樂である。異邦にてあるものではない。文明の無い國において琴は宜しくない。
 百工の技芸の人、皆これを俗夫といふ。俗夫の材をもって、聖人の琴を鼓す。これは聖人の器を辱め疵つけるものである。ゆゑにこれを忌むのである。
 腋臭、口臭のある者、琴を鼓すに相応しくない。これ聖人の器を穢し疵つけるものである。ゆゑにこれを忌むのである。



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