今を生きる
レクイエム 白鳥の歌
この屋根裏を準備をしている間、ずっと迷っていました。
治ろうとしている人、希望をみつけたい人に、「死」について話していいのかしら? うーん。
そして、お話することに決めました。気持ちを整頓してみたくて。それに、私に大切なことが他の誰かにも大切だということだってあるかもしれません。
気乗りのしない方は、次のページへ跳んでくださいね。サバイバーシップへ ジャンプ!
レクイエム
一年半の間に、ガンや白血病の友達、姉のような先輩、従兄 . . . 大勢の大切な人たちが 逝ってしまいました。悲しみが癒えぬうちに次の悲しみがやってきて、何度もくじけそうになりました。
見届けることが苦しくて、生き残ることがつらくて、できるものなら代わりたいと思いました。けれどそれは誰にも許されません。ただ泣いて祈るだけです。
みんなで一緒に治りたいけれど、いつかそういう時代が来ると信じているけれど、今はまだ叶わないことがあります。せつないけれど、これが私たちの現実です。
愛する人たちを失った痛みは消えません。それでも、その一人一人が最期まで輝いていたこと、とても彼らしく彼女らしく、ふさわしく生きて亡くなったことが、私の誇りです。
それぞれが残してくれた、哀しいけれど、すがすがしい感じは、ずっと心の支えです。
2001年6月25日
もう一度、雨の中を歩きたいな。
泥ハネなんか気にせずに、水たまりの中をジャブジャブ歩きたい。
雨の匂いも音も濡れることも、ぜんぶ楽しむの。すてきでしょ!
晴れの日も、雨の日も、曇りの日もあったけれど、私はわりあい雨の日が好きだったのよね。
「雨の日と月曜日は」って知ってる? カーペンターズのきれいな曲。憂鬱って言いながら、どこかで憂鬱を愉しんでるような。
私がいなくなっても、春が来て夏が来て、晴れたり降ったり曇ったり . . .
自然の営みはずっと続くんだって思うと、不思議ね、とても安心するの。
またお便りします。やみぃちゃんも お大事にね。 −S−
心配はいりません。
それ程痛みもないし、気分はずっといいです。子どもたちのことを考えるとつらいけれど . . . 。
ようやく死と和解ができたんだと思う。信仰がなかったら、もう少し苦しかったかもしれない。
チビたちのために書き溜めたノートは8冊になりました。
きっと下の娘はほとんど記憶が持てないと思うから、私がどんな人間だったか知ってほしい。どんなに愛しているか、どんなに大切か . . . 。
あの子たちの未来の恋人にまで書いたのよ。うるさい母親だわね。
これからサナギか繭になるんです。地上を這い回る苦しさから自由になれる。素晴らしいわね。本当に蝶みたいに飛べるんだもの。どこへでも行けるのよ。
あなたのところへもお邪魔するわね。ちゃんと私に気づかなくちゃダメよ。
いつかまた天国でもオシャベリしましょう。
ただしあなたは「うーんと後から」来なさいね。少なくとも40年は後で! 約束よ!
やみぃ、もしも将来、子どもたちが望んだら話してくれますか。
私のことをあなたからも。お願いします。 −A−
きれいなカードをありがとう。壁中に飾っているのよ。
秋になって、穏やかで平和な時間を過ごしています。毎日をそして私の人生を神に感謝しながら。眠っても美しい想い出ばかり夢に見ます。あなたにも懐かしい田舎の風景や子どもの頃の私の姿を見せたいわ。
もうすべてを受け入れる時期が来ているのが分かります。
ただね、これを言うと周りの人たちが落胆するの。私が「諦めてしまった」と思うのね。だからなかなか話せません。
決してギブアップではないの。私は最後まで希望を捨てたりはしない。受容と希望とが共にあることを説明するのは難しいわね。
それでね、時々はわがままを言ったり、拗ねてみたり、今まで通りのフリをしています。(笑)
ヤミィ、あなたには知っておいて欲しいの。一緒に喜んでくれるでしょう。もう恐れはありません。
今、ずっと憧れていたやすらぎが、私の心の中にあります。 −E−
僕の肝臓はますます悪いらしい。
ずっとシャバでいい思いしてきたんだから仕方ないやな。もう一度ゴルフに行きたいけどね。
あはは、諦念とか悟りにはほど遠いなぁ。でも、俗っぽく死んでいくのも案外いいかと思うんだよね。あっちにも知り合いが結構いるんだし、親父やお袋にも会えるんだろうし、とかさ。
本当はね、できたら海とか山奥とかで最期を迎えたい。
ずっと殺生してきたわけだから、鳥や魚の餌になって、プランクトンやキノコの栄養にもなって、自然に還元されたなら本望なんじゃないかと思うんだ。
まあ、今の日本では無理だけどね。(笑)
ガンていうのはいろいろ準備ができる。そういう意味ではいいものだと思うよ。僕としては、事故であっけなくというよりも好きだね。良かったと思っている。
だから貴女も泣かなくていいのさ。それよりも、自分の体をうんと大事にしなさいね。
それから家内のこと、頼みます。 −T−
やみぃ、体調はいかが?
ドクターはもう一度抗ガン剤投与をと勧めますが、お断りするつもり。もう十分だと思うの。2ヶ月か3ヶ月延びるよりも、少しでも私らしくいる方がいいわ。これ以上つらいのはイヤだしね。(笑)
もっともっと「愛している」と言えばよかった。もっともっと「ありがとう」を言えばよかった。入院中45年の人生を振り返りながら、そんなことばかり考えていました。
今ね、家の中の整理をしているの。ポストイットに友達やみんなの名前を書いて、この額は誰に、この人形は誰にって、片っ端から貼りつけてる。とっても楽しいわ。
昔、祖母がね、「アタシが死んだら、この指輪はMにあげるね」なんてよく言ってた。私はさ、「イヤだ、おばあちゃんたら縁起でもない。指輪なんていらないよ。」って答えてたの。
今思うと、祖母も楽しんでいたのよね。もう少し喜ぶべきだったわ。 「うん、おばあちゃん、私その指輪が大好きよ。大事にするね。」って。その方がきっと嬉しかっただろうなぁって。
祖母の指輪はやはり娘にと思ってる。たぶん彼女も「縁起でもない」って言うんでしょうけどね。(笑)
とにかく残りの時間で、ありったけの「愛している」と「ありがとう」を言って歩こうと思うの。
今ね、とても充実した時を過ごしてる。
まるで今までは生きてなかったんじゃないかと感じるくらいにね。
さっそくだけど、やみぃ。ずっと大好きよ。そしてありがとう。 −M−
Requiescat in pace.
あなたに逢えてほんとうに良かった。
あなたと同じくらい真に生きたいと祈ります。
白鳥の歌
死や死後の世界に関しては、いろいろな考え方があります。
大きく分けると、人には魂や霊と呼ばれるような、肉体と独立して純粋に精神的なはたらきをする何かがあるという考え方と、そうしたものは存在しないという考え方の二通りでしょうか。
魂として、極楽浄土や天国など愛に満ちた楽園へ行く。夜空の星になって輝く。地球に残って愛するものたちを見守る。別の存在に生まれ変わり次の時代を生きる。それとも、魂などなくて、死とともにその意識も消えてすっきりと無になる。etc.
実際はどうなるのでしょう? どの説もステキな感じがします。
A さんが待っているから天国に行きたいし、T ちゃんと一緒にキノコの栄養になる夢も見たいし、よく分かりません。
「私はどれでもいいな。」と言うと、
「何故そんなに無頓着なの? 」「分からないと怖いでしょ? 」と、時々訊かれます。
こうした質問の意味が飲み込めません。
「分からないから、怖くない」だろうと思うんです。分からないことには、頓着したくてもできないですよね。違うかな?
私には自分の死は理解できません。まだ経験していないから。
それで、怖がりようも憧れようもないのです。
たとえば、知らない人のことは好きにも嫌いにもなれません。会ってみるまで決められません。噂はうわさであって、ホントのこともウソのこともあるし。 - smile -
死後のこともそれと同じで、知らないから怖いと思えないのです。
死にたくはありません。すごく悲しいもの。けれど怖いのとは別のような気がします。
いつかその日が来て、魂があるのなら、どの説が真実かを知って、私(の魂)は嬉しいでしょう。
もし魂がなければ、知ることなく静かに無になるでしょう。
ううん、無とは少し異なります。
たとえ私が死んで骨や灰になっても、地球の一部には違いありません。草の種や雨のしずく、石ころや土がこの星の一部分であるように。
現在も、死んだ後も、私だって、小さな小さな「星のかけら」。
そんな風に感じるとき、なぜだかとても幸せで、優しい気持ちになります。
悲しい時は悲しいなりに、楽しい時は楽しいなりに、生きていることを実感しながら、今という時を過ごしたいと思います。そんな時を紡ぎあわせて一日が作れたらステキです。
そして、あすの朝もまた目が覚めて、生きていられたらとっても嬉しいな。
そうした歓びを、先に逝った人たちがみんなで教えてくれているように感じます。
この星に、この時代に生まれて来てよかった。あなたに逢えてよかった。
「ありがとう」じゃ、全然たりないけれど . . . 、ほんとうにありがとう。