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*周りの人たちへ

患者さんのご家族やお友達に向かって、患者側の私が発言することにためらいを感じます。
けれど、「がん患者にどう接していいのか」とよく訊かれますし、実際に、周りの人たちのための情報はあまりに少ないので、少しだけ頑張ってみます。

心配する側の経験と、仲間や彼らの周りの人たちから教わったこと、そして私自身が病気になって得たたくさんの思いやりと応援を基に、この章を作ります。

     ― ずっと私を支え続けてくれている人たちに、感謝の気持ちをこめて。





* 親しい人たちへ


ガンは、患者個人だけでなく、彼や彼女の家族、恋人、友人など、すべての「親しい人たち」に強烈な打撃を与えます。共に生活する人々は、患者中心の生活を強いられ、心も体も疲労していきます。彼らの時間は奪われ、経済的な負担ものしかかり、愛するが故、患者の苦痛を取り除くことができないことに、無力感を感じ・・・
  (なんだか硬くなってしまいました。どこかのテキストの真似をしてもダメですね。モード換えます。)


あなたは今、患者のために一生懸命で、ご自分のことを考える暇などないかもしれません。忙し過ぎると気づきにくいのですが、あなた自身も大きなストレスを抱え疲れていることを知っていてください。

あなたにも患者と同様に支えが必要です。もしかしたら私たち以上に必要です。
できるだけ多くの人々に手伝ってもらってください。心配やつらさを分かち合える人と話してください。

患者に腹が立つ時は、こらえずに腹を立ててくださいね。
怒りは蓄積すると大きな負のエネルギーになってしまいます。息苦しくならないように、悪い感情も不平や愚痴に換えてほしいのです。

(万が一、「こんなの嫌だ! 」などと思ったとしても、自分のことを責めないでください。私なんか看護していた時には何度も逃亡をはかりました。疲れ過ぎるとそんなことだって考えます。それはきっと「休憩なさい」という最終サインです。)

できる限りの気晴らしをしてください。趣味や娯楽を全部あきらめたりしてはダメ。手を抜けることはがんがん手抜きをして、一日に 1 時間、いいえ 30 分でも、自分だけの自分のための時間を作ってください。

愛する人が苦しんでいる時に遊ぶだなんて以ての外、忍びないと感じるかもしれません。
それでも休んでほしいのです。ガン患者と一緒に過ごすのはハードな仕事です。高く評価されるべき仕事です。有給休暇を取ることくらい当然の権利です。


第一、あなたは「かけがえのない人」ですもの。
あなたの仕事の代わりはできても、あなたの代わりは誰にもできません。

もしも、あなたから笑顔を奪うようなことがあったら、患者は悲しくてやりきれない。私たちにはそれが何よりもつらいことです。

どうか病人以上にお体を大事にしてください。そして、いつも、ありがとう。



* 何を言えばいいのか分からない?


見舞いに行かない(行けない)、連絡をしない(できない)理由の一位は、「だって何て言ったらいいのか分からない」でしょう。接し方が分からない、とか。そして、多くの人がそう思ってしまうことが、多くの患者を孤独にしています。

何も言わなくてもいいのに、と思います。
それとも、「何を言えばいいのか分からない」んだったら、「何を言えばいいのか分からない」って言えばいいのにな。どうして難しく考えちゃうのかしら。

顔を見れば、黙っていたって心配していることや好きだということは伝わるのに . . . 。

たぶん、なぐさめようとか、励まそうとか、気を遣い過ぎているのです。それで、明らかに痩せてしまった人に、「ちっとも変わらないわね」「元気そうで安心したわ」なんて妙なことを言ったりするんですよね。

ただ、「会いに来たよ」とか「調子はどう? 」って言えば、相手だっていろいろ話しやすいと思うのに。その時、そっと手を握ったりしたら、100%AOKって 感じです。

抱きしめてくれたり、キスだったりしたら、私はもっと嬉しいな。(笑)



そもそも「なぐさめる」ことと「励ます」ことは違います。

たとえば、親しい人を失った時は、「残念だったね」「淋しいだろ」と寄り添ってもらえたら嬉しい。「気の済むまで泣きなさいね」「つらいわね。落ち着いたら彼女の想い出を聞かせてね。」などと言ってもらえたら安らげます。

そんな時に、変にはしゃいで振る舞ったり、無理して明るい話題を提供して下さらなくても . . . 。
「しっかりなさい」ともあまり言われたくありません。なんて思うのは私だけかしらん?

二つを混同しているか、タイミングを間違えている人が時々いるみたいです。





とにかく、見舞いの時は、いい影響を与えようなどと気を遣わなくていいと思います。
ただ一緒にいて、気持ちや時間を共有する、それだけで十分です。

自分が「必要とされている」「愛されている」と実感できることが、きっと何よりのなぐさめで励ましだもの。




 現実的な応援


「手伝いたいけれど、どうしたらいいの? 」と考えている人へ。

まず「できること」をリストにしてください。

車を出す、子どもを預かる、買い物、家事、犬の散歩、調べもの、共通の友人への連絡係 . . . 、相手のために実際にできることを考えます。

手伝える曜日や時間帯もはっきりさせて申し出れば、話がはやいです。

「何か役に立てることがあったら連絡してね」「必要なものがあったら何でも言ってね」
これらはすごく懇意な人の言うセリフだと思います。相手が控え目な場合は、たとえ親しい間柄でも、なるべく具体的に提案してください。

たとえば、「何か欲しいものはある? 」には、たいてい「ありがとう、お気持ちだけでいただくわ」が返ってきます。けれど、「林檎とバナナ、どっちがいい? 」と訊かれたら、「オレンジジュースが飲みたい」って言えるかもしれません。




私は車に乗れない(免許がない! )ので、病院などへの送り迎えは本当にありがたいです。運転する人でも体調の悪い時には乗せてもらえたら安心でしょう。

自宅で寝ている時の「お総菜の差し入れ」も感激でした。近所の友人たちが「ちょっと作り過ぎちゃったから食べてね」などと言って届けてくれるのです。何度も泣きながら食べました。

パジャマや、前開きでボタンの少ないブラウスやカーディガンも助かりました。
(検査や治療で脱いだり着たりが忙しくなって、私の手持ちの服はどれも着替えには向かないことが発覚しました。ハイネックのセーターや後ろボタンのものが多かったのです。)

そして、絵本や花束、CD、縫いぐるみ、口紅、ネイルカラー etc. すべてのプレゼントが本当に嬉しいです。きれいな色のものは、たとえ使わなくても眺めているだけで楽しくなります。


相手の状態、趣味や好みが分かると応援もしやすいと思います。直接、様子や要望を訊けるといいですね。





F さんは、遠い故郷の友人から手紙を貰いました。中には「当たったら山分けしよう! 」と書かれ、宝くじが添えられていたそうです。

「残念ながら当たらなかった。でも大事に取ってあります。僕にはずっと宝のクジなんですよ。」


乳ガンで5年経過の G さんのところには、「長い道のりを半分来ましたね。おめでとう! 」と、きれいな絵はがきが届いたそうです。昔の職場の仲間からでした。

「ずっと気に掛けてもらっていたことが、その気持ちが嬉しくて、泣けてしまったわ。」
そう言いながら G さんはまた涙声になっていました。


私自身も、友人からの電話やはがきや電子メールが、どんなに嬉しく、どんなに待ち遠しいか . . . 。それはもう言葉では言えないほどです。

大切なのは形ではなくて、やっぱり温かい気持ちだと思います。


応援には、想像力と柔軟性が大切です。
一度くらい「お気持ちだけありがたく」と言われても、めげないねばり強さもでしょうか。
でも無理はしないでください。無理したら楽しくありません。義務感だけでは長続きしません。



イエローカード/避けたいこと


優しい気持ちはほとんど通じます。けれど中には「困るなぁ」と思うことも少々ありますので、箇条書きにしてみます。


知ったかぶり

腫瘍学の専門家でない限り、病気について講義はしないでください。
生半可な知識でものを言うと相手を混乱させます。たとえば同じ乳ガンでも、閉経前と閉経後、体質、ガンの種類・大きさなどによって手術の仕方も治療法もいろいろです。「Aさんはこの薬で治ったから、あなたも」などと言わないこと。


断言

「絶対に治る」「再発(転移)はしない」と軽々しく言い切ることは避けてください。
このような言葉が、「絶対に治ると信じている」「きっと再発なんかないよ」などと似てはいるけれど全く違うことを理解してください。

医師は「絶対に治る」とは決して言いませんし、「絶対に治る」ものはガンではありません。人によっては下手な気休めと受け取ります。安易に使うと、「再発はしない? じゃあ、なんで10年間も検査がいるのよ?」「何故、あなたに分かるの?」と、気持ちを逆なでしてしまうことがあります。


否定

患者の信じているものは、代替療法・健康食品・神仏・まじない・うらない・・・何であれ、頭ごなしに否定しないでください。たとえそれがどんなに訝しく危ないことだとしても、時間をかけて説明なり説得をしてほしいのです。

ましてや、患者が受けている(受けた)治療を否定するなど論外。かかっている病院や担当医師を批判することも禁止です。

(私は、妙に健康志向の人々から「手術なんか必要なかったのに」などと言われる度に、虫酸が走ります。そう考えるのは自由だけれども、何もすでに手術を受けた人間に言うことはないと思うの。ああ、また虫酸が!  (笑)


押し売り

健康食品や宗教など、無理強いだけはやめましょう。
別の病院やサポートグループの紹介、知り合いの患者さんを引き合わせることも、相手の意向を確認してからにしてください。一人一人考え方も、感じ方も違います。

どんなに良いものでも、相手が望むとは限らないし、友達の友達はみな友達、のはずがありません。

(あーイヤだわ、馬鹿みたい!  こんな当たり前のことは書きたくありません。でも仲間のほとんどが実際に嫌な思いをしているのです。もっといい先生を紹介するとか、ナントカ教のお誘いなどのお話で。 だから4つ目に入れておきます。)

(そういえば、私が放射線治療を受け始めてすぐに、某保険屋さんがやって来て「そんな病気になって心配だろう。寝たきりになった時の保障で、今からでも間に合うものがある。」と言いました。もしもし? いくらご商売とは言えあんまりじゃなくって? 副作用ではない「吐き気」がしちゃいました。そのまま、ゲロかけちゃえば良かったわ。 ― ゴメン、冗談です。(笑)

いろいろな勧誘や提案は、今の環境に満足しているか、新しいことに興味があるかどうか打診してからにしましょう。

  (追伸: 健康食品やお守りは、プレゼントなら、もちろんとても嬉しいです。)




以上、反則イエロー4箇条でした。


「患者の気持ちは、患者にしか分からない」というのは です。
想像力と思いやりがあれば誰にだって「ほとんど」分かるし、それ以上のことは患者同士でも分かりません。



* 少しずつ、一歩ずつ


北米やオーストラリアの友人たちの話を聞くと、正直羨ましくなります。

「週末や休暇中に連絡が取れないような医者は失格よ」
「患者向けにお化粧のセミナーがあって、カツラもくれるの」
「ソーシャルワーカー、カウンセラー、聖職者がいなければ病院とは呼べない」 etc.

信じられないような話ばかり。カルテの開示は当たり前。病気の親や兄弟姉妹を持つ子どもたちのための自助・支援グループだってたくさんあるんです。

(病院にいる神父や僧侶たちは、宗派の違い信仰の有無にかかわらず、誰の話でも聞いてくれるそうです。)

もちろんすべてが素敵な訳ではありません。
アメリカには国民健康保険制度がないので、高価な保険を持っていない人は、治療が受けられなかったり、病気のせいでいきなり貧乏のどん底になったりしています。友人は治療費のために家を手放しました。


けれど、こと精神的なケア、社会の理解という点で、日本はずいぶん遅れていると感じます。もちろんそれは、ガン患者のサポートに限ったことではないけれど。

「一昨年日本に行ったよ。東京は楽しいね。そういえば五日間、車椅子の人に一度も会わなかったけど、どうして? 」
返事に困ることが多く、そして、とても淋しいです。


長い間、病人やお年寄りや身体や精神に障害を持った人たちは「家の中」で生きてきました。
家という制度が壊れて暮らす場所が病院やホームや施設に変わったとしても、それらは別の「家の中」です。

壁か敷居か垣根か分からないけれど、少し壊した方が、きっとみんなが気持ちいいですよね。

私たちの一人一人が、一歩踏み出したり、踏み込んだりすることが、いつか大きな力になると信じています。




手をつなごう


私のガンが見つかった時、幼なじみの一人が言いました。

「そうかぁ大変だね。(しばし沈黙)・・・ OK、よっしゃ!  久々に燃えてきたぞ。なんたってお節介やくのが好きだからね。ワクワクしてきた。絶対にほっとかないよー! 」
悪いニュースに対し、最も軽やかな反応だったと思います。

別の日、私が誰かの失礼な態度に凹んでいると、
「あはは。マイノリティーの気持ちが少しだけ分かったね。」と笑い飛ばし、そして穏やかに言いました。

「もっとしっかり怒らないとダメだよ。ケンカする必要はないけど、きちんと腹を立てないと、本当に許すことなんてできないんだ。」

深くて重い言葉でした。
私には何事も「まぁいいか」と中途半端に受け止める癖があったので . . . 。
以来、なかなか巧くはできないけど、きちんと怒ることを心がけています。本当に受け入れるために。この屋根裏も、彼の影響なしでは作れなかったと思います。


この素敵な友人はゲイです。
もちろん彼の素晴らしさは、彼のセクシュアリティーとは関係がありません。けれど、中学生の頃からありとあらゆる意地悪や無理解の中で、自分自身としっかり向き合い、誇りを失わずに生きてきたこと、そしてそれができる潜在的な力を持っていたこととは関係がある、と私は思っています。
― 強くてエレガントで優しい ―

私もいつか彼のように、強さに裏打ちされた優しさを持ちたいと思います。





「個性を大事にしよう」と言う人は多いし、「自由」について語るのが好きな人も多いです。でも、そんな人たちの中にも、目の前の「個性」や「自由」は嫌いか怖いかするみたいに振る舞う人がいたりして不思議です。どうしてなのかしら?

海外に出かける人が増え、日本にも他の国の人が増えています。(韓国、北朝鮮、台湾や中国籍の人は昔からたくさんいます。念のため。)結婚しない人がいて、子どもを持たない人がいて、離婚する人も、同性愛の人も、独身の母や父も大勢います。学校に行かない子どもも増えてきました。

もうそろそろ、国籍や肌の色や宗教や、様々な違い、偏差値なんかにも、変にこだわるのはやめたいです。

暮らす環境、文化的な背景、立場、感じ方や考え方などの違う同士、それぞれが持つ知恵や情報を伝え合えたら楽しいし、違うからこそ、役立つことだってあるもの。





私に残された時間は、どのくらいでしょう。
一日一日を大事に、家族や友達とできる限り一緒に過ごしたいと思います。

そして、まだ知らない世界や分野も探険してみたいです。そこに住む人とも仲良くなれるかもしれません。もしかしたら、恋にだって落ちちゃうかもしれない、なーんてね。(笑) 

これからも、手をつなげる人と出逢えたら、とってもステキだと思います。



患者のサポートのことから、ずいぶんそれた場所へ来てしまいました。ゴメンなさい。
でも、それぞれの違いをただ「違い」と認め合うこと、そしてその違いをつなぐ何かを見つけることが、大切なことに思えました。


百人の患者がいたら百通りの生き方があります。
そして周りの人の数だけ、応援の仕方もあります。

* 道草にまでつき合ってくださって、ありがとう。

  どうか、あなたと、あなたの愛する人が、充実した豊かな時間を過ごせますように。


 
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