新春特別号「線路(ポイントレール)」 2月号「豪雪・寒冷地帯の鉄道」 3月号「南海鉄道の歴史(戦後)」
4月号「バリアフリー化」 6月号「幻の南海本線深日駅」 8月号「車輌の運用方法」
10月号「方向幕、円板・角板」 12月号「準急行と区間急行の格」



「線路(ポイントレール)」について  (2002年新春特別号・第7号掲載)


 ポイントレールには、普通に本線から右(左)に分岐するポイントの他に、シーサスポイント、三支分岐器、複分岐器、シングルスリップポイント、ダブルスリップポイント、脱線ポイントなどがあります。

 シーサス(クロッシング)ポイントとは、両渡り線のことで、上り線から下り線に、又はその逆に行くときなどに使われます。南海なんば駅や、住ノ江検車区など、終端駅や検車区・車庫のある駅によく見られます。

 三支分岐器、複分岐器は、それぞれ、三方向にわかれるポイント、2つのポイントが半分重なって設置されてあるポイントです。三支分岐器はまず見ることはありません。複分岐器は阪神尼崎検車区などの、標準軌路線でよく見ることができます。

 スリップポイントは、2つのレールが交差する部分で、一方向または両方向に亘る(渡る)事ができるようなポイントを取り付けたレールで、一方向の物をシングルスリップポイント、両方向の物をダブルスリップポイントといいます。これらのポイントは、狭軌路線では、軌間が狭いので設置することが難しいのです。南海では、極楽橋で見ることができます。

 脱線ポイントは、その名の通り列車を脱線させるポイントです。単線行き違い駅などで、列車冒進による正面衝突事故を防ぐためにあります。平面交差時代の、阪急西宮北口駅にも設置されていました。








「豪雪・寒冷地帯の鉄道」について  (2002年2月号・第8号掲載)


 新潟や長野などでは、大雪に対してはさすがにしっかりとした設備があります。東北新幹線、上越新幹線などのスプリンクラーは有名な話です。また、よく除雪車も話にでてきますが、これは最近あまり使われていません。といっても、今年の1月の大雪では除雪車がなかったばかりに飯田線の除雪作業には時間がかかってしまいました。この地区は長野でも豪雪地帯というわけではなかったので、除雪車がなかったのです。むやみに除雪車を廃車にするのも考え物というわけです。ちなみに、除雪車がない場合は、スノープラウのついた普通の車輌で除雪をすることがあります。この飯田線の時には115系が活躍しました。

 また、冬場は架線に霜がついてしまったりしますが、これを取り除くために、普通よりパンタグラフを多く取り付けた列車を走らせたりします。それでも駄目な場合は始発列車の前にパンタグラフで霜を取っていく霜取り列車を走らせたりもします。

 次に、寒冷地帯の鉄道ですが、やはり夏の暑さには弱く、2000の夏には北海道で線路が溶けかけるということがありました。このときは水をまいたりしましたが、手動だったので大変時間がかかりました。

 逆に新潟や長野、北海道では、多少の雪ではビクともしませんが、関東などでは多少の雪ですぐに運休してしまいます。備えの違いというものがいざというときに大きな差となるのは、鉄道でも同じです。








「南海鉄道の歴史(戦後)」について  (2002年3月号・第9号掲載)


 南海鉄道は、1940年に阪和電鉄を合併し、南海山手線としました。さらに1942年には加太電気鉄道を合併し、南海加太線としました。しかし戦争が佳境に突入した1944年、南海山手線は突然政府によって買収されました。またこの後、戦時統合で、関西急行電鉄と合併することになり、近畿日本鉄道となりました。この合併で「南海」の名は一度消滅してしまいます。

 戦後、「南海」は、高野山電気鉄道が近畿日本鉄道から旧南海鉄道に帰属した鉄道の全てを譲り受け、社名を南海電気鉄道に変更するという形で復活しました。1947年(昭和22年)のことでした。

 尚、この高野山電気鉄道というのは、1925年(大正14年)に、高野下から高野山までの鉄道敷設を目的として設立されました。南海鉄道とは、1932年から相互乗り入れを開始しました。

 南海は、1961年(昭和36年)に和歌山電気軌道を合併しました(1971年バスに一本化)。また、泉北高速鉄道が1971年(昭和46年)に開通し、南海高野線と直通運転を始めました。

 1980年には阪堺電気軌道を分離しました。また1993年(平成5年)には堺筋線天下茶屋延伸のため天王寺支線を廃止しました。

 そして1994年(平成6年)に、空港線が開通しました。空港特急「ラピート」が設定され、人気を集めました。








「バリアフリー化」について  (2002年4月号・第10号掲載)


 バリアフリーについて色々問題になっているこの時代、鉄道会社も様々なバリアフリー化を行なっています。まず、南海は2000年11月15日に施行された「交通バリアフリー法」の第32条第1項(条文は下記参照)に基づき、各車両に転落防止幌を設置しました。その他にも、堺東駅にエレベーター、エスカレーターを設置、一部にノンステップバスを導入などといったことが行なわれています。また4年ほど前に、スロープを一斉に設置したりしました。

 しかし、バリアフリー化はまだまだ進んでいないと言うのが現状です。また、バリアフリー化が難しい場合もあります。だいぶ昔の話ですが、1995年10月21日の大阪市営地下鉄天王寺駅の視覚障害者転落事故では、裁判での地下鉄側の話によると停車位置の5m以上前方には柵を設けることが難しい、ということだそうです。確かに過走した際に、後進して扉扱いをするのは大変時間がかかり、混雑の激しい御堂筋線では柵をつけたことにより乗客が混乱してさらに大事故が発生するかもしれません。

 さらに、よく視覚障害者や車椅子利用者は話題になりますが、聴覚障害者など、あまり知られてない人たちに対する設備はまだまだといった状況です。聴覚障害者は視覚障害などと違い車椅子や白杖などが無く目立たないのも影響しているでしょう。

 鉄道その他の公共交通機関を高齢者、障害者が何の不安も無しに利用できるのはまだまだ先のようです。


交通バリアフリー法(正式名称:高齢者、身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律)
成立:2000年5月10日
施行:2000年11月15日

第三十二条 鉄道車輌の連結部(常時連結している部分に限る。)には、プラットホーム上の旅客の転落を防止するための設備を設けなければならない。ただし、プラットホームの設備等により旅客が転落するおそれのない場合は、この限りではない。








「幻の南海本線深日駅」について  (2002年6月号・第12号掲載)


 南海本線みさき公園〜孝子間には、今は使われていないホームが残っている場所があります。これは昭和41年まで使われていた深日駅の跡です。

 深日駅は、明治31年(1898年)に南海鉄道が和歌山北口(紀ノ川北岸)まで延伸すると同時に開業しました。対向式ホーム2面2線の小さな駅でした。また明治44年には深日駅のそばに深日変電所が建設され、南海本線の電化は完了しました。

 第2次世界大戦を契機に、昭和17年に多奈川・深日地区に軍需工場が設置されました。そして、軍需工場の輸送や海軍のドッグや捕虜収容所のほうに線路を延ばすために、昭和19年(1944年)に多奈川線が開業しました。深日駅は山の中にあり集落から離れていたので、多奈川線が開通して集落から近いところに深日町駅が開業すると同時に旅客営業を廃止して貨物駅となりました。戦争が終結し、軍需用品の輸送の必要がなくなると、深日駅は完全に廃止されました。

 深日駅のホームは廃止された後も取り壊されることなく今日まで残っています。ただしこのホーム、複線用の線路用地より離れて造られているのです。これは、複線の間に貨物用の中線があった跡ではないかと言われています。ちなみに、深日変電所は完成から90年以上たった今も現役で稼動しています。








「車輌の運用方法」について  (2002年8月号・第14号掲載)


 鉄道会社によって、急行・特急などの優等列車に使われる車輌と、普通列車に使われる車輌とを区別しているところと、そうでないところがあります。中にはもっと細かく分けている会社もあります。

 南海など、基本的に特急とそれ以外で分ける方法には特急のみのサービスが出来るという特徴があります。特急料金を取る場合はほとんどが特急専用車輌です。また列車折り返し時に急行→普通(逆もあり)などの運用が組めるので、柔軟にダイヤを組むことが出来ます。そのため事故などの緊急時にも比較的簡単に対処することが出来ます。

 JR西日本や阪神のように優等列車と普通で性能を変えている場合は、それぞれにあった車輌(普通列車なら高加速、優等列車は高速運転など)を用いられる反面、相互運用が利かないので普通はずっと普通、快速はずっと快速といったような柔軟性のないダイヤになってしまいます。無理矢理相互運用を組んでもいいのですが、他の列車との兼ね合いもあり難しいのです。また車輌故障や事故などで車輌が不足したときも、補うことが難しいのです。

 「普通にも高速列車にも使用できるように高加速高速性能の車輌を作ればいいじゃないか」、という声もあるでしょうが、なかなかその性能を両立させることは難しいのです。加速度4.0km/h/sを超す阪神ジェットカーでも最高速度は100km/hが精一杯なのです。逆に300km/h運転をするような新幹線ですが、加速性能は驚くほど悪いのです。








「方向幕、円板・角板」について  (2002年10月号・第16号掲載)


 ほとんどの鉄道車輌はその列車の種別や行先を表示するためのものを取り付けています。今は方向幕を使用していることが多いですが、昔は運行円板・角板(↓写真1)が多く用いられていました。

 方向幕も様々で、種別と行先が分離されているものや、路線名を表示するものなどがあります。また細かく色々と書かれていることもあり、例えば阪神の直通特急は2種類あるために、片方には「西元町、大開にも停車」と書かれています(↓写真2)。

 円板は昔はほとんどの列車に取り付けられていましたが、今は行先を表示する目的としてはあまり用いられていません。しかし最近広告用として使用されることが多くなってきました。ペイント列車などよりも手軽で、車体に取り付け用のステーさえあればいいというのも理由でしょう。

 広告としての使用はJR西日本や南海など多くの会社で採用されており、南海では岸和田だんじり祭りやみさき公園でのイベント(過去には仮面ライダー、おジャ魔女どれみドッカ〜ン!(↓写真3)、ぷ〜るらんどRio、現在はとっとこハム太郎)のPR円板、JRでは白浜アドベンチャーワールドなどのPR円板、神戸市営地下鉄ではパンダ歓迎円板、FIFAワールドカップ円板(↓写真4)などがありました。特にJRでは様々な種類が見られます。

 また円板は記念列車などにもよく取り付けられ、南海では新世紀記念列車や平成12年12月12日12時12分なんば発の列車、21000系他のさよなら列車などに取り付けられたことがあります。

 円板(角板)、方向幕と変遷してきた行先表示器ですが、最近は方向幕に変わる新たな行先表示器としてLED表示器が採用されることが多くなっています。ただ、日光の加減などで若干見にくくなるのが欠点です。

南海和歌山港線の行先角板写真1…行先角板の例です。丸いものを円板、長方形なのを角板と呼びます(そのまんまですね)。これは水軒最終日に取り付けられたものです。南海電鉄では21000系や1521系が最後まで運行円板・角板をつけて走っていました。
阪神直通特急「西元町、大開にも停車」写真2…阪神電鉄の直通特急は停車駅により2種類あるため、後から作られた系統の方にこの様な表示がなされています。ちなみに「直特」は停車駅の多い方が黄色地に青字、以前からある方が赤地に白字です。
南海電鉄「おジャ魔女どれみドッカ〜ン!」写真3…南海電鉄は最近みさき公園でのイベントのPR円板をつけることが多くなっています。みさき公園のイベントPRは去年10月の「仮面ライダーフェスティバル2001」円板に始まり、「おジャ魔女どれみドッカ〜ン! マジカルワールド」、「ぷ〜るらんどRio」、「とっとこハム太郎 ハムハムふぇすてぃばる」と続いています。他にも岸和田だんじり祭りのPR円板も毎年9月の初め頃から取り付けられており、2000年は1000系など円板取り付けステーがないような車輌にまで取り付けられていました。
神戸市営地下鉄「FIFA WORLD CUP」写真4…神戸市営地下鉄ではパンダ歓迎の円板やFIFAワールドカップの円板などが取り付けられています。また国民年金のペイント列車も山手・西神線で走っています。








「準急行と区間急行の格」について  (2002年12月号・第18号掲載)


 準急行(準急)や区間急行(区急)は急行よりも格下の優等列車なのは明白ですが、皆さんはこの2つの種別のどちらが格上だと思いますか?

 実をいうと、この両者の扱いについては各鉄道会社でまちまちなので一概には言えません。ただ「区間〜」と名の付くものは関西独特のもので、ほとんどが元の列車から一部区間を各停にしたものという意味合いで使われます。(例外は阪神区間特急)

 この両種別を共に採用している会社は近鉄・南海・京阪、そして2001年3月までの阪神です。このうち準急を上位に置いているのは京阪で、明確に区急上位なのが南海と近鉄、そして区急上位ながら独特の千鳥停車方式のため曖昧だったのが阪神です。

 英語表記では京阪を除く各社が区急をSub Express、準急をSemi Expressとしていますが、京阪だけは逆です。これはSubの意味から考えてのことでしょう。ちなみに近鉄はSubではなくSub.で正確にはSuburban(近郊・郊外)だそうです。

 種別の色も様々で、急行と言えばと出てくると思いますが、準急・区急は?です。準急は阪神・阪急・近鉄がで南海・京阪は、区急は阪神・近鉄が)で南海・京阪がとなっていますが、関空開港前の南海にはの準急(本線)との区急(高野線)が存在し、後に両者ともの区急になったなどと、格に関係なく各社バラバラでややこしいです。

 南海の赤準急青準急に関しては同じ準急と名の付く列車にも関わらず停車駅は大きく異なっていました。また、この南海でもの準急の方が速く急行に近いということや、区急にはが多いことから、色から急行に近い(=速い)ということを示しているのだと思われます。

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