「おっ!? こんなとこで何やってんだ?」
徹がデータ・ルームを出ていってからしばらくして、今度は仁が現れた。
「うん、ちょっと調べものを…仁君こそ、こんな時間に何か?」
「ん? ああ、今度の学会に出さなきゃなんねー論文の資料をな。」
と、仁は極めてだるそうに言う。そして壁に備え付けの本棚から、「外科」の一角を探し出してファイルを手に取る。そんな仁を見ながら、強志はふと呟いた。
「仁君も…」
「ん?」
「勉強とかするんですね…。」
「おい…そりゃどーゆー意味だ?」
「あ、いえ、そんなに深い意味は…。そ、それより確か、今回は循環器系の学会したよね?」
殺気を感じた強志は慌てて話題を変えた。
「ああ。俺あっち系苦手なんだけどな…。あ!」
と、仁が何かを思い出し、強志の方を見やる。
「そういや、あれもその話だったよな?」
「な、何が?」
強志はそう訊きながらも、なんとなくイヤな予感がしていた。仁の顔がうっすらとにやけていたのだ。そして案の定、
「強志の彼女だよ。おいおい、忘れたのかよ!? 冷てぇやつ。」
「だ、だから彼女じゃないって!」
「照れるな照れるな。」
言いながら仁は、必死に否定する強志の背中をばしばしと叩いた。
「さあ、とっととデータを開く開く!」
「まあ、別にいいけど。」
強志は、憮然としながらカルテのファイルを呼び出した。
「転院?」
広間で寝ころんで、焼き芋チップスを満喫していた恵が訊き返す。その横では、亜美が不思議な形の花を生けていた。
「うむ。今日の午後にも到着する予定だ。」
と、五蔵。
「珍しいですね。」
「うん。最近急患ばっかりだったもんね。」
「おっしゃあああ!!」
と、突如反対側のソファから大絶叫が響いた。あまりのうるささに恵は思わず耳を塞ぐ。
「な、なに!?」
「ゲームですよ。私達は外に出られませんから。」
現在、この世界にナノセイバーは彼ら五人しかいない。いつ来るか分からない急患に備えて、彼らは常時VMSにいなくてはならないのだ。
「男の子だからな。バーチャルででも体を動かしていないと気がすまんのだろう。」
五蔵が仁達を弁護するように言う。
「はあ…。でも何がおもしろいんだか…」
恵はそう言って再びスナック菓子に戻る。
「五蔵。例の患者、そろそろじゃないのか?」
と、リタイアしてきたらしく、徹が五蔵に訊く。
「いや、まだしばらく時間があるが…もういいのか?またいつ休憩できるか分からんぞ?」
「いいえ、準備は早めにやっておきましょう。」
徹は妙に頑なに言う。
「なんだ? もう時間なのか?」
コントローラーとヘッドセットを片づけながら、仁が訊く。
「いや、そうじゃないんだけど…なんかもうカンファレンス始めるみたい。」
恵も困惑しながら言う。
が、四人は気付いていなかった。密かに亜美が笑いをかみ殺していることに。
「で、今回は?」
五人がそろったところで、改めて恵が訊く。
「今回の患者は『宮内志穂』、十二歳。」
「宮内さん!?」
その時、ディスプレイに出された写真を見て、強志が驚きの声を発した。
「強志、知ってる人?」
「はい。教育課程の後半はずっと同じクラスでしたから…。」
写真に写っていたのは、大きな目が特徴の可愛らしい少女だった。
「へぇ…ムチャクチャかわいいじゃねーか。」
と、仁。さらにぼそっと「恵とは大違いだな」と言った言葉を恵は聞き逃さなかった。
刹那、肘撃ちで仁がノックアウトされる。
「転院元の病院の依頼は心臓移植のアフターケアだ。他人の心臓を移植されているらしい。」
「!?」
「他人のって…なんで自分の細胞使わなかったんだ?」
と、復活した仁。他人の臓器を移植する場合、免疫の問題など、大きな問題がいくつも発生する。そのため、移植後のアフターケアは極めて重要なのだ。しかしこの時代、出産時に採取した未分化細胞から自分の細胞で新たな臓器を造り、必要に応じて移植するという治療法が確立されている。そもそも、わざわざ他人の臓器を使う必要などないのだ。
「自己移植が出来ない場合が一つあるだろう。病気が、遺伝性の場合だ。」
徹の言葉に、五蔵は頷いた。
「あ、そっか。」
「今回の患者は、徹の言うとおり遺伝性の心臓病に冒されておった。病気が遺伝性の場合、当然患者の未分化細胞も同じ病気を発生する可能性をはらんでおる。以前、恵が火星生命体のマザー母体にやったような遺伝子組み替えも技術的には可能だが…人間に対する遺伝子組み替えは禁止されておるからな。」
「確かに彼女、よく学校を休んでました。風邪ぐらいだと思ってたんですが…」
と、強志。
「それでも、アフターケアぐらいなら普通の医療機関でも出来るでしょ? 他に何かあるの?」
恵が首を傾げる。その問いには、信じられない答えが返ってきた。
「患者の体内には、X型免疫強化用ナノマシンがあるのだ。それも、新たな心臓のデータが未登録のものがな。」
この事実には一同唖然とした。
「幸い、まだ投入時のパックに入った状態だったので、パックごと大腿部の静脈に固定している。しかし、パックが細菌の進入を感知するか、外的要因でパックが破裂するようなことがあれば、諸君が想像するとおり、非常に深刻な事態が発生する。」
具体的には、X型ナノマシンが心臓を異物とみなし攻撃、心臓機能を致命的に破壊してしまう。
「正気かよ…。なんでそんな状態で移植なんかしたんだよ!?」
仁が、真剣に怒っていることはすぐに皆に分かった。同じ外科医として、こんなばかばかしいミスが許せないのだろう。
「明らかに初歩的な見落としだ。」
「な、ナノマイシンは使わなかったんですか!?」
今度は強志が訊く。
「もちろん使ったそうだ。しかし、なぜかパックだけは溶かすことが出来なかった。それでも、もちろんしっかり確認していれば発見は出来たがな。」
「そうですか…。」
「と、とにかく、身体に入ったら手早く回収しよ。ナノマイシンで溶けなかった原因も分かるだろうし。」
と、恵。
「はい。」
「ちっ…何がアフターケアだよ。これじゃ尻拭いの言い方変えただけじゃねーか…」
仁は、まだ腹の虫が治まらないらしく、苦々しく舌打ちしてそう言った。
三時間後、患者が到着し、五人はバーチャル脳とのシンクロを終え、恵・仁・強志はディバインドも済ませてナノマシンに乗り込んでいた。当然、ロップも同乗している。
もっとも、スタンバイ状態で三時間も待たされた三人はかなり納得行かない表情をしていたが。
「おい徹…お前時間の計算もできねーのか?」
「確かに、ちょっと早すぎたよね…」
仁と恵の抗議。
「何が起こるか分からないんだ。早めに行動することにこしたことはないだろう。」
「それはそうだけど…。」
「ねえねえ強志、なんか今日の徹変じゃない?」
ロップが小声で強志に訊く。
「うん、そうだね…。でもなんでかな…?」
その時、イヤホンに微かに亜美の笑いが入る。
「? 亜美、どうかしたのか?」
横にいた徹が恐る恐る訊く。
「い、いえ、なんでも…」
亜美は努めて平静を装ってそう言った。そして、少し息をついてから、
「ナノセイバー、投入します。」
ナノセイバーを…正確には、ナノセイバーと同じ動きをするアンドロノートを患者の体内に投入した。
と、五蔵が咳払いをして、
「さて、治療前に一つだけ言っておくことがおる。この状況、いつぞやの時と似ているとは思わんか?」
「あ! ミサイルの訓練の時のだ!」
しばらく考えて、最初に気付いたのはロップだった。
「うむ。諸君、冷静さだけは忘れるなよ。」
「了解! ナノセイバー、行きます!」
恵はそう言って、マシンのアクセルを入れた。続いて、強志が経路の確認を行う。
「心臓・肺を通って、再び心臓から腹部大動脈へ。そこからさらに足へ言って、膝の裏の毛細血管から静脈へ入りましょう。着いたら、パック自体を保護用の頑丈な膜で覆って、血管壁からはがして回収します。」
「OK。」
「ボクは? ね、ボクは何したらいいの!?」
ロップが必死に自己アピールしながら訊く。亜美がそれに答えて、
「ロップさんと仁さんは最悪ナノマシンが漏れた場合に、それを破壊して下さい。絶対に一つも逃がさないように。」
「分かった!」
ロップが実に元気よく答える。
「それと強志さん、患者さんが強志さんと話したいと言っているんですが、今大丈夫ですか?」
「あ、はい。まだ移動しているだけなので…どうぞ。」
強志がそう言うと、すぐに音声が治療カプセルとつなげられる。
『強志君、聞こえる?』
「うん、聞こえるよ。宮内さん久しぶりだね。」
このとき、恵は強志の口調がやけに優しくなったような気がしたが、あえて無視して操縦に専念することにした。
『どう? 強志君は元気? 私はこんなんだけど…』
そして照れたような笑いが、妙に静かなマシンの中に響く。
「僕は元気だし、宮内さんもきっとすぐによくなるよ。きっと。」
『うん…。強志君なら、信じて任せられる。』
「任せて。じゃあ、一旦切るね。…また、治療が終わったら直接会いに行くよ。」
『分かった。待ってるね。』
そこで通信は途絶えた。
「おいおい強志! 今のただの知り合いって感じの会話じゃなかったぞ!」
話が終わるのを待っていたかのように、仁が振り返って言う。その声は、他人のことながらうわずっていた。
「なあ!? 亜美、恵!」
「い、いや別にそんな…」
とその時、仁の言葉にわずかに振り返った恵と強志の目があった。ほんの一瞬の間の後、
「いいんじゃない、別に。」
と、恵はぶっきらぼうに言って前に向き直った。そして「そろそろ着くよ、準備して」と独り言のように言う。
「っんだよ、ノリの悪いやつだな…。」
恵の反応にやや頭が冷えたのか、仁もおとなしく席に座る。今度は、別の妙な雰囲気がマシンの中に漂った。
ロップはと言えば、ソワソワと強志と前の二人を見比べ、首を傾げるばかりだった。
「でも、本当にただの知り合いには見えませんでしたよね。」
コンソールで、亜美が徹に言う。もちろんマシンの三人には聞こえないように。が、
「なあ、亜美…どうただの知り合いじゃなく見えたんだ? 教えてくれ。」
困惑したように、徹は真顔でそんなことを訊いてきた。それを聞いて、亜美は信じられないと言った表情になる。
「徹さん…それはちょっと鈍すぎます。」
そして、可哀相な人を見るような目でそう言う。が、徹にとって分からないモノは分からなかった。
同時刻、恵達はマシンを降りて、ひとまずパックに近寄り、「網」を張るポイントを決めにかかっていた。しかし少し近づいて、三人はすぐに事態の深刻さに気付いた。
「ま、膜が溶けかかっている!! 急ぎましょう! このままじゃ十分ともたない!」
強志が言うように、X型抗体を詰め込んだパックの膜は、前回のナノマイシンで完全溶融はしなかったものの、ギリギリのところまで薄くなっていた。
「'溶けない'物質ではなく、'溶けにくい'物質だったと言うことか…。」
と、徹。しかし、亜美は徹の横で首を傾げて、
「おかしいですね…。ナノマシン、及びそれを搭載するミサイル、パック等は全てナノマイシンで溶けるようになっているはずなんですけど…」
「話は後だ! とにかく流出防止措置だけでも早くとるんだ!」
五蔵が一喝して、全員を現実に引き戻す。
強志はコックピットに戻り、保護膜をマシンから射出する。そして自分も外へ戻り、保護膜の端に付いているフックを、パックの周囲に固定していく。
しかしそこで、ふと恵の手がフックを持ったままお留守になっていることに気付いた。
「恵ちゃん!! 早く!!」
その言葉で、恵は我に返る。
「あ! ご、ゴメ…」
しかし慌てたせいか、恵の手からフックがするりと抜けた。しかも不運にも、フックはそのままパックを大きく切り裂くように流れてしまう。
「!!!?」
封じられていた凶器が、一斉に血液中へ飛び散ってゆく。
「仁! ロップ!! 死ぬ気でくい止めろ!!」
五蔵がフルボリュームで指示する。同時に、亜美が善後策に動いた。
「ナノマイシンを投与します!!」
「いかん!!亜美、ダメだ!!」
しかし、寸前で五蔵のストップがかかった。
「なぜです!?」
「もしX型抗体も溶けにくいタイプだったらどうする!? アンドロノートのみが溶けてしまい、誰もあれを止められなくなる!!」
「あ…!! で、では…?」
「仁達に頼るしかない…」
一方血管内では、仁が必死に剣を振るっていた。
「ここから先へは、一歩たりともゆかさぬ!!」
ロップもピコピコ達と共に、必死で流れてゆこうとするナノマシンを押さえつける。
「亜美! あの抗体を一つ回収してくれ!」
突然、徹が何かを思いついたように亜美に指示する。
「で、でも、一つ回収しただけじゃ…」
「違う! 急いで解析するんだ! もしかしたらナノマイシンが効くかもしれない!」
「あ!! そ、そうですね! 分かりました。回収します!」
すぐさま、亜美はアームを操り抗体の一つを回収用ナノマシンで捕獲する。
「解析にはどれぐらい時間がかかりますか!?」
とりあえず、残った抗体を出来るだけ保護膜で封じ込めて、強志が訊いた。
「五分かかりますが、二分で終わらせます。」
亜美からずいぶん頼もしい答えが返ってくる。
「二分か…なんとかもたせて見せようぞ!」
そう言って、仁はまた一つ抗体を葬り去る。
「恵ちゃん、僕達も行こう! 一つでも機能を停止させるんだ!」
「う、うん!!」
恵と強志は、抗体のDNAコンピューターを直に破壊するという手段を取った。時間はかかるが、刀を持たない彼らにはそれが精一杯だった。
「結果出ました!! 大丈夫です! 変なコーティングはされていません!!」
そしてすぐ、亜美は準備していたナノマイシンを投与した。しばらくして、ディスプレイから抗体を表す光の点が全て消える。
一同から、一気に張りつめた空気が消えていった。
「ふう…一時はどうなるかと思ったぜ。」
ナノマイシンによってアンドロノートも溶けてしまったため、シンクロを切られた三人が戻ってくる。
「ご、ゴメン…」
と、恵の声がして、全員が彼女に注目する。誰も、うかつに声がかけられない状態がしばらく続く。そこへすかさず亜美が入り、
「すみません。反省はまた今度にして、休んでもいいですか?」
そう言って、恵の肩を優しく抱いた。
「まあ…いいだろう。亜美、頼んだぞ。」
五蔵の言葉に亜美は静かに頷き、恵を連れてコンソールを出ていった。
「じゃ、俺も広間に行って…んぎゃ!!」
歩き出そうとした仁の足を、鮮やかに徹が引っかけた。重力に従って、仁が顔面から床へと倒れ込む。
「な、なにすんだてめぇ!!」
「広間へは行くな。休むなら自分の部屋へ行け。」
徹は仁の怒鳴り声を無視してそう命じた。
「何でだよ!?どこで休もうが俺の勝…」
「行くな。」
しばらく二人はにらみ合うが、徹の胆に押されて、仁はしぶしぶ了承した。そして、舌打ちしながら部屋を出ていく。
「徹も成長したではないか。」
それを見て、五蔵が微笑みながら言った。
「仁がいたら、解決するものも解決しないと思っただけです。」
しかし、徹はクールにそう言い放つ。五蔵の笑みが苦笑いに変わったことには気付いていない。
「まあ、あながち間違いではないが…。」
「強志は、どうするんだ? 患者に会いに行くのか?」
「…はい。恵ちゃんも心配だけど…」
言いながら、強志は扉の方を仰ぎ見る。
「今は、亜美さんに任せた方が良さそうですし…」
・・広間・・
「とにかく、大事に至らなくてよかったですね。」
言いながら、亜美はリラックス効果のあるハーブティーを煎れる。ほんのりと心地よい香りが広がる。
「ありがとう。大分落ち着いた。」
恵はそう言ってカップを受け取り、一口口を付ける。
「じゃあ私はコンソールに戻ります。何かあったら言って下さいね。」
「うん。ホントに心配かけてゴメンね。」
「大丈夫、気にしないで下さい。」
そう言うと亜美は立ち上がり、広間を出ていった。
(はあ…。何してるんだか…。しっかりしろ、河合恵!)
恵はそう自分に檄を飛ばし、ハーブティーを飲み終えると、勢いよく立ち上がった。が…
「ッ…!!」
ふっとめまいがして、慌ててソファの背もたれを掴む。
(疲れてるのかな…。あたしもちょっと休も。)
そう考えて、恵も広間を後にした。
そのころ、強志は宮内志穂の病室へとやって来ていた。二回、軽くノックをすると、「どうぞ」という返事が返ってくる。
扉が開き、入ってきた強志を見ると、志穂の顔がぱっと明るくなった。
「具合はどう?」
「もうすっかり大丈夫。それより、ホントに来てくれたんだ! 忙しいかな?って思ってたから…」
「今日は、急患もなかったしね。」
……。
その後が続かなかった。しばらく沈黙が流れる。
「…はは、参ったな。何を話したらいいんだろう…?」
強志は、今さらながらに二年間というブランクの大きさを思い知る。
「強志君の話でいいよ?」
「え?」
狼狽する強志に、志穂が穏やかに言う。
「ナノセイバーになる前や、なった後どんなことがあったのか。聞かせて。」
「あ、うん。じゃあまず…」
強志は、とりあえずナノセイバーの訓練時代のことから話し始めた。
窓辺から暖かな陽光が差し込む昼下がり、この後二人の話は、しばらく尽きることがなかった。
・・強志がネタに困っているのと同時刻、フロントコンソール・・
徹がしきりにリモコンでシステムを操作していると、恵の所へ行っていた亜美が戻ってきた。
「どうだ? 恵の様子は。」
「一応落ち着いたようです。でも、こんなこと今までなかったので…。恵さん、なにか気になることがあるのに、それが何か分からないって感じでした。」
亜美の発言に、五蔵と徹は一様に首を傾げた。
「気になっていることが分からないって…そんなことがあるのか?」
「ええ。あら? 徹さんにはありませんか?」
「いや…特に思い当たる節はない。」
どうやらこの少年は、今まで全ての疑問・謎にスパスパと答えを出してきたらしい。
「そう…ですか。」
やや引きながらも亜美はとりあえず納得しておいた。
「ところで、さっきから何を調べられてるんですか?」
亜美の問いには、五蔵が答えた。
「回収した、例のX型免疫強化用ナノマシンについてだ。これらを包んでいた肝心要のパックは、残念ながら我が輩達が投与したナノマイシンで溶けてしまったが…」
「抗体が製造された年月だけでも分からないかと思ってな。」
「それは大丈夫です。製造番号が分かれば、流通ルートから、投与された病院が分かります。それと患者さんの治療記録を照らし合わせれば、いつ、誰が投与したかまで分かるかもしれません。」
「うむ。やってみる価値はあるな。」
三十分後、あらゆる手を尽くしてはみたものの、判明したのは製造年月日と、投与されたと見られる病院だけだった。それも、志穂の自宅近くにある総合病院で、志穂はその病院に幾度となく通っていたのだった。しかも…
「ふ、紛失!?」
徹は表示されたデータを見て愕然とした。問題の抗体は、病院に搬入された半年後、紛失が確認されていた。
「か、完全に足取りが途絶えたな。」
五蔵もがっくりと肩を落とす。
「製造されたのは六年前…。患者がまだ六歳の時か…。」
「治療記録にも、X型抗体を入れたなんて記載はありません。」
「と言うより、免疫機能が元気な子供の間に、X型を入れること自体が希だからな。」
よほど強力なウイルスが流行でもしなければ、X型が若者に投与されることはない。
と、治療記録をスクロールさせていた亜美の目が、ある記載に留まった。
「志穂さん、この病院で手術も受けてるんですね…。」
「なにか不審な点でもあるのか? 手術ぐらい、必要があれば誰でも受ける可能性があると思うが?」
「はい、そうですが、手術している箇所が気になったもので…。大腿部…あのパックがあった場所のほぼ真上なんです。」
「!!?」
一気に徹の目の色が変わる。が、すぐに自分を諫めるように、
「いや、まだただの偶然と言うことも考えられる。」
「確かに。この事実をあの謎のパックと結びつけて考えるのは余りに短絡的すぎるな。」
徹の言葉に、五蔵も頷きながらそう言った。
「はい。ですが…」
亜美はそこで言葉を切った。
「何だ?」
「手術の日は、紛失が確認される前日なんです。」
「な、なに!!?」
五蔵と徹に衝撃が走る。
「ま、まさか…そんな…」
「とりあえず、当時の執刀医など、分かる範囲で全て調べてみましょう。」
「あまり…同業者を疑いたくはないのだがな…」
・・病室・・
初めは強志が訓練の内容を説明するという講義のような会話だったが、次第に志穂の口数も増え、話題は教育課程の頃の想い出話に移っていた。
「あ、そう言えば、僕の個人ファイルに教育課程の頃のアルバムも入ってるんだ。見る?」
「本当!? うん、見たい!」
「えっと、リモコンは…」
強志は身を捻って周りを見渡したが、スフィア球型リモコンの姿が見あたらない。
「おかしいな…隣の部屋にあるのかな…? 宮内さん、ちょっと探してくるね。」
そう言うと、強志はいそいそと部屋を出ていった。
「はあ…」
静かに自動扉が閉まると、志穂は残念そうにため息をついた。
「強志君…やっぱり忘れちゃったのかな…」
そして、先ほどの強志の言葉を頭の中で反芻する。
「まえ昔は、『志穂』って呼んでくれてたのに…」
さらにもう一度ため息。
と、強志がリモコンを調達して戻ってきた。
「あったよ。でも、各部屋に一個ずつあるはず…なんだけど……」
そこで強志の言葉が途切れ、動きが止まる。
「?」
志穂が、不思議そうに首を傾げる。強志は片足を部屋に踏み入れた状態で、視線は廊下の突き当たりの方を見ていた。
その先にいたのは、立っているのがやっとという感じで壁により掛かっていた恵だった。
「恵ちゃん!? どうしたの!!?」
「つ、つよし?」
弱々しい声音。顔色も真っ青だった。
「ご、ゴメン宮内さん!」
強志はそれだけ言うと、リモコンをドア横の台に置いて慌てて恵の所へ駆け寄った。
「恵ちゃん! しっかり! 恵ちゃん!!」
しかし、恵は微かに声を漏らしてそのまま気を失った。
「恵ちゃん!!」
深刻な顔で居並ぶ四人と五蔵。その前には、恵が苦しそうにベッドで横になっていた。
「病名は…」
徹が重々しく口を開く。
「細菌性感染症…」
「分かり易く『ただの風邪だ』って言えよ!!」
その背後から、仁が徹の後頭部を殴る。
「徹…お前どこまでがマジなのかわかんねぇよ…」
「僕は常に真剣だが?」
「…そうか。」
仁はそこで追求をあきらめて、壁に背中を預ける。
「ったく。突然非常警報が鳴ったから何事かと思ったぜ。」
「すみません。一番速くみんなに伝えられると思ったので…」
恵が気を失ったとき、強志はとっさに非常ベルを鳴らして応援を呼んだ。この非常ベルは警察や消防にも直通になっており、本来火災・テロ・強力感染症の流出などが起きたとき以外は使用してはいけないことになっていた。
「気にすることはない。実際、『非常事態』には違いなかったのだからな。」
と、五蔵。実際は、警察・消防への誤報の謝罪などかなりの後始末をこなしていたが。
「ナノセイバーでも風邪って引くんだな…」
仁が、今さら気付いたかのように呟く。
「残念ながらな。ウイルスも常に変異を続けているため、たまにナノマシンの識別をすり抜けるものが現れるのだ。」
「今日のミスも、風邪のせいだったんでしょうか?」
昼間の治療を思い出して、亜美が徹に尋ねる。
「断言は出来ないが、今朝から調子が悪かった可能性はあるな。ところで強志、宮内さんにはもう警報のことは説明したか?」
「あ、はい。恵ちゃんをここに運んだ後に。その後、念のために部屋を消毒しておきました。」
「うむ。的確な判断だ。」
横で聞いていた五蔵はそう言って、満足げに頷いた。
「う…」
その時、恵がうっすらと目を開いた。
「!? 恵さん、大丈夫ですか!?」
素早く亜美が顔を近づけて訊く。恵は亜美の問いに、わずかに頷いて答えた。
「あ…そうか。あたし、廊下で倒れて…」
そう言うと、恵は上体を起こそうとした。
「ま、まだ寝てたほうが…」
「無理せんでもよいぞ!」
亜美と五蔵がそう言うが、恵は首を振って、
「大丈夫。薬も効いてきたし、大分楽になったから。」
そして、恵は半分亜美に手伝ってもらいながら、ベッドの上に起きあがった。
「本当に大丈夫なのか?」
徹の問いに、今度は深く頷く恵。徹はそれを確認すると、立ち上がってリモコンを手に取った。
「…どうしたんだ?」
「みんなにも伝えておきたいことがある。五蔵、報告するぞ?」
五蔵はため息混じりに頷き、先を促した。
「宮内志穂の体内から回収したX型免疫強化用ナノマシンから、一つの仮説が浮上した。」
「な、何だよ?」
「今回の溶けないパックが、秘密実験だという可能性だ。」
「!!!?」
恵達三人に衝撃が走った。
「神谷…晋司?」
「さっき話した、宮内さんが受けた手術の執刀医だ。」
そう言って強志は、ディスプレイに顔写真を写す。神谷医師は、皆の予想に反してかなり若かった。恐らく二十五歳にもなっていないだろう。眼鏡をかけた、優しくも精悍な顔つき。とても患者を実験に使うような人相ではなかった。
「これが、手術の翌年の写真だ。手術と言っても、金属板で切った足を縫うだけだったから助手も無し。完全に単独で行われていた。」
「で、でも…それだけでその人を疑うの? 確かに状況証拠は多いけど…」
「それに、実験の目的も分かりません。何のためにこんなことを…?」
恵と強志が相次いで質問する。二人とも同じ医者として、実験が行われたという可能性だけはなくしたかったのだ。
「僕らもそう思って、本人に直接コンタクトを取ろうと思った。しかし…」
「しかし?」
「神谷医師は、今から二年前に失踪していた。」
「!!?」
「って、じゃどーすんだよ? シロだと思いたいけどよ、もしクロだったら、他にもあの変なパック入れられてる人がいるかもしれないってことだろ?」
「ああ。だが、僕らが持っている情報ではここまでが限界だ。」
「……。」
沈黙。皆、言いようのないもどかしさを抱えていた。仁の言うように、志穂と同じような状況に陥る人がまだいるかもしれないと言う不安。そして何より、同じ医者が、医者としてあるまじき行為を働いたかもしれないと言う不安。そして、それらに全く結論が付けられないもどかしさ。
「諸君、とりあえずこのことは、頭の片隅にだけ置いて置きなさい。」
「…はい。」
五蔵の言葉で、ひとまずその場は散開となった。
「神谷先生? うん。知ってるよ。結構若い先生だったよ。私が卒業する頃にはいなかったけど…」
翌日、念のため強志が志穂に例の疑惑の医師について訊いてみると、こんな答えが返ってきた。
「よく診てもらってたの?」
「いつもって訳じゃないけど…。でも、どうして?」
「え? いや、ちょっとね…」
強志は、理由を曖昧にしておいた。まだ患者に全てを話すべきではない。
「ふうん…。そういえば、昨日そこの廊下で何があったの?」
話題が、恵が風邪で倒れたことに変わる。強志は簡潔に起こったことを説明した。
「恵さん…大丈夫なの?」
「うん。明日には完治すると思うよ。」
「それが…お見舞い?」
志穂が言いながら指差した先には、マンゴープリン味のスナックの袋が横たわっていた。
「う、うん。この後行こうと思って…。いまこの味にハマってるんだって。」
苦笑いしながら答える。強志も、さすがに恵の味覚に疑問を持ち始めていた。
その時、志穂が思い出したように手を叩く。
「あ、そうか。強志君もあったことあるもんね。」
「へ? 誰に!?」
「誰って…神谷先生。」
強志にとって、この発言は衝撃だった。
「え!? ど、どこで!?」
訊きながら、ディスプレイの写真を見て必死に記憶を探る。
「ほら、私が発作を起こして道で倒れたとき…」
「っ…あ!!」
その瞬間、強志の脳裏に「あの日」の光景が蘇った。
道端で志穂が苦しそうにうずくまり、しかし自分には何一つ出来ることがなかった。そんなとき、偶然現れて志穂の命を救ってくれた医者。
それは強志にとって、自分が医者を志した原点のような存在だった。「目の前で苦しんでいる人を、彼のように救ってあげたい、救えるような力が欲しい」と。
「思い出した? そういえば、あの時はまだ眼鏡かけてなかったよね。」
事情を知らない志穂は、懐かしそうに目を細める。しかし強志は、平静を装って頷くのがやっとだった。
「どうしたの? 顔色…悪いよ?」
「あ、大丈夫。ちょっと寝不足なだけ。」
そう言うと、強志はベッドサイドの椅子に座り、顔を背けるようにディスプレイの写真の方を向いた。
「あの後強志君、『神谷先生みたいな医者になりたい』ってずっと言ってたもんね。」
「…うん。」
強志の心境は複雑だった。自分が初めて憧れた医師に、今最悪の疑惑がかかっているのだ。
「うれしかった。」
「え?」
思わず振り返った強志は、同時に自分の手に何かが触れたのを感じた。
見やると、志穂の両手が右手を包んでいた。
「どんな病気になっても、きっと強志君が守ってくれる…そんな、気がしたから…」
「…志穂。」
時が停止したかのような無音。
強志は思わず口をついてでた言葉に戸惑いながらも、見つめ合ったまましばらく動くことが出来なかった。そして、にわかに志穂の顔が強志の顔に近づく。
しかし、
「ごめん。」
その一言で均衡はあっけなく崩れた。志穂の手の力が抜け、強志はゆっくりと右手を引く。
「また…来るね。」
強志はそう言って、椅子から立ち上がりスナック菓子を脇に抱えた。
「…うん。」
志穂の言葉を聞いてから、強志は部屋の外へでて、深く息をついた。まるで、今まで息をしていなかったかのように心臓が脈打ち、汗が噴き出している。
しばらくその場で気を落ち着けた後、強志はもう一度扉を返り見た。
そして、心の中で「ごめん」と呟いて、恵の部屋へ向かって歩き始めた。
(う…何でだろ…? 何でか今恵ちゃんに会うのは罪悪感感じるな…)
そんな後ろめたさを感じつつも、強志はノックしようと扉に近づいた。
手が扉に触れる寸前、いきなり扉が起動して、回転部が強志の顔面をスマッシュした。
「ッッ…!!!?」
「え? ウソ!? 強志!?」
扉を起動させた当の恵も驚いた様子でその場に立ちつくしていた。が、すぐに弾かれたように強志の元へ駆け寄る。
「大丈夫!? ごめん! 居るの気付かなくて…」
「だ、大丈夫。多分ちょっと罰が当たっただけだから…」
「…『バチ』? 扉じゃなくて?」
強志の発言の意味が分からない恵はさらに困惑するだけだった。が、すぐに強志の横に落ちている袋に目が行く。
「あ、それ! 愛しのマンゴーちゃん!?」
そう言うと、恵は凄まじい速さで袋に飛びついた。そして誰にも渡すまいと、袋をしっかりと腹に抱え込む。目は爛々と光り、近づく物全てを威嚇するようにフーフーと息を荒げている。
「誰も取らないって…。てゆうか、元気かどうか訊くまでもなさそうだね。」
強志は、半ばげんなりしながらそう独りごちた。
「もう出歩いていいの?」
「うん。ゴメンね、心配かけて。」
言いながらも、恵は心底幸せそうにスナック菓子にパクついている。
「恵ちゃんは…」
「ん?」
「恵ちゃんはどうして医者になろうと思ったの? 確かにバーチャルブレイン脳一次世代の僕らに選択肢は少なかったけど…」
「でも、この仕事はあたし達にしか出来ないじゃない。」
恵はあっさりとそう答えた。
「多くの人達が私達を必要としてくれてる。だから、あたしはそんな人達を助けてあげたい。それだけじゃダメ?」
恵の言葉に、強志ははっとした。そして、軽く吹き出して、
「十分。恵ちゃんらしいよ。そうだね。僕達は僕達を必要としてくれてる人達のために頑張ってる。それだけで十分だよね。」
「なんか、単純みたいに思われてる気がするんだけど…」
恵はやや憮然としてそう言って、
「何かあったの? 元気なかったみたいだけど。」
強志はしばらく躊躇したが、先ほど判明した事実をかいつまんで説明した。
「……そう。そうだよね。その人が居なかったら、志穂ちゃんのファーストビート最初の鼓動はなかったもんね。」
「ファースト…ビート。」
強志はその言葉を反芻する。それがなければ、今の志穂はなかった。
その時、患者の容態急変を告げる警報がけたたましく響いた。
'患者、血圧・心拍低下!'
「!!!? そんな…!?」
「何してるの!? 強志、行くよ!!」
気付くと、恵は既に戸口にいた。もっとも、スナック菓子の口はちゃっかり密封してあったが。
「も、もういいの?」
慌てて強志も続く。
「うん。バッチリ!」
数分後、恵・仁・強志はディバインドを終え、ナノマシンに乗り込んでいた。
「ロップ、同調します。」
続いて、強志の横にピンクのラッコが「投下」される。
「うわああああん!!」
と、突然ロップは大声で泣き始めた。
「ろ、ロップ!? どうしたの!?」
恵がやや引きながら訊く。
「絶対ボクだけ出番少ない! ボクだけ仲間外れ! 短編になったらいつもボクの出番減ってない!?」
「そ、そんなことないと思うけど…」
と言いつつも、確信を持って否定できない恵ではあった。
「バーチャル人体、構築!!」
一方フロントコンソールでは、徹がペン型リモコンでバーチャル空間に志穂の身体を投影する。と、身体全体に薄くもやのようなものが映し出された。
「恐らくこれが原因だ。」
「こ、これ、狭心症の人に使う薬と同じ成分ですよ!」
亜美の言葉に、全員が耳を疑った。
「ば、バカな…」
そう言って、五蔵があんぐりと口を開ける。
「さっきまで何もなかった…どこからこんな薬が…」
「とにかく、中和剤を投与します。」
「誰かが入れたなんてことはないよな?」
「当たり前だ!」
仁の疑問を、五蔵が大声で否定する。
「普通の人でも投与されれば危険な状態になるものだ! 今回のような患者に投与するバカモンがどこにおる!」
「それに、投与する意味も全くない。」
五蔵とは対照的に、徹がクールに付け加えた。
「と、徹さん…気のせいでしょうか…薬の量、時間を追うごとに少しずつ増えてるような気がするんですが…」
「な!? 数値の見間違いじゃないのか?」
さすがにこれには徹もそう言った。が、それを聞いて強志が急にキーボードを叩き始める。
「なになに!? どしたの強志!?」
「ちょっとね…。徹君、亜美さん! この薬、体内で作られてるなんてことはあり得ませんか?」
「はあ!? 作られてる!?」
強志のとっぴょうしもない思いつきに、仁を始め全員が唖然とした。
「確かに…この薬の原料はタンパク質ですけど…」
亜美も困惑気味に言う。
「いや、強志の言う通りかもしれない。薬の発生源を調べてみる。」
そう言うと、徹は画面の時間を逆再生した。
「恵! 鎖骨下静脈だ! しかも少しずつ心臓に向かっている!」
「ヤロー…心臓で直接薬ばらまく気か!?」
「心臓到達まで時間がない! 外部電磁推進を準備する!」
「ナノセイバー、投入します!」
亜美が腕にアンドロノートを投入すると同時に、徹が外部電磁推進で一気に大静脈まで三人を飛ばす。
数秒後、三人は心臓の入り口まで到達した。
「今回は、免疫抑制剤のおかげで邪魔な白血球は少ないはずだ。」
「OK。目標はどんなんだ?」
仁が愛刀を抜きながら訊く。
「バカ、中に何が詰まってるか分からないんだ。斬らずに捕獲しろ! 青く色を付けたやつだ。」
徹の言葉に、仁は惜しそうに虎哲を鞘へと戻す。
「あれだ!」
その時、強志が赤い血球の中に、青く色付けされた物体を発見する。強志が指差した方向には、白血球のような形をした物体が妙な液体をまき散らしながら突き進んでいた。
「ネット射出!!」
恵がタイミングを見計らって、捕獲用のネットをマシンの底部から発射する。ネットは見事謎の物体にからみつき、その動きを止めた。
「やった!」
しかしその直後、轟音と共に物体が大爆発を起こした。
「じ、自爆!?」
「しまった!」
大量に封じられていた死の液体が爆発と共に四方へ飛び散る。
「ッ中和剤、急げ!!」
それを見て、五蔵が素早く指示を出す。
'ショック症状!心拍停止!!'
その直後、アナウンスが悪夢を確認するかのように危険を知らせ始めた。
「これ白血球作ったヤツ、マジで性格ねじれてるぜ…」
仁の声は、怒りで震えていた。
「ちっ…異常があれば自爆するようプログラムされていたのか…! うかつだった…」
徹はリモコンを握りしめ、椅子の肘掛けを力任せに叩く。
「あきらめるな!!」
その時、珍しく強志の怒号が飛んだ。
「まだ助かる! 亜美さん、電気ショックを準備して下さい!! アンドロノートを電極にしてピンポイントで心肺蘇生を行います!」
「で、でも…術後間もない心臓に何回も負担はかけられないよ?」
と、不安そうに恵。
「分かってる。だから一回でファーストビート最初の鼓動を起こすんだ。」
提案する強志の目は本気だった。
「そ…そうだね。分かった。やれるだけやってみよう! 亜美ちゃん、準備して!」
「分かりました。」
亜美がそう言った直後、小型ナノマシンが投入され、恵・仁・ロップがそれぞれつかまって所定のポイントへ散っていく。
「今回の治療法自体は、決して難しいものではない。だが一回で成功させようとすると話は別だ。最も効率的に電気ショックを与えられるポイントは人それぞれ微妙に異なる。諸君が心臓壁のどこに張り付くかは諸君のカンに任せるしかない。」
五蔵が言い終わる頃には、四人は心臓の各所で電極となる位置を決めた。
「こちら仁! 俺は自分のカンを信じる。ロケーション確定、準備完了!」
「ロップ、準備おっけえ!」
「強志、OKです!」
「こちら恵、準備…」
恵はそこで深く息を吸い込んだ。そして、
「完了!!」
「電気ショック、いきます!!」
まばゆい光と共に、心臓に一瞬電撃が走る。
(今度は…僕がファーストビート最初の鼓動を起こす番だ。例え、あなた神谷医師がどんなことに手を染めていたとしても、僕は…苦しんでる人を助けると決めた志を失わない!!)
彼の、全てをかけた勝負の結果は…
「さっき、通信が切れてもた。溶かされたか、気付いて取り出されたか…」
「問題ないよ。ちゃんとデータは取れたしね。」
「ゆ言うても六年前のんやろ? こっちはもうとっくに完成しとるやん。」
「ふっ…」
「あ、そやそや。昨日、おもろいひと女からコンタクトあったで。」
「!? 誰だい?」
「願ったり叶ったりや。」
「これは…。」
「残念や…わいもあのひと女尊敬しとったんやけどな…。世も末や。」
「僕達が言えることかい?」
「まあな。…多分盗られんようにアレは隠してくるやろけど…あのひと女が身体ん中から出せば、わいが見つけるのは造作もない。」
「くくくく…本当に願ったり叶ったりだよ。」
・・一週間後・・
「げ、ゲームに負けたからぁ!?」
エレベーターの中、恵がすっとんきょうな声を上げる。
それもそのはず。亜美によれば、志穂が来た日に、徹が三時間も前から準備しようと主張したのは、ゲームが原因だったというのだ。
「多分そうですよ。あれ以上ゲームで負け続けたくなかったんでしょうね。仁さんは相当強いみたいですし。」
と、亜美。彼女は、腕にやたら大きな包みを抱いていた。
「うそ…徹が!? くっ…ぷぷぷぷ…」
少し驚いた後、今度は恵は腹を抱えて笑い出した。
「だって…え!? いつもあんな大人っぽい徹が、ゲームで…くくくく…。そ、それで亜美ちゃんあの時笑ってたんだ!?」
「ええ。」
言った後、亜美も口を覆って震え始めた。どうやら、思い出し笑いが襲ってきたらしい。
と、ピンポンと音が鳴って、エレベーターが途中階で止まる。
「!?」
扉が開いて乗り込んできたのは、間が悪いことに当の徹だった。
「だ、だめ…あたしもう耐えられない…」
エレベーターの壁を引っかかんばかりに両手を押しつけ、恵と亜美は笑いの波に耐え続けた。
「…大丈夫か? 二人とも…」
事情を知らない徹が心底不思議そうに訊いてくるが、それがまた二人の笑いを誘う。
「く…くく…な、何であんたこのエレベーターに乗ってくるのよ!」
そして、苦し紛れに逆ギレ。
「!? 彼女を送り出すんだろ?」
徹がそう言ったところで、エレベーターが一階に着き、扉が開いた。
そこには先着していた強志と仁、そして無事退院を果たした志穂の姿があった。
「志穂さん、おめでとうございます。」
そう言って亜美が、包みの上を解いて志穂に差し出す。それは亜美自作の花束だった。茎がバネのように渦巻いたものや、葉が円い形をしているものなど、不思議な形の花が満載されている。
「わあ…ありがとう!」
「一応異常はないって確認しましたけど、また何かあったらすぐにいらして下さいね。」
亜美の言葉に、志穂は笑顔で頷く。
「じゃあ…」
そう言って、志穂は玄関で待っていた両親と共にVMSを去っていった。
「あれ!? 強志さん…志穂さんには何か言いってあげました…?」
「いや、俺と一緒に来たけど大したことは言ってなかったぜ。あんだけ部屋に入り浸ってたし、ネタも切れたんじゃねーの?」
後頭部で手を組んで、仁はそう言いながら部屋に戻ろうとした。直後、その頭を素早く亜美のグー拳が襲う。静かに倒れ込む侍。後半、余計なことまで言い放ったのが彼の運の尽きだった。
「あ、すいません! 仁さんの頭に蚊が留まっていたので!」
「惜しかったな。逃げたみたいだ。」
にこやかに言う亜美。そして淡々とフォローする徹。
「……亜美…ちゃん? だからって…グーで?」
恵の疑問は無視して、亜美はスタスタと部屋へ帰っていった。仁の亡骸を引きずって徹が続く。
しばらく二人は凍り付いたまま、亜美達が返っていった方向を見つめていた。
が、ふと恵が口を開いた。
「ねえ…どんな話してたの?」
訊いた後、恵は少しばつが悪そうにそっぽを向く。
「え…。昔のこととか……恵ちゃんのこととか…」
「!?」
強志の言ったことは本当だった。もっとも強志としては、ここ数日の異変を簡単に話しただけだったが。
「な、なんであたしの…!?」
困惑しながら恵が訊く。
「恵ちゃんは…強いなって…。」
「え…」
一瞬、心臓が激しく脈打った。そして驚きと共に、恵は心の中で氷のようなものが溶けていくのを感じた。
「僕達も戻ろうか。」
強志は部屋へ向かって歩き出した。
(これでいいのかな…?)
歩きながら、強志は心の中でそう独りごちる。
実は、これは志穂の入れ知恵だった。
「今度、『恵ちゃんは強いよ』って言ってあげて。きっと、それで元気になるから。」
「え…いいけど…」
「恵ちゃんどうしたの?」
強志が立ちつくす恵に気付き、振り向いて訊く。
「あ、ううん。何でもない。」
恵はこのときは、まだ気付いていなかった。
自分が、あの日やけに苛ついていた本当の理由。
「強い」と言ってもらえることが、なぜこんなにも安心感をもたらすのか。
そして、恵の中で目覚めた、もう一つのファーストビート最初の鼓動に。
その頃、VMSの外では志穂が建物を少し悲しげに振り返っていた。
(私、ずっとこの身体を呪ってた。発作が恐くて好きなところにも行けない。好きな人に…好きってことも言えなかった。
でも、この身体のおかげでまた強志君に逢えたから…。
もう強志君の心に私はいなかった。
それはすごく寂しかったけど…強志君には、きっと彼女みたいな子が必要なんだと思う。
…頑張ってね、強志君。
そして、ありがとう。)
奇しくも、志穂の予想はこの後当たることになる。
それは、また別の話となるが
あとがき
終わったああああ!!
何か担当さん(注:当ページ管理人halogen)によると「やっぱあとがきみたいなの欲しい」と前回言われたので、バカの一つ覚えで今回もあとがき(みたいなの)を書きます。
つってもねぇ…短編の途中で一回一回あとがき入れるのもどーかと思うけど。
あ、でもこの分量自体が短編といえるのかどうか…。前回の2.62倍!(当社比)
始めに、今回のタイトルにもなった'first beat'。まず恐らく医療界では使われておりません。作者が今回の主題に乗せるため(そしてタイトルのために)作った言葉です。ま、ストレートに'first love'でも良かったんじゃ?とも思いますが、それだと単純すぎだし、ってんで、「心拍」の意も兼ねてbeatを採用しました。今回はあえてかなりドラマ(テレビで言うと実写)に重点を置いたので、ロップの指摘は全くもって当たってます。
それに引きかえ、今回は強志が出張ってますねぇ…。まあ、そもそも今回の短編企画は、天川友希編で余りに登場回数の少なかった(と言ってもしっかり重要な場面には半透明になってでも現れますが)強志に活躍の場を…と言うコンセプトで始まっているので、当然といや当然です。たまには緊迫のシリアスシーンを交えつつ、簡単にオイシイ思いはさせない辺りが今回工夫したところでしょうか。ま、それが強志の性分でもあり、良さでもあり、不運でもあるんですけどね…。
さて、今回は短編らしくないことがおきまくってますが、ついに短編にあるまじき終わり方をしてしまいました。そう、神谷さんの話は先の物語(次回作とは限らん)に続くのです。何かもう「実験」が「勘違い」と言う可能性は薄くなり過ぎた感がしますが、そこはまだ謎と言うことで…(最悪だな…)
決着は、長編の方で付けるつもりです。
そして次回短編は、FA(first arrogance)よりももっと前の話を予定しています。ご期待を。
PS:短編に悟が出るのはまだかなり先かと…。 (sin)