『燕雀』


どいつもこいつも同じ顔だ。

評議会に流れる空気はまるで腐臭だった。
場に居合わせた面々は、喜とか楽とは無縁の顰め面で開会の言葉を聞く。
量産された仮面でも張り付けたかのように、彼らは一様に表情を固めていた。

中央に立つスネイプは、周囲を一瞥してそう思ったが、口には出さなかった。



彼の隣の壇上では、ダンブルドアが一年前の魔法界の状況を解説している。
その時のスネイプの行動も。

セブルス・スネイプはデスイーターであった。
闇の陣営に属していた容疑者である彼は、衆目に晒されながら評議会の中央に立つ。
鎖こそないが、杖は没収されて久しい。


扇状の会議室に詰め込まれた、いわゆる有識者達の目は冷たかった。
恐怖が開けて、それでも明るい時代を開くためには、苦い後始末をしなければならない。
こんな作業は誰しも嫌なのだ。
けれど、枕を高くして眠るために、子供に笑いかけるために、彼等にはこの作業が必要なのだった。
デスイーターを捕まえて片っ端からアズカバンに送ることが、魔法界を守るために必要なのだった。


それでもおそらく本来の数の半分も捕まらないだろうけれど。


スネイプはおおよそではあるが、デスイーターの総数を予測していた。
いくら逮捕された少数から仲間を聞き出したとて、全員を割り出すのは到底無理なことだ。
あの人に忠実な者達は決して口を割らないだろうし、他の面々は総じて、己の地位を守る工作くらいはお手の物。
連座させることなど出来はしない。

彼自身も、何人かのデスイーターの名を記憶していたが、ここで喋るつもりは全くなかった。
そもそも、彼は弁明する気がなかった。
ダンブルドアが己の潔白(それほど白くはないのだが)を証明する言葉を並べるのを、他人事のように聞いていた。



人を殺したことなど、勿論ある。
許されざる魔法を何度も使った。
それを悪いとも思わなかった。

だから、自分はアズカバンへ送られる‘資格がある’と、彼は思っていた。


けれどダンブルドアは、スネイプを無実だと主張する。
確かに危険は冒した。
『例のあの人』の情報をずっとダンブルドアに伝えていた。
そのために助かった家族もあった。
偽の情報を闇の陣営に流したりもした。
誰が卿に加担しているのか、周到に探りを入れて見極めた。

…けれど、それが上記の事実をうち消すということにはならない。



裁判官であるクラウチは勿論それを知っていたし、悪を憎むこと甚だしい人でもあったから、スネイプを無罪だとは認めたくなかった。
彼の基準からすれば、明らかにスネイプは有罪なのだ。
けれど、反ヴォルデモート卿陣営の筆頭であったダンブルドアの言葉である。
周囲の賛同はとうとう得られず、アルバス・ダンブルドア尽力によって、彼は処断を免れた。ただし、これからも保護の名の下に、監視しておくという条件付きで。



その決定が下されるとともに、会場には、無念とも安堵とも取れない溜息が広がった。
一段高い場所を降り、変わらぬ無表情で扉へと向かうスネイプに、頭上からバーテミウス・クラウチが話しかける。

「あまり調子に乗らぬ事だ。君が望むなら、すぐにもアズカバンに独房を用意してやろう」
「それはどうも」

彼は振り返って言った。
感情の針は振れない。瞳はまるで恐怖というものを宿していなかった。
ただ、とても疲れているように見えた。

「アズカバンに行きたいのかね?」
「いいえ」

スネイプは首を振る。

「まだ卿は死んではいない。だから私はまだ死ねない」
「それを理由とするなら、それほど『あの人』を憎むのなら、何故死喰い人などになったのだ」

この会話は無意味なものだった。
クラウチを始め周りの観衆は皆その答えを知っていた。

家系。そしてスリザリンの出。
デスイーターになることはおかしくない。
むしろ、それは自然な流れだった。
スネイプと同世代に卒業したスリザリン生のほとんどは、最低一度は死喰い人の容疑を掛けられたことがある。


けれどもセブルス・スネイプは今日初めて見せる不快な表情で、初老の裁判官を見上げた。
口から洩れる言葉の端々に、驚くほどに怒りが滲み出ている。
彼はきっぱりと言い切った。



「それは私だけの理由だ」

答えを共有した相手はもういない。

「私だけに価値がある理由だ。話す気はない。理解も求めない」

ただ一人の共有者はもういない。
だからそれは、彼だけが有価と認めるものだった。



クラウチは黙って容疑者を見下ろす。
黒髪の男は不遜に見えた。
法を軽んじているように見えた。
社会に不適合だと、彼は思った。


―――やはり早急にアズカバンへ。

そう決意した事は、じき明らかになる息子の醜態によって彼の脳裏からは吹き飛んでしまうのだが。





まるで全身から棘を生やしたように感情を露わにするスネイプに、ダンブルドアが静かに声を掛ける。

「セブルス。それで、よろしい」

だからもう行きなさい。










部屋を出た観衆の一人は、深く長い溜息を付いた。
『それでよろしい』
言葉の意味が、とても重かった。
クラウチに八つ当たりのように怒りをぶつけるスネイプは、男の知っているスネイプだった。

刺々しく、いつも怒っていて、時には机を蹴り上げる。
それが彼の知っているセブルス・スネイプだった。

だが、人は多面性を持つ。
無表情で、自分の行く末にすら興味がないというように立ちつくしていたスネイプもまた、スネイプに違いない。
彼にそういう側面があることを知っていた。
けれど、よくは知らなかった。
リーマス・J・ルーピンのよく知るスネイプは、いつも不満げに口論を吹っ掛けてくる男だった。


それでよろしい。
「自分だけに価値がある理由」を抱えるスネイプを、ダンブルドアは認めた。
まるで小さな子供の背中を撫でているように、ルーピンには聞こえた。


「ジェームズ…」

思わず呟く。
その名を呼ばずにはいられない。

君が彼を固定したのか。
君の死が。
いつもの、僕のよく知っている側面に、彼を縛り付けた。

死者はもはや朽ちない。
思い出は薄れることはあっても変幻することはない。
だから、セブルス・スネイプはもう変わることはないのだ。
いつか彼と会うことがあったら、彼は不機嫌そうにあからさまな敵意をぶつけてきて、「お前かルーピン」と苦々しく吐き出すのだろう。



「彼だけの理由」をきっと僕は聞くことはない。
そして僕も「僕だけの理由」を抱えて生きるのだ。

『話す気はない。理解も求めない』

言いきったセブルスが妬ましかった。
彼にとって、それは大事なものなのだ。
資格のない他の誰とも共有できない、分け与えたくない大切な何か。


「いいなぁ」

ジェームズの死は、スネイプを強固に縛り付けるだろう。
一生変わらない。
彼は彼のままで生きられるだろう。

ルーピンにとっての友人の死は、不信と挫折の始まりであったというのに。
自分には、苦悩と後悔としか与えてくれなかったというのに。




リーマス・J・ルーピンもまた、無罪の判決を下された者だった。
けれど彼は何処へともなく姿を消した。
到底、今の場所では生きられなかったから。
人狼である事への迫害と、周囲の白眼視に耐えられる力は、今の彼からは失われている。
逃げるように、彼は暗がりに身を隠す。

「…わかってる。死が幸福を運ぶはずがないと。彼は苦しい。彼も苦しい。それでも僕には彼を羨むことしかできない。この狭量を憎まずにはいられない。曇った目を晴らさなければ。事実を受け入れなければ。だけど今はそれが出来ない」

―――どうしてこんなことに。
今はまだ、その言葉を唇がなぞることすら許されない。

彼がもう一度「シリウス・ブラック」と発音できるようになるまでに、十年以上の月日が流れた。
アズカバンからの脱獄のニュースを聞くその時まで、果たして彼はその名をねじり出すことが出来なかった。










「なんにせよ、我らには時間が必要じゃ」










遡ること数ヶ月。
毛布にくるまれた男の子を、プリベット通り四番地のありきたりな戸口の前に置く際に、ダンブルドアは一口そう呟いていた。