『干戈』
「だったら滅べばいい」
その一言で、アーサーとルシウスは永遠に袂を分かった。
「滅べばいい? よくもそんなことを」
ルシウスがアーサーに対して本気で怒ったのは…彼は大概不機嫌だったが、それでも真実本気で抹殺を考えたのは、学生時代も終わりに近付いたある日のことだった。
早朝。まだ濁りのない空気の中で、中庭の緑の上で、彼らは最後の会話をした。
「滅べばいい。あんたの手を汚させるくらいなら。魔法界なんていらない」
「無くなるということがどういうことか、本当に分かっているのか?」
ルシウスは苛立たしげに向かい合う男を睨み上げた。
「種の滅亡だ。魔法族が死に絶えたら、我々はどうなるのだ。何のために生きている? 我々が積み重ねてきたものは…文化は! 歴史は! 一体何処へ行くと言うんだ? 誰も伝える者がいなくなり、断絶し……我々が生きてきたことの意味はどこに残ると言うんだ」
「そんなに目くじら立てることかよ」
アーサーは、かつてない相手の剣幕に、少々驚きつつも言い返した。
「確かに魔法族はこのままいけばマグルに埋もれてしまうさ。マグルの数って多いものな。混血が進む限り避けられない。…だがそれがどうだって言うんだ? 終末を見るのは…最後に一人で佇むのは、あんたじゃない。俺でもない。何十代か後の名も知れぬ誰かだ。どうして俺らがそんな先のことに責任を負わなくちゃならない? どうしてあんたは罪を犯してまで誰とも知れない奴のために魔法界を残そうと言うんだ」
「最後に残るのは確実に我らと同じ血引く同胞なのだぞ」
「同じ血、ねぇ」
彼は頭を掻く。
「俺は血統信仰ってあんまりないんだよな。いいだろ。最後の誰かさんは魔法族としては一人でも、マグルはいっぱいいるんだから」
「マグルは我々とは違う」
「違わないよ。同じ人間じゃないか」
「異なる種族だ。且つ、相容れぬ文化形態だ。そもそも混じり合ってはいけなかった。そうすれば、今このような憂き目を見ることもなかった。あの忌々しい産業革命とやらは、ここ英国で起こったのだぞ? 僅か二百年で、彼らは我々を駆逐するに至った。マグル人口の急増。いまや世界に余分な土地は一インチたりともない。我々は棲み分けを止めて共存しなければならなくなった。――我々が何をしたと言うんだ。かつて獣から身を守る術も、病から回復する術も、枯れた大地を実らせる術もなかった彼らに、あれほど尽くしてきたというのに。もはや猶予はない。我々が滅ぶか、マグルが滅ぶか。どちらかだ」
「ルシウス。根本的に間違っていないか? マグルは俺たちを知らないんだ。滅ぼそうとしているわけがない。知らないんだから。ただ、彼らの文化が少し強すぎたというだけじゃないか。併呑を恐れてなんになる? よくあることだ。今までの歴史で、主流に飲み込まれて消えていった者達がどれだけいると思う? 俺たちがたまたまそれに該当したからといって、そうヒステリックになるもんじゃないよ」
「…忘れ去られた者達の怨嗟の声は深いぞ」
「それでも、恨むのは筋違いだ」
アーサーは首を振る。
「仕方がないじゃないか。ルシウス、俺たちは数が少ない。すぐにマグルの血の中に埋もれてしまう。そして、マグルは魔法を必要としなくなった。魔法という文化が無くなるのは…そりゃあ悲しいけど、これも時代の流れさね」
「気に喰わんよ。なにゆえ自分の持つアイデンティティをそこまで軽んじられる?」
「あんたこそ、属性に囚われているんじゃないか。俺は魔法族である前に、一個の人間だし、ウィーズリーである前に、アーサーなんだ。…わかるかな? もし、だよ? 俺がスクイブだったとしても、やっぱりアーサーって名付けられただろう。可能性はあったんだ。でもな、例え魔法使いじゃなくても俺がアーサーてことには変わりないだろ? そこが大事さ」
「もし私がスクイブだったら、とうに土の下だったよ。マルフォイではな」
「そりゃ、確かにそうかもしれないけど。マルフォイからスクイブは出せないよな。それが判明した瞬間に事故死決定だ。でもルシウス。マルフォイに生まれたからといって、あんたがマルフォイにならなくてはならない理由はないだろう? 何故自分を優先させない? あんたのやりたいことをすればいいんだ」
「ならば言おうかアーサー。私がやりたいのは、マグルの殲滅だ。一人残らずというのが無理ならば、せめて文化水準を千年前に戻す。魔法がなければやっていけなかった頃、彼らの力だけでは生きられなかった頃に。そうしてこそ、魔法族は存続できるだろうよ」
「だから、どうしてそこまでしたいんだ? そこまでして存続する理由がどこにある。億単位の人間が泣くんだぞ」
「だから? どうしてそこで大人しく滅びなければならないんだ。滅びを受け入れる覚悟。それがグリフィンドールの勇気だというのか?」
「いや、違うと思うね。ダンブルドアは、併呑されつつもその中に細い道を切り開こうとしている。希望は薄い。でも彼はやろうとする。それが本当の勇気じゃないか。俺なんかは…本当に愚かだと自分でも思うよ。でも、今日明日飯が食えて、一緒に笑える家族や友人がいて、それ以上に何を望もうっていうんだ。俺にはこれが幸せなんだ」
「安住…事なかれ主義の極地だな。お前は諦観したふりをして、怠惰を正当化しているだけだよ。わからんのか? 何もしないことは罪だ。殺される人間を黙って見ているのと同じだ。尚悪いな。同胞が、種族全体が滅びを迎えようとしていて、お前はそれを分かっているくせに、見て見ぬ振りをするんだ」
「見てるよ。見た上で滅んでもいいって言ってるんだ」
断じた相手に、ルシウスは温度のない瞳を向けた。
その顔が一瞬悲しみに曇って見えたのは、目の錯覚だったのだろう。
非難めいた口調で彼は言う。
「………アーサー、お前は、感じていないのか?」
「ルシウス」
「言わせぬよ。気付いていないなどとは。お前とて誰より古い血をその身に流している。元より魔法族というのは共同体の中で巫覡の位置にあった。マグルとの共存が破れてからも、その力が失われたわけではない。流れる血が言わないか? 焦燥に駆られないか? 滅びが恐ろしいと、祖は言わないか? お前はお前一人によって成っているわけではない。何十代と続いた蓄積だ。系譜がその血に書き込まれているのに、それでもお前は自分がただの「アーサー」だというのか。不孝者め。始祖がどれほどに嘆いているか、わからないとは言わせんよ」
「…サラザール・スリザリンの執念だな。今のあんたは。取り憑かれてるんじゃないか?」
眉を顰めつつ、彼は言葉を紡いだ。
「そうだな。わからんわけじゃあない。誰だって滅びたくないに決まってる。俺だって、嫌だよ。でも嫌だっつってもしょうがないことがあるだろ? 結局、なんらかの手段を講じて、血統を維持していっても、もう無理だよ。そういう流れなんだ。純血はどんどん減り続けるし、混血した魔法族の魔力は弱まる。いつか、魔法を持った家系なんてものはなくなってしまう。そしたら…そうだな。マグルの国家が魔法を管理して、魔法が使える子供が生まれたら、みんな一箇所に集められるんだ。小さなファミリーさ。いつかコミュニティーも作れないほど、魔法族の数は減るだろうよ。…でも最後の一人にはならないかもしれない。マグルの中に潜伏した血は、ときどきひょいと顔を出すよ。国中から掻き集めればファミリーが作れるくらいには。きっと」
「何の確信があってそれを言う? マグルに文化的保護を乞うのか? 魔法族の矜持はどうなる? 築き上げた歴史と文化が過去の遺産として埃を被る様を甘んじて受け入れろと? それに…この血は劣性遺伝だ。きっと、埋もれてしまう」
「そもそも、それが運命さ。劣性だったことが。そればかりは変えようがない事実だ。最初から決まっていたと思えば受け入れることも出来るよ」
早朝の、若草萌ゆる緑の庭で、彼らは最初の会話をした。
「では。お前は私に滅べと言うのか」
「ダメか? ルシウス。俺も一緒に滅んでやるから。だから諦めろ」
まっすぐに彼は見つめ返す。
青と灰色がぶつかり、それらは弾けることなく溶け合った。
しばらくして、くっと喉は震える。
「だったら諦めさせてみろ。意味は、分かるだろう?」
踵を返す友人を、溜息とともにアーサーは追いかけた。
「俺にそれをしろって?」
「お前の提案だ」
「…仕方ない。仕方がないよホントに。それしか方法がないというのなら。俺はあんたを“諦めさせる”よ」
「……本当に嫌なんだぞ、ルシウス」
「私とて本意ではない」
「私は主張を変えない。魔法族が生き残るためなら何でもしよう。だから、お前のような主張をする者は生かしてはおけない」
「どちらが思想犯か、はっきりしていると思うけどね」
「今の時点ではな。だが、善悪など容易に反転する。譲る気はないぞ」
「こっちもだ」
「そうとも。他に道はない」
「じゃあ約束しよう。…いつか、あんたを相応しい場所へ送ってやる。そう、アズカバンへ」
「では、私は君に孤独をくれてやろう。そののち、一足先に滅べ。一族も全て連れ立たせてやるから寂しくはないぞ」
「いらん親切だ」
「お前は返してくれないのか?」
「当たり前だ。俺が止めたいのはあんたであって、マルフォイの連中じゃない。止めるのはあんただけだ」
「そもそもマルフォイの名を抜かして私を語ることなどできはしない。知っているくせに」
「あぁ知っているとも。でも違うんだルシウス。俺はあんたのためにだけ、裁かれる危険を冒すよ」
歩みを止め、同じ高さにある瞳を向かい合わせ、彼らはそれが初めての告白だったことに気付いた。