『背中』


口付けを交わすとき、一番好きなのは手の重み。
首筋と髪に回された両腕の、柔らかな感触。
髪に這う指の動きを感じる度に目眩がする。
自分を引き寄せる、その意志を感じることに陶酔し、
深く貪ることに夢中になっている間の淫猥な酩酊感は、きっと何よりも―――











がたん。









あまりに唐突に、夢から現実に引き戻された。
音のする方向を向くと、扉。
今閉められたとばかりに軋んだ音が、暗い部屋に反響する。


アーサー・ウィーズリーは呆然としつつも九十度、首を元の位置に戻した。


「見られたぞ」


机の上に腰掛けたままのルシウスが、端的に事実を告げる。

反射で口元を抑え、「やべぇ」と彼は口走った。
耳が真っ赤なのが、薄暗い教室の中でも見て取れる。








走って扉を開けたアーサーは、目の前の廊下で本とノートをぶちまけているセブルス・スネイプの姿を見つけたのだった。

「…なーんだ。おちびさんか」
あからさまにホッとした口調で、彼は肩を落とした。
セブルスは慌てて最後の本を拾い上げ、一歩その場から下がる。
「まぁ、言わなくても分かるよね?」
にっこり笑顔で口止めをして、扉を閉め掛けた彼を、上擦った声が呼び止める。

「あのっ…」
「何?」
引きつっているのか困惑しているのか、判別しがたい表情で彼は問いかけた。
「どうして…?」

改めて問われ、アーサーは戸惑った。

「そんな永劫の真理を問われても」
「え、えいごう?」
「いやつまり、俺にも答えられなくてね」

ぴしゃりとした言い方で、質問をうち切ると彼は唇に人差し指を押し当てて、ウィンクした。

「口止め料は、貸し一つって事で」














教室の中で、机に腰掛けたままのルシウスは、雪崩れた銀の髪をさっと払う。
先刻、無遠慮に抱きしめられた折りに、それらを束ねていた紐は床に落ちていた。

「…なーんだ。おちびさんか」

遠くから聞こえる安堵の声を、何故か腹立たしく聞く。


―――所詮やましいのか。

日の下に晒せる関係ではない。
ささやかな噂も、せいぜい夜の陰鬱さを越えてはこられないはず。
隠すまでもなく、表沙汰になるはずもないのに。

いや、この気持ちは違うか。


ふぅむ、とルシウスは右手で顎を撫でた。

口止めしたことでもなく、隠そうとしたことでもなく。アーサーが走っていったことに不快を感じている。
この私に背中を向けたことに。

あ、ひょっとしてかなり怒ってるのかな、私は。

こんなことには慣れていない。
いつも背を向けるのは私で、それを見送るのはあいつの役割だったはず。



その背中が離れていくなんともいえない心のざわめきは、不愉快としか言いようがなかった。


なんのことはない。
よほど溺れているというわけだ。私も。


たどり着いた結論に自嘲する。


ルシウスは髪を掻き上げながら、それを束ねるのを日課としている男の帰還を待った。