『授業』


扉を叩く。
こん、と拳で一回きり。

この力加減が難しいのだ。
誰かに聞き咎められぬよう、音は大きすぎてはいけない。
かといって、小さすぎては部屋の主に届かない。

十数秒後、扉はゆっくりと開く。
俺もくだらん技をマスターしたものだ、と感心しながら「この度は夜分遅くに、」と恒例の挨拶。

戸口の隙間からルシウスの表情を眺める。
「何をしに来た」と重低音。
不機嫌だとすぐにわかる、唇の歪み加減。この微妙な差がわかるのは俺くらいだろうけど。


「遙々果ての塔からやってきた旅人にそういう言い方はないだろ? 入れてくださいルシウスさま」

「…………………どうぞ御勝手に」


言った直後に、もう回れ右で背を向けてくれやがる。
やっぱ許可のない日に来るのはあれだね。ご機嫌斜めだわな。
声には出さずぼやいてから、部屋の中へと滑り込む。
ベッドの上で本を広げるルシウスの、長い髪を結ったり編んだりして就寝時間までを過ごして。
「また明日」と、何度言っても別れ際に彼は声を発しない。

一度くらい返してくれたっていいだろうが。

そう恨みを込めつつも「良い夢を」と、ありきたりな言葉で切り上げる。












暁。白昼。昼下がり。
昼食を食べて、午後三時限目は「魔法史」だ。

永遠に終わることのないゴブリンの反乱の話を聞きながら、今頃になって怒ってみたり。
頭の中でぐるぐると、何か考えていなければ、この教師の飼っている睡魔に撃沈されてしまう。




「何をしに来た」とルシウスは言う。

何しに来た?って何をしになんてわかってるだろうが。会いに来たに決まってるのに冷たいよあいつは。つーか俺のことどう思ってんの?邪魔?邪魔なら断るだろうルシウスなら。そりゃあもう、すげなく無情に扉を閉めやがるだろ。しかも思い切り。じゃあなんで俺をわざわざ部屋に入れてくれるんだか。それって特別扱いしてくれてるってことだよな?それくらいは俺に気を許してるってことだろ?違うんかな?誰にでも?いや、そりゃあ絶対ない。奴は自分の空間に他人が入るのは大嫌いなはずだ。髪触られるのだって嫌だっていうのに。まあ俺触ってるけど。手触りいいよな〜あれ。信じられないくらい細くて柔らかい〜いや、今はそういう話じゃなくて。結構頻繁に通ってるっていうのに、なんで奴はああつれないわけ?グリフィンドールの俺がスリザリンに忍び込む苦労とかわかってないのか?いやわかってるよ奴は。わかりきってるに決まってるよ。なのにあの態度だぜ?やってられるかよ。何をしに来た?その美貌を拝むために決まってるだろーが。いちいち問い質すのかよ。しかも毎回。何?何か意図があるわけ?それともただ性格悪いだけ?ええいくそぅ。何をしに来たって?……彼らは何をするために墓場を行進したか?なんだよおいミスター・ビンズ。ゴブリンの駆け引きの単純性なんてどうだっていいじゃないか。んなとこテストに出すなよ俺今日聞いてないんだから。レポートもうんざりだ。答えなんてわかりきってるんだよ。そんなの駆け引きなんて言わねえって。墓場を行進したのは行進じゃなくて進軍だろ。要するに最短距離突っ切ったわけよ。墓石土くれお構いなし。軒並み踏み倒して敵を見かけたら速攻―――――




「―――えぇっ!?」




何の前触れもなく、生徒の八割が寝ていた教室を大音響が駆け抜ける。

ぶつぶつとゴブリンの索敵の方法について呟いていたミスター・ビンズは、訝る表情で、グリフィンドールの監督生を見つめた。
同様に、部屋中の人間が眠りを妨げられた怒りの念をアーサーに送りつけてくる。


「あはは…なんでもないんですすみません」


机から半分ずり落ちながら、アーサーは力無く笑った。















夕暮れ。夕食。宵の口。
いつも通りに高慢ちきなスリザリンの監督生の部屋の戸を叩く。
開いたドアの間から、やはり不機嫌な顔。


「何をしに来た」


「――襲いに」


言い切ってから、頬が強張るのを感じた。
男は艶やかな銀髪を肩に流していた。そして扉を開けたときと寸分変わらぬ無愛想。


「…………どうぞ御勝手に」

冷ややかに。昨夜と全く同じ反応を。




いや、少しだけ。
ほんの少しだけ返事が早かった。













一歩、足を踏み入れてから、すぐ目の前にある背中を掻き抱いた。

「俺って馬鹿だ」


肩の向こうから腕が伸びて、頬に手の甲が触れてくる。

嘘だ。知らなかった。

手が、暖かいだなんて。




「反省はしたか?」と耳が蕩けるような甘い声音が。

今なら極上の笑顔が見られる。後ろから首筋に顔を埋めながら、そう思った。