『齟齬』


廊下の先にその姿を見つけたジェームズは、すぐにも声を掛けようと思った。
けれど隣にいる人物が目に飛び込んできて、彼は反射的に口を閉じる。

「いい加減にしてくれ。鬱陶しい」
「ほら、すぐそう言うんだから。ちゃんと僕の言うこと聞いてる? 面倒だからってさぼっちゃダメなんだよ」

何故かリーマスは、スリザリン生と向かい合って話していた。
スリザリンの、あのセブルス・スネイプである。
ジェームズはそそくさと柱の影に身を隠した。
隠れるのは得意だが、何故に隠れねばならないのか?
自答する暇もなく、二人の会話は続く。

「だからね。君って髪の毛細いじゃない。それに猫っ毛でしょ。ストレートだし、すぐべたっとなっちゃうんだよね」
「…それで?」
「細いとそうなんだよねー。すぐに重力に負けちゃうし。パーマネントとか掛ける気ない? 髪にボリュームが出ると思うんだ。あ、でも折角綺麗なストレートなのに勿体ないかぁ。でもそんな魔法あったよね?」
「そんな魔法を研究するのに無駄に時間を使うくらいなら、髪なんてない方がマシだ」
「またまたぁ。そんなこと言ってると、シリウス辺りにホントに坊主頭にされちゃうよ?」
「…………」
「あとね、布団に潜って寝てるでしょ? それダメだよ。夜、髪の毛洗っても朝にはもうべっとりしちゃうもん。そもそもちゃんと髪を乾かして寝てる? 朝寝癖が付いて、水とか付けて何とかしようなんてことすると、やっぱり同じ事だよ」
「……あのな、ルーピン」
「そう、あとは毎日髪を洗うことかな。本当は、朝洗うのが一番なんだけど…君って低血圧みたいだし。どう?」
「余計なお世話だと言っとるんだ!」

セブルスは苛ついたように叫んだ。
対してリーマスは、相手の不機嫌などまったく気にもとめず、「しょうがない子だねえ」と呟いた。

「まぁ時間ないし、今日はもう帰るね」
「そうしてくれ」
「…それじゃ」

不意にリーマスは、足を踏み出した。
直立不動。
その姿勢を維持していたセブルスは、それでも近付いてくる相手の顔にわずかに仰け反った。
ふわりと片手が後ろから黒髪を抱え、それ以上の動きを許さない。
彼も別段避けようとしたわけではなく、もう片方の手で掴まれた顎を素直に上向けた。
とはいえ、ほとんど身長差のない二人であるから動きは本当に微細なもので。
絡め取られるように相手の意に沿うキスシーンは、真っ昼間の明るい日差しの下では白昼夢にしか思えなかった。



――――見てしまった。

何故スネイプがとか、何故リーマスがとか、考える前に頭に浮かんだ言葉がそれだ。
数秒で離れた二人は妙な雰囲気を纏うことなく、ただの挨拶のように軽く言葉を交わしてそれぞれの方向へ進んだ。

夢か?
いや、幻覚を見たのか?

必至に自分を納得させようとしていたジェームズは、あっけなくこちらに向かってきたリーマスに見つかったのだった。

「あれ、ジェームズ。いたんだ」
極軽い口調で彼は話しかける。その笑顔に一点の曇りもない。
「え? あ?」
「…見てたね?」
動揺しまくってるジェームズの肩を、彼は叩いた。
「気にしないで」
「いやそれ無理だって」
「えー、でも」
「…リーマス。僕はあれこれ追求したくない(怖いから)。でも一つだけ聞かせてくれ」
きっと真面目な表情を作って、ジェームズは友人を睨んだ。

「まさか、付き合ってないよな?」
真剣味を帯びたその言葉に、リーマスはいつも以上に破顔した。

「「あははははははは」」

二人揃って爽やかに笑う。
「ははは―――まさか」
彼は首を振った。
「そう…よかった(最悪の答を聞かなくて済んで)。…え? じゃあなんであんな事…」
「一つだけって言ったでしょ?」

少々意地の悪い表情で小首を傾げると、リーマスはジェームズの手を引っ張った。

「セブルスってさ、結構面白いよね」

それが答えだという風に、彼はジェームズに笑いかけたのだった。



  *  *  *



扉を開けた瞬間に男の渋い顔が目に入って、セブルスは鼻じろんだ。

「いたのか」
「いちゃ悪いかよ」

即答したジェームズは不機嫌きわまりない顔つきだった。




ホグワーツには無数の部屋がある。
そのうち何割かは、普段は誰にも使われず何者の目にも触れることなく埃を積もらせている。
ジェームズ・ポッターはそんな隠し部屋のうちのいくつかを「私有」していた。
彼に云わせれば「見つけたもん勝ち」ということらしい。
事実、趣味と実益を兼ねた夜中の徘徊の最中に、どう見てもおかしな場所から現れる生徒を彼は幾人も知っていた。

そして、いま彼が占領している部屋は極東ジパングの基準で云うと四畳半の広さ。
かなり狭い。二人いるだけでもう窮屈だ。

元は(四人で共有する悪戯研究室とは別に)ジェームズが個人で使っていた。
けれど、あのねちっこく執念深い性格のセブルス・スネイプの前でうっかり入り口を開いてしまったのだから、それは一大事だった。
「忍びの地図」を駆使して折角見つけた私有空間なのに、彼はあくまで教師達に通報するつもりだったのだ。
…仲悪いしな。
向こうはジェームズの困ることなら何でもするだろう。こちらも同じ心構え。そういう関係だ。
殴り合いもしたし、蹴り合いもしたし、決闘まがいのことをいつもしているし、成績でも争っている。(勝率七割)

そこをなだめすかして、「君だって個人空間欲しいだろ?」とか、「教師に言ったからって規則違反にはならない。校則に、偶然見つけた部屋を私用に使っちゃ駄目とは書かれてない。ここ教室じゃないもん。教室は無断使用厳禁だけど」とか。
37時間と48分に及ぶ討論の末に、互いの主張は折り合った。
当然徹夜。
昼休み、休み時間、放課後を全て消費し、かつ授業中は筆談を駆使して説得に当たった結果である。


結局、その部屋は「共用」というレッテルが貼られることになる。

内部は窓が無く、椅子が二脚ある。一脚は後からスネイプが持ち込んだ。
元からあった一つは長椅子で、ジェームズが昼寝に使っている。
机もあるが、極狭い。

長くもめたが、結果を見ればスネイプの利用は頻繁だった。
スリザリンの部屋ではできないこともあるらしい。
持ち出し禁止の本を読むときとか。禁止されている劇薬を調合するときとか。静かにレポートしたいときも。
なんだかんだ言って便利に使ってるじゃんお前、と時にジェームズはぼやいてみる。

一方ジェームズがそこですることは、主に昼寝だった。
悪戯研究は出来なくなったし、宿題なら自分の部屋でやる。
彼は周りが騒がしい方が集中できるタイプだ。

夜、たまたまその場所で会うことがあると、二人はまず昼間の愚痴を言い合った。
「お前のせいで」から始まって、あとはなんだかとりとめもない話をする。

マグルが月へ行った話とか。
月へ行けるはずがないとか。
かつて、月へ『姿現し』しようとした魔法使いの話とか。
大気の精霊を連れて行けば息は出来るんじゃないか、とか。
『姿現し』の飛距離を伸ばすには、とか。
38万キロメートルってどのくらいか、とか。
月は魔力が強いので、実際に月面に立ったらどのくらい影響があるか、とか。
シリウス達と話してると、すぐにちゃかしたりちゃかされたりして終わってしまうような、そんな話をした。

スネイプはどうやら本当に研究好きらしい。
とても満足そうに薬品について話をする。
呪いマニアなことを思い知るような話もすらすらと喋る。

「『くらげ足の呪い』と『ナメクジ足の呪い』の本質的な差」とかそんな話、普通聞き手いないぞ?
僕は面白いと思うけど。
今後反撃する際の参考にもなるし。
多分、同じ話を同室の奴らにしようとしてうざがられたことがあるに違いない。

いつの間にか夜は休戦、というのが不文律になっていた。
不思議なことに――やはり月の光が人を和ませるのだろうか――静かな会話が出来た。
そしてそれが不自然だとは思えなかった。
たとえ明日決闘する予定だったとしても。




「ここは僕の部屋でもある。いちゃ悪いかよ、スネイプ」
凄んでみせるジェームズに向かって、セブルスは眉を顰めた。
「何を怒ってるんだ?」
彼に心当たりはない。
少なくとも、今日一日は相手と揉め事を起こした記憶はなかった。(一昨日、ジェームズに保健室送りにされたことなら覚えているが)

「昼間リーマスと会ってた」
短く事実を告げる。
「あぁ」
と、セブルスは答えた。
「ルーピンか」

だから何だ? と首を傾げる彼に、少しだけジェームズはホッとした。
これで「リーマス」とか、ファーストネームを呼ばれたらどうしようと思っていたからだ。(どうする気だったのかは自分でもわからない)

「見てたんだ」
「それが?」
「何であんな事…」
「少し借りがあったからな。ミス・ピンスと延滞期限についてもめた時に、手を貸してくれた。――あの人は怒りっぽくて困る」
「じゃなくて!」
ジェームズが叫んだ。
「うるさい。狭いんだから怒鳴るな」
「…君は誰とでもあーゆーことするのか?」
不満の滲んだ声。
対してセブルスは呆れたように、座っているジェームズを見下ろした。

「人は選ぶに決まっているだろう」
「借りでキスするわけ?」
「たまたま向こうがそういう条件を出してきただけだ。…大体、ルーピンのはただの遊びだろう?」
「…リーマスで遊んでるって?」
「違う。あいつにとっては遊びなんだ。私は付き合ってるだけだ」
「なんでわかるよ」
「わからいでか。そもそも本気なわけがないだろう」
「いや、わかんないじゃん。そもそも見た感じの雰囲気がだね」
「遊びと本気の区別くらい付く」
「うそまじで? それが情緒が欠落している君の発言かよ」
「それについては反論できないが、所詮お前は当事者じゃない。口出ししないでいただこう」
「わかった」

「ほう」と、セブルスは感心した。
論戦を張っているときのジェームズらしからぬ、物わかりのいい返事だ。
「わかったとも、スネイプ」
ジェームズは俯いたまま、制服の襟を正した。
そして、黙って立ち上がるとセブルスの肩をわしっと掴む。

「当事者じゃなきゃ話にならんってことなんだな?」
「なにをするか!」

唐突に接近してきたジェームズの頭を、持っていた辞書でひっぱたく。(ちなみに英独辞典だった)

「なんでダメなのさ、リーマスならよくて!」
「ルーピンはどうでもいいが、お前とはどうでもよくない!」

それは特別なのだと公言しているようなものだったが、ジェームズはさっぱり気が付かなかったし、同様にセブルスは失言を認識しなかった。
全力で首筋に手を回し、引き寄せようとするジェームズに、セブルスはなんとか拮抗を保つ。
しかし、遅かれ早かれ力負けすることはわかっていた。

「…ちょっと待てポッター」
彼は冷や汗を流しながら、妥協を申し出る。
「わかったから、放せ」
「わかったって、何が?」
渋々と離れながら、彼は応じる。
セブルスは深々と息を吐いた。

「わかった。ルーピンには手を出さないようにする」
「違うわーっ!!」

もしここにちゃぶ台があったなら、絶対ひっくり返していただろう。
けれど、セブルスは訝しげに相手を見やった。

「なんだ? 友人を取られたくないんだろう? 私にはあんなのを取る気なんて微塵もないが…」
「だから違う! 全然論点違う! 大体軽々しくキスなんて―――」
「お前、ブラックとよくやってるじゃないか」

…………………………え?

虚をつかれ、ジェームズは硬直した。

た、たしかに。
遅刻したジェームズの代わりにレポートを出しといてくれたり、クディッチの練習で忙しいときに資料集めといてくれたりしたら、「さんきゅー愛してるよっ」「ぎゃー。やめんか寒い!可愛くない!」とかいうやりとりを交わしていたりはするのだが。しかも大広間で。少々過激なスキンシップと共に。

「けど、それとこれって…種類違うだろ!?」
「どこがどう違うんだ」
「いや…だから…」

わかってねえ。こいつ全然わかってねえよ。
このまま放っといていいのか? 
つーか、何故僕じゃダメなんだ? いや別にしたいなんて思わないけどっ。
可愛い女の子がいいに決まってるけどっ。
でもリーマスならよくて僕じゃダメってのは納得できん! ずるい!

ぐるぐると回るその妙な思考回路の行き着く先がなんなのか、彼にはまだ自覚がなかったわけだが。



それでもジェームズは、二度と人のいるところでシリウス達に対して「やっほーマイハニー」とか「愛してる〜」という類のことは言わないでおこうと誓ったのだった。