『偶然』
敢えて勝ち負けで語りたい関係というのもあるだろう。
相手に依存している、と気が付いたのは私の方が先だった。
繰り返す日常の中で、あいつがいないと自分が自分でいられないことを知った。
いつも、思考の中心に一人の男がいる。
「朝っぱらから馬鹿面さらしてるな。あの寝癖はなんとかならんのか」とか。
「この科目なら負けない! こちらが点数をもらうんだ」とか。
「休み時間、あそこの廊下を通るはずだな。何を言ってやろう」とか。
「放課後に何か仕掛けてくる気配がある。応戦の手段を考えないと」とか。
「グリフィンドールは今日の夜勉強会があるらしいな、無駄なあがきを」とか。
そんなことばかり考えて生活するようになったのはいつの頃からだったか。
そもそも、自分というアイデンティティを形成してきたホグワーツ入学以来の生活は、奴なしでは語れないものだった。
始まらない。
ジェームズ・ポッターという存在無くしては、何も始まらない。
…もし違う学年だったら?
…もしホグワーツに来なければ?
…もしどちらかがマグルだったら?
たとえこの関係が偶然成立したものだとしても、そんなことはもう無意味なのだ。
私たちは出会ってしまったのだし、終生続くレベルの喧嘩をおっ始めたのも昔の話。
今はただ身に染みついた習慣が、相手の顔に雑言を吐き掛ける。
もう無理だから。
それなしに生きるなんて出来ないから。
ジェームズの存在を自分自身のために必要とする私。
その認識は、悔しいとかそんなレベルを軽く超越している。
何か他に道はないか、あいつを自分の中から排除してしまう方法はないかと考えて、逃げ道のなさに愕然とした。
逃げようがない。
だって必要としているんだから。
要らない。憎い。消えて欲しい。抹殺したい。
けれど必要。
無視することなんてできない。無視されることに耐えられない。お前がいない日々なんて想像も付かない。したくない。
本当におかしくなってしまったよ、私は。
どうしてこんなにまでなる前に気が付かなかったのだろう。
そうしたら修正は可能だったはずなのに。
……でも、もう手遅れ。
空気と同じだ。
必要だから吸うだけだ。
ためらっていて、機を逃したら呼吸が出来なくなる。
窒息死するその前に、吸い込んでしまわねばならない。
くそ、開き直るしかないって事か?
そうだ。
どうせ私はもう終わってる。
どこにも逃げ道がないのなら真っ向から挑むしかないだろう?
ジェームズが自分に興味を失うかもしれないという不安。
いつか飽きられる日に怯えつつ待つしかない自分。
「何スネイプ。まだそんなこと言ってんの? そろそろ大人になりなよ〜」と、幻聴。
――耐えられるかそんなもの。
だから罠を張る。
周到に機を窺って。
欲しいものを逃さないように。
譲れない一つだけを見定めて。
手段を問わないのがスリザリンの伝統だ。
すまないが、ジェームズ・ポッター。
私のために犠牲になってくれ。
お前が堕ちてくれるだけで私は助かるんだ。
「だッ!?」
後頭部に強烈な痛みを感じて、目の中に星が舞った。
古典的だが、本当に痛いときはそーゆーのが見えるものなんだっ。一度体験してみろ!
頭を抱えて呆然と天井を見ていると、視界は別のものに覆われた。
犯人であるところのジェームズ・ポッターに。
なんてことするんだ貴様。
いくらなんでもやっていいことと悪いことがあるわ!
殺す気か!?
髪を掴まれ引き倒された私は、声すら出せずに痛みに耐えた。
そして視界にはあいつが。
怒りで蒼白になったジェームズが見えたのだ。
―――――勝った。
同じ苦痛を味わったはずだ。
いつか相手に「どーだっていい」と言われる怖さを。
依存してきた相手が消えるかもしれないという不安を。
案の定奴は言ってきた。
「好きだ」と。
………案の定?
いやそれは、ちょっと狙いと違ったような…。
私はただこの反発感情を終わらせないために、向こうに気付いて欲しかったんだ。
お前だって私が消えたら困るだろう、と。
喧嘩相手は必要だろう、と。
なのに、なんでそこで告白が来るんだ!?
けれど、冷静に考えればいい手だと思った。
確かに私なら、男なんかに押し倒されたら一生根に持つだろうな。
忘れようにも忘れられない。
無視なんて絶対出来なくなる。
消えない傷を心に刻み付けるベターな方法。
グリフィンドールらしからぬ狡猾な手段だ。
こんなことを思い付く奴の頭のネジは、一本以上飛んでるとしか思えないが。
そして私も思った。
いい手かもしれない、と。
嬉しく思った。
だって、お前は私にそこまで消えないものを刻もうというのだろう?
忘れられないのも無視できなくなるのもお前の方だよ、ジェームズ。
だから、それが結論だったのだ。
正直、後悔しないでもなかったが。
体くらいくれてやる、と思うだけなら楽な話で。
実際やってみるのは………………………いや、もうこの話は止めよう。
一応最初は驚いてみたり抵抗してみたり、不自然ではないように振る舞ったが、最後の方は演技などではなく。
…マジ殺されるかと思ったんだ……。
「夕べは可愛かったね。君、覚えてる? 泣いて僕にすがったこと」と、明朝脅しを掛けてきたジェームズに、恨みを込めた平手打ち(本気)。
それでも関係は続けた。
多少変則的にはなったが、当初の計画は挫折していない。
これも成功といえる…と思う。
そう、勝ったのは私だ。
より負けていたからこそ、依存の深さにより怯えていたからこそ、最後の最後で勝ちを拾った。
あぁよかった。これで生きられる。呼吸が出来る。窒息死しないで済む。
ざまぁ見ろ、ポッター。
寝ている私の隣で物思いに浸っていたかと思うと、ジェームズは突然噛みつくようなキスをしてきた。
「ん…」
痛いだろーがオイ。
でも疲労度が高すぎて起きる気にはなれない。
けれど、上から高らかな笑い声が降ってきて。
「ったく馬鹿だよな〜。僕なんかに捕まっちゃってさ。君どーすんのさ、今後の人生」
指が汗で頬についた髪に触れるのを感じて、その指を思い切り握り締めた。
それを合図に体を起こす。
「うわっ、起きてた!?」
顔を上げて、髪を振り払うように頭を振ってから、私はジェームズを見てせせら笑った。
おや、不快か?
こちらはいい気分だぞ。
「お前に馬鹿といわれる筋合いはないよ、ポッター」
「何だって?」
「馬鹿はどっちだと聞いている」
まったく、笑わせてくれる。
「らしくないなぁ、ポッター。ずいぶんと詰めが甘かったじゃないか」
どんなにこの言葉を言いたかったか。
長い間一人で溜め込んでいた心の重石。
私が引きずってきたこの苦痛をお前の前で吐き出せる日を待っていたんだ。
さぁ聞くがいいさ。
私だってお前に傷を刻んでやる。
「自分のことばかり考えていたろう? もう少し、私の方に気を配っていれば気付いたんじゃないか? …先に負けたと思ったのはこっちだったってことに」
笑って言ってやった。
そして、脳が麻痺しているらしいジェームズに、勝ち誇った気分で手を伸ばす。
体を寄せて、口の端ギリギリのところに唇を落として余韻に浸った。
その顔が見たかったんだよ、ジェームズ。
ずっと。
「…まさかあの時わざと無視したのか!?」
今頃気付いたのか?
「ざけんな! 訂正する! 最初からやり直すっ」
何度やっても同じだ。お前が私より先に気付く事なんて無いんだから。
私の方がお前に深く依存しているんだから。
「僕の方が絶っ対君を思ってる!」
……………はい?
いまさら何をほざいてるんだ、貴様は。
そんなふざけた話――
「ない!」
「ある!」
「ないと言っているだろう!」
そんなこと、あってたまるものか。
私よりお前の方が、私を必要としている?
バカげた話だ。
だって、それじゃあ、私が嬉しいじゃないか。
…私が欲しかったからお前を嵌めたんだ。
お前は騙されたんだ。
なくても済むものを必要だと思わされたんだ。
お前の負けだ、ポッター。
断じて。
断じて私がお前に捕まったんじゃあないんだ。
それともまさか同じ気持ちだなんて、そんな奇跡のような偶然を私は信じない。