『袋小路』
机に向かう赤毛の男の背後を、一人のスリザリン生が通過する。
アーサー・ウィーズリーは放っておけば無言で去っていく同輩を、敢えて呼び止めた。
「やあ、ルシウス。気を使わずに話しかけてくれればいいのに」
「おや、アーサー。そこにいたのかね。まったくもって気配に気付かなかったよ。すまないことだな」
常なるにこやかな挨拶は、両者の間では前哨戦を意味している。
「ところで、にわか彫刻家にでもなったつもりかね」
ルシウスは、アーサーの周囲に散らばる彫刻刀と削り屑を一瞥する。
金細工師と言わなかったのは、彼の手の中の装飾品が、明らかに金属製ではなかったからだ。
「凝ってるだろ」
「私としては、外側の紋様よりも、内側の呪文の方が気になるな」
精緻な模様の入った白い指輪を手渡されたルシウスは、一通り細部を確認して鑑定結果を述べる。
「新手の惚れ薬と見たが」
「『愛の妙薬』なんてもう古いね!」
「というか、お前が魔法薬学が不得手だからだろう。効率の良い魔法など、そうそう生まれるものではない」
「わーあっさり言うねー」
アーサーは苦笑して、手を伸ばす。
返却を求める仕草だったが、相手は応じずに問いを重ねた。
「それで、どういう効果なんだ?」
「オーソドックスなもんだよ。これをつけた後、最初に見た相手に効果があるってやつ。『この間はすまなかったね』なーんて言いながら、プレゼントするわけだ」
「手痛く振られた女に執着するのはみっともないぞ」
「てゆーか、振られただけならまだいいんですけど。彼女、俺のラブレターをスリザリン中にバラ撒きやがったみたいなんだよねー?」
「そんなはずはないな、アーサー。なにしろ、そんな大騒ぎになったのなら、監督生が彼女を注意するだろう?」
「そうだよね。なにしろ、かの寮の監督生は陰険でいらっしゃるから、見て見ぬ振りをして楽しんでいるだろうね」
「なるほど。そういう考え方もあるな」
そらとぼけるルシウスを一睨みし、アーサーは再度催促の手を伸ばす。
「これで、あの女に詫びを入れさせてやるっ」
「志の低さはともかくとして、いつもながらグリフィンドールは陰惨なことを思い付くものだな」
「あんたにだけは言われたくない。と、グリフィンドールの監督生が心の中で思っているようですが?」
「あいにくと、あの寮の監督生の名前を忘れてしまってな。どこの誰だったかな、教えてくれないか? アーサー・ウィーズリー」
当代、殺意の沸かせ方でこいつに敵う生徒はいないだろうな、とアーサーは歎息する。
対して、相手は微笑しながらさらりと話題を切り替えた。
「ところで、これは誰かに試したのか?」
「あー、まだまだ。たった今完成したばかりだし、一度しか使えないからテストってわけにもね」
「どれ?」
「ん…」
次の瞬間、銀髪のスリザリン生は椅子の掛けた相手の左手を掴み、小指に象牙の指輪を押し込んだ。
「…ぎゃー!!? 何すんのあんたっ!?」
アーサーの絶叫に対し、ルシウスはごく真面目な顔を作った。
「うちの生徒を魔の手から救っただけだが」
「ちょっと、あの、三週間の努力が………」
「そんな失敗作に三週間も掛けたのか」
「おいおい、ガラクタとは聞き捨てならないな」
啖呵を切られたルシウスは、しかし黙って微笑する。
そのご満悦の笑みを見て、アーサーはゾッとして小指を押さえた。
「ってあれ。成功してたら、いま俺はあんたに惚れてなきゃいけないわけ? サイテー」
「だから、失敗作だろう?」
「え、でもそれは単なる言葉の綾であって、実際の所は検証してみないと…って検証? ナニをだよ」
自問自答するアーサーを見捨てて、最初の予定通りルシウスは去っていく。
その背中を見送りながら、残された男は呆然と呟いた。
「てゆーか、なんなの、いったい」
「何なのって言いたいのはこっちだよ、ねぇ?」
「全くだな」
前隣の机で発禁本の速写競争をしていた後輩二人は、寸劇の終了と共に揃って溜息を付いた。
ちなみに、速写に関しては先に写し終えた方が大声で司書を呼んで、残った方を犯人扱いするという暗黙の了解が働いている。
「「図書館であーゆーことをする神経がわからん」」
図らずも重なった台詞に、ジェームズ・ポッターとセブルス・スネイプは顔を見合わせて舌打ちした。