『ガラクタ』


リドルには、ガラクタ集めに嵌っていた時期がある。


十世代前の学生が書き損じた羊皮紙。
黒こげで捻れ曲がった試験管。
すべすべの丸い石。くたびれたローブ。蛙の鋳型。鏡の破片。それから、折れた杖の先端。
誰が見てもつまらない物ばかり、熱心に集めていた。


その頃リドルは、まだ成績優秀な混血の魔法使いに過ぎなかった。
スリザリン寮を掌握できていなかった彼は、同僚の者達に随分揶揄されていた。

「マグルってああゆうものが珍しいんだわ」
「じゃあ金ぴかのアヒルなんてどうだろう? 卒倒しちゃうぜ」
「今度彼の部屋にゴミ箱の中身を恵んであげましょうよ。素敵でしょ?」


しかし、リドルの態度は入学以来一貫していた。
彼は同寮生の蔑笑に冷たく微笑み返し、それ以外の一切を無視した。
例外として、部屋に投げ込まれたゴミ箱が持ち主の部屋の天井から中身が降り注いだという事件があっただけ。
同じ部屋で、リドルの奇行を誰よりもよく観察していたエバン・ロジエールだけが溜息混じりに問いかけた。

「それの何が楽しいんだ?」
「なにがといわれてもねぇ」

はなから理解など求めていない。
小さな子供の一人遊びのように、くすくすと笑いながら、水盆の上に欠けた勲章を置く。
銀の水盆の底にはリドルが描いた魔法陣が揺らめいている。
そこに彼は何を見ているのだろう。
ただ一人で悦に入っていた。

よくない傾向だな、と同室の友は思う。
自分の内側に興味が向いている証拠だ。それが悪いわけではない。
しかし、そろそろ外に目を向けて、スリザリンの上級生のバカどもを絞めに掛からないといけない頃じゃあないか。
早く彼には完全になって欲しいのに。いつまで跪くことを待たせる気だ?


だから、ミネルバ・マクゴナガルをリドルにけしかけたのは彼だった。


  *  *  *


放課後。
傾いた日の赤光が射し込む教室で、彼はガラクタにラベルを貼っていた。
1489とか1607とか。マニディアラとかレイスクターニとかハタとかニレインネイダとか。
人名とも地名ともつかない名前を書き込んで、にたりと笑う。

「あなたにはそういう笑い方が似合うのね。意外だわ」

女の存在に気が付かなかった自分に舌打ち。椅子の真後ろに彼女は立っていた。
肩越しに、手元を覗き込む。

「それは何?」
「ふるいもの」

それだけ聞いたミネルバは、一歩ずれてリドルの隣に立った。
手元には黄土色の勲章。
欠けてはいるが、おそらく北北戦争時代の物だ。

どこの金庫の中から拾ったのやら。
歎息する敵寮の監督生にリドルは話しかける。

「なんだかひさしぶりなきがするね、ミネルバ」
「あらそう? 私は別に懐かしくも何ともないわ」
「で? エバンはなんていってた?」
「…そこまでわかっているのなら、何故そんなことをしているの? 彼、スリザリンよろしく殊勝な表情で友人の様子がおかしいって相談してきたわよ。スリザリンの監督生はリドルに冷たくて、ですって」

エバン・ロジエールの縋るような目を思い出し、肩を竦める。
まったく笑い事だ。
彼には演劇の才能がある。それは後々、彼の役に立つだろう(そして世の中の為にはならないだろう)。

「スリザリンが貴方に冷たいことは否定しないわ。でも、どうして私なの?」
「かれはカンチガイしててね」
「というと?」
「ぼくがあなたをきにいってると」
「それはひどい誤解だわ」
「そうだね」


二人は微笑みを交わして、それから表情を一変させた。
こういう遊びはなかなかストレスがたまっていけない。



「…で? 本当のところ何をしているの?」
「―――古物収集だよ」
「そのつまらない物の山がお気に入りなの?」
「古いということはそれだけで価値があるんだ」

リドルは立ち上がって隣の上級生を見た。
入学した頃は、とても厳しく越えられないものに見えた。
けれど今は、自分より少し背が低い肩肘を張った少女が居るだけだ。
そう。今となっては彼女が自分よりたったの二つしか違わないということを知っている。同じ幼さを持っている、子供だ。
「それらは歴史を内包する。時間を超えてきた証拠だ。「古さ」という価値は決して目減りしない」
「そうかしら?」

ミネルバはふい、と横を向いた。
彼女はこの後輩が嫌いだ。
可哀相な子だとは思う。頭の良い子だとも思う。それでも、何かが駄目なのだ。
「生理的にダメ」という失礼な言葉は、こういう時に使うのだと、一つ勉強になった。


「聞きなよミネルバ。…例えば建国二百年の国がある。その国が二千年の歴史を持つ国に追いつくことありえない。
まあ、一つ例外があるけど」
すらすらと喋る。
一人で机に向かっていた、その時に晒していた素顔はもはや掻き消えている。
普段通りの営業スマイルと業務用の喧伝。
耳障りの良い声が部屋に響く。

「どうしても勝ちたいのなら、古い方の国を無くしてしまえばいい。そうすれば、いつかは追いつける。
いつかは。でも、それは今の格差を埋めることにはならない。
神話の需要。伝統の渇望。歴史が浅いということは、どうしても取り返せないことだね」

「それはあなた自身のことね」

彼女は断定した。

「…母の家系を調べているんだ」

至近距離、ギリギリまで顔を寄せてリドルは囁いた。
無論のこと、嫌がらせだ。

「全く手掛かりはないけれど。自分がどこから来たのか知りたい。
…けれども所詮、マグルの血の入った浅い家系さ。スリザリンの純血主義は正しいよ。長く続いてきたものに価値があるんだ」
「村八分の被害者がイジメを正当化するなんて聞いたことが無いわ」
「確かに奴等は愚かだね。だが、その歴史を次の世代に繋げられれば、彼らの義務はそれだけなんだ。
それだけをすれば、彼らはその家の歴史と血統という肩書きを自由に使っていい。傲りは価値に裏付けされている」

ミネルバは一歩下がった。
眉を寄せ、唇を結ぶ。彼女も売られた喧嘩は買う質なのだ。

「馬鹿げてるわ。それであなたは古い物を眺めてうっとりしてるってわけ」
「君の家は古い。ミネルバ、恵まれたあなたにはわからない。…そういえば、よくそのブローチをしているね」
「そうでしょうとも。わかりたくもないわ」
「君の家の家紋入り、相当に古いね。価値もある。それ、くれないかな」
「…それで? 他人の歴史を自分の物として陶酔しようというの?
ダンブルドア先生は偉大と言われてるわ。でもあの人は血統で権威を確立したわけじゃない。一人、一代でそれを成したのよ」


どうしてそこでダンブルドアの名前が?


そうは思ったが、リドルは敢えて言わなかった。
取り合うのは彼を認めるようで不快だ。
しかし、わざと無視したのは返って対抗心を証明していたかもしれない。
あの老人が嫌いだ。なにもかも、わかったふりをしているところが。
その偽善者面に全ての人が、彼女でさえ騙されているということが。
不愉快だ。
僕の仮面には騙されてくれないくせに。

「わかったよ。僕は僕の時代を築く。僕の力でね。その時こそあの爺さんをはいつくばらせてやる」
「リドル…トム。どうしてそんな話になるの?」
「どうしてかな? 嫉妬かな? あなたがダンブルドアなんかを褒めるから」

リドルの言葉は場に沈黙をもたらすには十分だった。
無言のまま、ミネルバは訝しげにリドルを見つめる。

「あげるわ」

そして彼女は胸のブローチを外した。

「…これは」
「祖母から貰ったものよ。ずっと昔に、銀鉱石を削りだして作ったものだわ。大事にして」

リドルはそっとブローチ手に取って、そして机の上に戻した。
コトリ、と乾いた音がした。
その動作と共にミネルバはリドルの表情を目で追っていた。

驚き、それから息を吐き出し、その顔が嘲りを浮かべるまで。
その僅かの間を見守った。
リドルの表情が完全に嘲笑に変わったとき、その腕が振り下ろされるのをミネルバは見た。
杖が振られるのを。

カシャン、と乾いた音を立ててブローチがつぶれる。

「…あっ」

ミネルバの驚いた表情を見てもう一振り。
すると壊れたはずのブローチが元の姿に戻る。幻術だ。

「どうしてあなたはこんなことを」
「壊して直したんじゃなくて、壊したのが幻だったってことを評価してほしいな」
「どういう意味?」
「あなたのだからそうしたんだよ。他の奴なら実際に壊してる。…あぁでも」

リドルは一度瞬きして、机の上の古いブローチを見つめた。

「案外そういうものかもしれないな、魔法界は。魔法で直せてしまうから古いモノが残ってるんだ。
 例えばバビロンの空中庭園――マグルの世界では廃墟すらないけど、魔法界だといまだ現役だったりするし」
「何が言いたいの、リドル」
「古いだけってのも、やっぱりダメなんじゃないかって。ガラクタはガラクタかな」
「そう…。じゃあこれからはもっと違う…」

ミネルバの声を遮って、リドルがより大きな声を上げる。
目が覚めたような表情で、ある意味彼らしい、冷め切った笑顔だった。

「古いモノに意味がないなら、僕はやはり僕の時代を作ろう。一人でね。誰も並び立たない。立てない。
 ダンブルドアですら。ねぇ、それでいいんだよねえ?」
「馬鹿を言わないで。そんなことに何の意味があるの。
ねぇリドル。どんどん一人になっていくのはおやめなさい。どうして暗い方へ歩いていこうとするの?
貴方には才能がある、少しだけ変わればどんな未来だって掴めるのに」
「あれ、褒めてくれないの?」
「褒められたいの?」

ミネルバの指摘に、リドルは沈黙した。

「本気でない賞賛はおべっかというのよ。それでも私に褒めて欲しいのかしら?」
「…そうかもね」

目を逸らしたリドルに彼女は語りかける。
「確かにあなたを褒めたことはないわ。
あなたが嫌いだから、もしいいことをしても敢えて言わない可能性があることを否定しないわ。
でも、それよりもまず先に、あなたを褒めたいと思ったことは一度もないの」

ミネルバ・マクゴナガルは真面目で誠実な女性である。
その人をしてこう言わしめるリドルは、果たしてどういう人物なのか。

「あなたという人間を否定する気はないわ。でもあなたが嫌いなの。本音を言うことがあなたに対する誠意なのだとわかって欲しいわ」

リドルは微動だにせず、年上の少女を凝視した。
その末に、告げる。

「僕が悪かった。ミネルバ」


「あなたは僕の味方をしてくれない。そんなことはわかってたのに」
「だって、そんな私は偽物でしょう?」
「もっともだよ」
「あなた、味方が欲しいのね。リドル一つ覚えておきなさい。追従しか言わない味方は、味方とは言えないわ」
「じゃあ何が味方なんだろう」
「あなたのためを思った忠告をしてくれる人」
「僕のためを思っているかどうかなんて、どうしてわかる?」
「それを見極めるのね」
「その理論だと。…じゃあ君は味方じゃないか。忠告ばかり。しかも利害度外視だ。僕に構っていてもいいことないだろ? ミネルバ」
「ミス・マクゴナガルとお呼びなさい」


彼女の返事はそれだけだった。




以来、リドルは物に固執しなくなった。
エバンはそれで満足し、ミネルバは胸のブローチを外して小さな箱にしまい込んだ。

誰も使われない部屋に置き去りにされたその箱は、ひょっとしたら五十年後、メガネか赤毛の男の子が見つけだして、
彼らのガラクタ入れになるかもしれない。