職員室事情2.7 『否定』
「――君はスリザリンで上手くやれる可能性がある」
「あなたは間違ってる」
古く薄汚れた帽子に向かって、ハリーは話しかけた。
帽子はじっとしている。
机の後ろの棚に戻された組分け帽子は、黒髪の少年がよぼよぼの不死鳥に向かって歩き出す様子を黙って見送った。
少年の、その答えを聞いたとき、帽子は、つぎはぎだらけの汚れた布の皺をいっそう深くした。
平たく言えば、彼は気を悪くした。
彼は組分け帽子である。
創始の四人の意志を引き継ぐ特別な帽子である。
たかだか12年しか生きていない子供に否定されるいわれはないのである。
しかし、帽子はハリー・ポッターに向かって「では何が正しいのかね?」と問い返さなかった。
もとより彼にその機能はない。
組分け帽子の役割とは、ホグワーツに入学した生徒を選ぶことであり、四人の魔法使いの意志を現代に伝えることである。
歴史を語り、過去を謳う。
けれどそれらは、結局のところ、反応と反射である。
四人の偉大な魔術師達に知能を吹き込まれ、‘人の如く’語りかけるように見えても、それは心の擬態にすぎない。
壁の肖像画と同じ。動く写真と同じ。喋り出す本と同じ。
一定の範囲内の反応しか返さない。
それらは心を有さない。
間違いを認めることはない。
変化するということを知らない。
進化も退化もなく、不変。
たとえ心を持っているように見えても、豊かな情感を示し不快を表すことがあっても、それらは与えられた役割の範囲内に留まる。
…組分け帽子が心を持っているように見えるのは、それを創った魔法使いがそうあることを望んだからだ。
完璧な心の擬態。
彼等は一つの擬似人格の中に、多くのものを託したのである。
四つの意志は溶け合って一つになる。
帽子はホグワーツの象徴として、創始の意志を永遠に保存するだろう。
それが彼等の望み。
心が偽物だとは、とうに知っていたのだ。
それでも四人は帽子を「彼」と呼んだ。
決して「それ」とは呼ばなかった。そうしたかったから。
斯くして、少年の否定に眉を顰める帽子というものが出来上がる。
彼自身もそこに心があると信じていた。
帽子はハリー・ポッターに事実のみを提示する。
ハリー・ポッターは頷かない。
そして、そこで終わりだった。
帽子は自分の正しさを信じていたし、己を訂正することは帽子の存在意義そのものを否定することに繋がる。
到底出来ることではない。そして、彼は生徒の意志を左右することもない。彼等の望むままに、ゆくべき寮を示すだけ。
彼は間違わない。間違う機能がない。
組分け帽子は変わらない。永遠に。四つの意志を保存し、伝える。
それは確かに誇っていいことに違いない。
帽子は自分に心があると信じている。誇りを持って役目を果たす。去年も今年も来年も。
いつかホグワーツが無くなったら、彼はやはり悲しい顔を作るのだろう。
もし、崩れた城の苔むした石の上。雨に濡れながら歌っている帽子を見つけたら、ちょっと世間話にでも付き合ってやってほしい。