『アンフェア』


もはや改善の余地はない。

それがホグワーツの住人たちの共通認識だった。
今年の新入生の中には、そこのところをわかっていない生徒も何人かいて、「何で先輩達はああも仲が悪いんですか?」と藪をつついて蛇を出すような馬鹿な真似をしたこともあったが、それもすぐになくなった。
教師陣は、「単体ならまだ扱えるのに、あの二名が揃ってしまっては」と、グリフィンドールとスリザリンの合同授業の存在を嘆いた。

「非常に」とか「類を見ない」とかいう修飾語が常について回るほどに仲が悪い二人の間にある溝は、これ以上はないというくらいに深かった。




恒例行事の罰掃除。
週に最低二回は行われるそのイベントの最中、セブルスは深く溜息を付いた。

窓の外は大いに曇っている。
こんな天気の日に、こんな暗い部屋で、イカレ眼鏡と一緒に床を磨かなければならないなんて、気が滅入るどころの話ではない。
今の状況と、大広間で壊れた椅子を百脚ほど“魔法なし”で直しているブラック達と、一体どちらがマシだろうか。


けれど一つ不思議なことには、常々二人でやらされる掃除の最中には、腹立たしいほどに品のない中傷を浴びせかけてくるポッターが、ただただ無言でモップを動かしている。
ピカピカにはほど遠い床を、ひたすら磨き続けるくしゃくしゃ頭は、はっきりいえば「らしく」なかった。

窓から入る薄明かりだけが部屋を照らす全てで、とてもではないが眼鏡の奥の目の色は読めない。
セブルスは、手を止めて不自然なジェームズを眺めた。
「おい、ポッ」

ター、と言葉は続かなかった。

曇天に雷光が走る。
惹かれるように一歩窓側へ足を踏み出したセブルスの耳に、つんざくような轟音が届いた。
彼は雷が好きだ。
不規則に空を流れる光の束も、それに伴う激しい音も、鑑賞に値する。


けれど、この時ばかりはそうはいかなかった。
突然、後ろから羽交い締めにされたからだ。
「がっ」
確かに両腕が回されている。しかも全力で。
おい、ちょっと待て、苦し――絞めるこたないだろ絞めることは!

咄嗟のことでわからなかったが、一瞬の間をおいてすぐに犯人は判明した。


「ポッター、離せ。苦しいっつーか息が!」


背中に抱きついている男にどうにかして肘打ちを喰らわせなければと反射的にそう思い、だが姿勢からしてどうにもならないことに気が付く。
「離さんか!」
どうにか体を捩って黒い頭を鷲掴み、貼り付いた体をばりっと引き剥がした。


ぜいぜいと息をしながら睨み付けた瞬間、再び窓一面を光が照らし、セブルスはボディータックルを喰らった。
したたかに床に打ち付けられ、それでもしがみついてくる阿呆の腕をどうしても振り解けなくて、観念して脱力したのがその一分後。
胸のスリザリンの寮章の辺りに顔を埋めている男に、彼は乱れた髪を片手で直しつつ、問いかけた。


「これはこれはポッター殿。一つ聞かせていただきたいのだが、絞殺と撲殺、どちらが貴殿のお好みだ?」

精一杯の殺意を込めて微笑んだが、ジェームズは顔を上げようとしなかった。 しがみつく腕の力も抜けてはいない。


………しがみつく?


セブルスは、まるでナメクジでも飲まされたかのような、何とも言えない表情を作った。
髪を整える手とは逆の、空いている片手をジェームズの黒髪の間に埋めてみる。

この姿勢は、アレか。
一体、第三者からはどう見えるのか。
なんだかおぞましい想像になってしまったので、なかったことにしながらセブルスは黒いぼさぼさの髪をくしゃっと撫でた。

「まさかとは思うが…怖いのか?」


ぼそっと呟くと、密着した体が僅かに震えるのがわかった。
上半身だけ起こしたままのセブルスは、驚きで目を見開いた。

「まさか。まさかな。グリフィンドールの鼻持ちならない英雄気取りのポッター殿が、雷が怖いだなんて、あるわけがない」

揶揄するように声を掛けると、ジェームズは初めて顔を上げ、引きつった声を出した。


「怖いんじゃない」
「この手を離してからもう一度、そう言って欲しいものだが」


う〜と、首を竦めながらジェームズは相手を見上げた。

「恨みがましい目をするな。私が悪いんじゃないぞ」
「僕だって悪くない。なんだって雷ってやつは……落ちるんだ!」

なにか、非常に斬新な意見を聞いた気がして、セブルスはふうっと頭から何かが抜けた。
落ちない雷というのがあるのなら、是非ともお目に掛かってみたいところではある。
それから、彼の口元はニヤリと陰険な笑みを浮かべた。

「まさかなぁポッター。お前が雷が怖いだなんて、あの取り巻き連中はご存じなのかな?」
「……………」

ジェームズはしばらく黙っていたが、やがて意を決したように、セブルスを睨んだ。
…しがみついたままで。


「あのなぁ、セブルス。僕は眼鏡だ」
「うん?」

ジェームズは悲痛な顔で叫んだ。



「金属には落ちやすいんだよ!」




「おいまさか…それだけ…?」
「うっせー。こちとら眼鏡のフレームに落雷して黒こげになったマグルの話を散々聞かされながら育ったんだ!」
「……お前も意外にヤな家庭環境だったんだな…」


憐れみを込めて、セブルスは呟いた。

「だが、今日ほどお前のことを阿呆だと思える日はもう来ないだろうな。それでも魔法使いか」

は? と。わかっていない表情を作るジェームズの額を、セブルスは指で思いっきり弾いた。

「魔法を使わんか。魔法を」

「あ!」

彼は急に晴れ晴れとした表情で、手の力を抜いた。

「そっか。魔法で雨雲なんて吹っ飛ばせば―――」
「違う! 『雷避け』の魔法を使うべきなんだ!」

スパーンと頭に張り手が行く。

「あ、そか。そっちの方が簡単だ」

勢いに流され首を傾けたままで、ジェームズが手を打った。
どうやら、よほど追い詰められていたらしい。

いきなり雷雲を吹き飛ばすだと?
発想の根本が普通じゃない。やはりこいつの頭はおかしい。


感慨深げにいつもと同じ結論を出したセブルスは、突如にこっと笑ったジェームズの顔を見て思わず動揺した。
「ポッター?」
そんな顔、見たことがない。
「さんきゅ、スネイプ」
朱に染まったのは、セブルスの頬だった。

「…お前に礼を言われるとは、妙な体験だな」
「君が弱みを握ろうとしないで、フェアに対応してくれたからね」

なるほど。公平さは重要だ。
対等な立場に立つからこそ、殴り合った結果に意味と価値が生じるのだ。


「よっし。これで僕に怖いものはないっ!」

勇んで立ち上がったジェームズに続き、やれやれとセブルスは腰を上げた。
その時、ギイィという重音が響き、教室のドアが開く。

「よ、ジェームズ。終わったか?」

シリウス・ブラック以下二名が金づちと釘を抱えたままの姿で顔を出した。
どうやら向こうの罰は片が付いたらしい。
「あーまだ終わってないけど。…シリウス、ちょっと頼むよ」
「ほいきた」

得意げに杖を振ると、部屋は命じられたとおり「ピカピカ」の状態になる。

「ズルだ…」
呟いてはみるが、だからといって抗議はしなかった。
これ以上床磨きなんてやってられない。
ポッターと自分が掃除をしている最中に、何やら不確定要素が加わって、勝手に床が綺麗になったのだからしょうがない。
敢えて追求などしたくはないところだ。


「ところでねぇ」

モップを用具入れに突っ込んだ二人の耳に、ピーターののんびりした声が響く。

「さっき廊下を通った子が言ってたんだけど、この教室から悲鳴らしきものが聞こえたって。…何かあった?」


無論この部屋にいたのはジェームズとセブルスのみ。

一瞬の間。
眼鏡の奥の青い瞳が意志を帯び、煌めくのを彼は見た。

勝ったのはジェームズだった。



「ん。なんかね〜。彼、カミナリが怖いらしいよ?」
「なっ!?」

まさかの発言に、セブルスは反応しきれない。

「僕は全っ然平気なのにね〜。可愛いとこあるよね〜セブルスも」
「なに嘘を付いてるんだ! 怖いって言ったのはお前だろう!?」
「えー? 何? みんな、どっちを信じる〜?」


……答えはわかりきっていた。




次の日から大々的に流れた噂に、セブルス・スネイプは「グリフィンドール抹殺」の志を新たにしたのだという。




二人の間に横たわる溝は、もはや底が見えない。そして人間関係にはヒビが入るばかりだ。
それでも毎日着々とヒビを増やしてゆく彼らは、意外とマメなのかもしれなかった。