『仲良し』
図書館の突き当たり、やや右。
いつもの席に座っていたセブルスは、向かいの席に誰かが腰掛ける音を聞いても顔を上げなかった。
相手は容易に予想が付いた。
「何の用かね、ルーピン」
この広い図書室の中で、わざわざ一番奥まった場所までやって来て、さらに己の向かいを選んで座る相手を彼は他に知らなかった。
いや、実際のところ候補は2、3人いたのだが、今日あの寮はクィディッチの練習日である。
消去法で脳天気と粗忽者が除外される以上、答えは自ずと知れていた。
「やぁ、セブルス。優雅なる読書時間を邪魔してごめんね?」
「わかっていながら、敢えて妨害する理由を教えていただこう」
重くて分厚い『極東魔術入門』から目を離し、にこにこと笑う男を睨み付ける。
このリーマス・J・ルーピンときたら、常ににこにこ笑っていて掴み所のない…要するに苦手な相手だった。
ちょっとつっつけはすぐに沸騰するポッターやブラックやらと違って扱いづらいことこの上ない。
しかも、昨日五人まとめて減点と罰掃除を喰らったばかりだというのに、綺麗さっぱり忘れたかのようなこの態度。
「いや、ねぇ。君が暇をしているからちょっとお話でもと思って」
「どこが暇に見える?」
とん、と手の甲で本の表紙を叩く。
「君は暇なんだよ、セブルス。僕もね」
「グリフィンドールには確かレポートが二本課されていたように思うが」
「それはそれ、これはこれ」
リーマスはちちち、と指を振った。
「だってジェームズが居ないんだもの。これ以上はないほど退屈な時間だよ」
「これ以上ないほど静かで快適な時間の間違いだろう?」
「まぁ、確かに静かだけど、物足りないよね?」
…同意を求められても困るんだが。
「何が言いたいんだお前は」
「まぁまぁ、そう急かないで。暇人同士落ち着いてお話し合いでも」
「だから、暇ではないと言っとろうが」
「でも退屈だ」
短く断じた彼の、その言葉の端に何か冷たいものを感じた。
驚いてリーマスの目を凝視すると、彼は優しく微笑んだ。その裏に何があるのか、全く見えないことが怖いと思った。
…黒い絵の具で塗りつぶしたかのように、隙のない笑顔。
「本当に、ジェームズのいない時間は退屈だよねぇ。セブルス」
「ルーピン?」
崩れない笑顔の裏に穏やかならぬ気配。
…なんだ?
何が言いたい?
眉を顰め、警戒をあらわにしたセブルスに、彼は手を振った。
「やだな。そんなに固くならずに、穏便に行こうよ。ね?」
「あのな。不穏な空気を醸し出しているのはお前だろう!?」
「あれ、ばれちゃってる? 君、結構勘がいいよね」
「勘などよくなくても、今のお前が不気味だということはすぐにわかるぞ」
「えぇ!? ちょっと…ブキミとまで言われるとなあ…」
「ぼやきはいいから用件を言え。私に喧嘩を売りに来たんだろう、要するに」
笑顔で威圧してくる様を見れば、そうとしか思えない。
けれどリーマスは、それこそ大笑いして両手を振った。
「違う違う。僕はちょっと牽制しに来ただけで」
「は? 牽制?」
またしても訳の分からない言葉を…。
「うーん、まぁ、率直に話そうか?」
「そうしてもらおう」
リーマスはコホンと咳払いをする。
「ぶっちゃけね、僕は君とジェームズの関係を知っているのです」
「……………………は?」
目が点になって、口を開いたまま固まるセブルス。
けれど、リーマスはそんな彼に構わず目を伏せたまま話を進める。
「それが僕には気に入らなくてね。…勿論、ジェームズのすることに口を挟む気はないけど、やっぱり少々妬けるじゃない? そもそもジェームズは誰か一人が独占していい人じゃないし。彼、博愛主義なとこあるけど。それにしたって君との関係には僕は異論を唱えたいんだよね。わかってるんだ。僕なんかが何か言っていい立場じゃないってことは。それでも何というか、言わずにはいられなくて。でも本人にはとても言えないから君に言うんだけど」
「……ちょっと…ちょっと待て。何を言っているんだお前」
立ち上がったセブルスは、机に両肘を付いて延々愚痴を言い続けるリーマスの言葉を遮った。
「何って?」
「…何を、根拠にそんな…」
「根拠なんて。ジェームズと僕って同室だよ? 気付かないわけないじゃない。…不思議なことにシリウスとピーターは気付いてないけど」
「だから、私とあいつがどういう関係だと言う?」
「―――ここではとても口に出せないような関係」
さらっとリーマスは言ってのける。
セブルスは真っ青になりつつ、唇を噛み締めた。
「…はったりだ」
「だったらどんなによかったか。なんなら、今ここで叫んでみる?」
「やめんか!」
「でしょ?」
肩を竦めるリーマスの不満げな表情を見るにつけ、セブルスは不安になる。
………いや、まさか。本当にバレているわけじゃないだろう…?
そんな彼の心の内が読めたのか、リーマスは一言釘を差す。
「そういえば、昨日の夜ジェームズは部屋を抜け出してたみたいだったけど?」
ぎょっとして見下ろせば、確信しきったその表情。
ああ、と祈りたい気分に駆られた。
絶対に知られたくない弱みを握られたも同然だ。
脱力して、すとん、と落ちるように席に座る。
そしてリーマスは、頬杖を突きながら愚痴の続きを喋り始めた。
「だからさ。いい加減腹が立つわけ。そりゃあ君が悪いっていうんじゃないし、ジェームズが好きでやってるのもわかるんだけど。それにしたって独り占めはずるいんじゃない? いくらジェームズが君のことを無視できないからって。ジェームズが一体どれだけの時間を君に割いてると思う? その間は話しかけても上の空だし、わけのわからない空想に浸って不気味だったりするし…とにかくずるいと思うわけだよ僕は」
だらだらと汗を流しながら、セブルスは立て板に水を流したように喋り続けるリーマスを凝視した。
彼はふと思い出したように口をつぐみ、ぐっと机から身を乗り出してセブルスの両手を握る。
「というわけで、僕と付き合おうよ。セブルス」
………えぇ?!
あまりの台詞にセブルスは悲鳴が声にならなかった。
「ど、どういう理屈だ!?」
動揺を顕わにしつつ手をふりほどこうとする彼に、有無を言わせない口調でリーマスは畳みかけた。
「君が僕と話す分、ジェームズが君に関わる時間が減るわけだから」
「お、おまえが奴といる時間だって減るだろうに」
「うん、それはいいの。はっきりいって君とジェームズがいちゃついてるのを見るとむかつくだけだから」
はいぃ?
「いちゃついて…!?」
「傍目には喧嘩と殴り合いにしか見えないようだけど、君らが喜々として罵りあっているのを見ていると心の底から邪魔をしたくて仕方がないんだ」
本当に頭痛がするというように、彼は溜息を付いた。
「………一つ聞いていいか?」
「何?」
「お前、一体どうゆう趣味をしてるんだ?」
「その言葉、そっくりそのままお返しするけど?」
リーマスはにっこり笑う。もはやセブルスにはそれが笑顔には見えなかったが。
「まぁ僕は君みたいにジェームズと深い仲になりたい訳じゃないんだ」
深い仲、といった辺りで慌ててセブルスが「やめろ」と声をかぶせた。
「ジェームズがジェームズらしくあってくれれば、それを見ているだけで幸せなんだけど…でもあんまり特定の誰かに執着しているのを見るとね。嫉妬しちゃうよね」
そこまで言ってから彼は、はっと顔を上げてセブルスの両手をさらに強く握りしめる。
「誤解しないでね、セブルス。僕は君のことを嫌いな訳じゃないんだ。むしろ仲良くなりたいと思ってる。お互いにジェームズが好きなことだし」
違う。絶対に違う。
と全力で否定したかったが何故か喉から声が出ない。
リーマスは善良そうな顔つきで、
「だからね、セブルス。僕のことリーマスって呼んでくれていいよ?」
「ルー…ピン?」
この段になっても己の耳を疑う彼に、リーマスはそっと首を傾けた。
「セブルス…僕たち仲良くなれそうだよね?」
ね? じゃないだろうっ!!
余程、そう叫びたかったのだが。
恐怖というのは、日の燦々と照る昼間にこんな風に穏やかにやってくるものなのか。
――とにかく、背筋が寒くて仕方がなかった。
「あ、いたいた」
凍りついているセブルスと、塗りつぶした笑顔を崩さないリーマスを見つけて、グリフィンドールのクィディッチ選手二人が声を掛ける。
既にシャワーを浴びて着替えた後で、「泥を図書館に持ち込まない!」とミス・ピンスに注意されることもなかった。
ジェームズはシリウスとリーマスをほっぽって、放心状態のセブルスを本棚の影に引きずり込む。
「どうかした? セブルス。リーマスと何話してたの?」
「…………」
「おいってば」
「うるさいお前には関係ない」
「関係ない〜? よくもそんなことが言えたもんだよ」
「………そうか。そうだな…」
はっと気付いて、彼は顔を上げた。
「うん?」
「関係ないわけがないな。そう。大ありだ」
「おお、わかってくれた?」
「ああ、よぉくわかったとも」
にこっと笑いかける。それが不自然だということに今日のジェームズは気付かなかった。
むしろ心を弾ませて話しかける。
「で、リーマスと何してたわけ? まさかちょっかい出してたわけじゃないよね?」
「………つまり、だ」
「?」
にこにこと浮かれているジェームズに、セブルスは胸に抱えた『極東魔術入門』を振りかざした。
「全部お前が悪いんだーっ!」
図書館にとてもいい音が響き渡り、シリウスが「またかよ」と呆れているその傍で、「またいちゃついてるし…」とリーマスが小さく呟いたのだった。