『特技』


なくて七癖、という言葉があるが、セブルス・スネイプ教授にもいくつかの変わった癖があった。
それは、癖というより慣習というものかも知れない。


その日の魔法薬の授業は、すり鉢をすりこぎで掻き回して、力業で“冷却薬”を練り上げるというのが課題だった。
「だぁぁぁ」とか「手が痛いー」とか悲鳴を上げている各々の間を机間巡視していたスネイプは、ぴたっと動きを止めた。
それはちょうどネビル・ロングボトムの背後に当たり、彼は「ひっ」と首を竦めた。
彼の捏ねている“冷却薬”は、本来徐々に固まって黒ずんでいくはずなのに、未だ透明のまま木の棒にまとわりついて、うにうにと動いていた。
前触れもなく静止したスネイプに、グリフィンドールの生徒もスリザリンの生徒も、ネビルがいびられるのだと予測して息を呑んだ。

しかしスネイプは、斜め45度、天井に近い空間をじっと見つめて一言も発しない。
訝しげに眉をひそめる。
それは猫が何もない空間を見つめる様子に似ていた。
彼はじっと目を凝らし宙を睨むと、すうっと手を伸ばして、空間を掬った。
当然、手は宙を掻く。
梳いた手を顔の手前に持ってきて、彼は手のひらを一、二度開閉した。
「ふむ」
憮然とした表情で、もう一度先刻の空間を目で捕らえ、それから教室全体を見回す。

「何をしているのかね、諸君。“冷却薬”は練り続けなければすぐに液体に戻ってしまうと、我輩は言い忘れたようだな。これは失礼。では改めて説明しよう。―――そこ! 手は止めないように。放課後まで腕を振り続けたいというなら話は別だがね」

普段と変わらず嫌みを言うスネイプに、ハリー達はひそひそと言葉を交わし合った。
「何あれ、何かいたとか?」
「ヤバイ薬でも作って幻覚見たんじゃない?」
「絶対、今の逆ギレよね」


――ハリー達が、スネイプの行動の本当の意味を知ったのは、それから一週間後のことだった。
透明マントをかぶってハグリットの小屋へ行く途中、夜の廊下でスネイプと擦れ違ったのだ。
マントは便利なものだが、物音までは消してくれない。
黒いローブをなびかせて勢いよく足音を響かせるスネイプの存在に気が付いたとき、ハリーとロンはすぐに廊下の隅に身を寄せた。
ぎゅっと身を縮め、息を殺して嵐の通過を待つ。
と、ちょうどスネイプはハリー達の真横を通る瞬間に足を止めた。
胡乱な目つきで廊下全体を見回す。

音は立てなかった。
向こうの方がよほど大きな音を立てて歩いてきたというのに、それでも彼は立ち止まったのだ。
やがて、スネイプは一点に目を留める。
奇しくも彼は、ハリー達のいるその空間に手を伸ばした。
このマントでは感触までは誤魔化せない。
ロンが「神様っ」と呟く。

伸ばされた血の気のない手のひらは、ハリーの数センチ手前の空間をくわしっと引っ掻いた。
「――――む」
スネイプは、顔をしかめ腰に手を当ててこちらを睨む。
何もない場所に、何かを見いだそうとするように。

「…我輩の勘も鈍ったものだな。今度こそ、確かに掴んだと思ったのだが」
誰もいない廊下で、誰かに言い聞かせるように、彼は言う。
「しかし――いいかね、次は逃さん。昔からよくやってきたことでね。姿を隠した誰かさんの裾を引っ張るのは特技でもある。……なぁポッター。私は、そうだったろう?」
その視線は、ハリーを直撃していた。
ハリーとロンは、本当はスネイプには見えているんじゃないかと思ったくらいだ。
しかし彼は減点も罰則も言い渡さずに、身を翻して夜の回廊を去ってゆく。


気配が完全に消えてから、二人は安堵の溜息を付いた。
顔を見合わせて、脱力気味に肩を叩き合う。

「君のお父さんがこのマントを何に使ってたか、分かった気がするよ…」
「というか、あんなヤな特技を身に付けさせるほど使うなよ! と僕は言いたい」


透明マントの使用上の注意点に、「何があってもスネイプとはすれ違わないこと」とハリーが書き加えたのは言うまでもない。