『可視』
教室の机に座って、魔法の明かりを頼りに本を読んでいると、ギィと軋む音がして扉が開いた。
その男は「やぁ」と片手を上げて挨拶したが、セブルスは顔を上げなかった。
ジェームズは肩を竦め、当たり前のように彼の隣の席に腰掛ける。
そこで初めてセブルスは、待ち人がやって来たことに気付くのだ。
「いつもながら、その集中力は凄いよね」
「おい、返せ」
取り上げられた本に手を伸ばすが、ジェームズは間に体を挟んでそれを阻んだ。
「せっかくの時間を読書で潰す気?」
「せっかくの読書時間をお前に潰されているんだ」
「だったら来なければいいのに」
「…呼び出したのはお前だろうが」
不機嫌そうに、彼は唇を尖らせた。
もう取り返す気はないらしい。
そう判断して、ジェームズは机の隅に文庫本を置くと、逆にいるセブルスの頬に手を伸ばした。
少しだけ、引き寄せる。
「なんだ?」
「いや。なぁんにも」
「その言い方は嫌いだな」
「じゃあ何か言って欲しいことある?」
「別に」
「淡泊だよねえ」
そのまま手を動かし、黒髪をかき分ける。
されるがまま、目を閉じていたセブルスは不意に圧迫感を感じて瞼を持ち上げた。
ジェームズの顔がすぐ傍にあった。
明かりは彼の背中の向こうからやってきて、逆光で表情が見えなかった。
笑っているのかもしれないし、真顔なのかもしれない。
こうゆう関係になってから、相手のことはますます分からなくなった。
ただでさえ得体の知れない奴なのに。
二人で過ごす時間には時として、底の知れぬ暗い穴を落ち続けているような、奇妙な落下感を感じることがあった。
「何を考えてるんだお前は」
「君こそ」
昼間と違い怒鳴り声で応酬しない会話は、静かなだけなのになんともいえないくすぐったさを伴った。
言葉を交わしながら、ジェームズはどんどん触れてくる。
セブルスは口を開く以外のことはせず、行為をそのまま受け取った。
「趣味が悪いよね」
「人のことが言えるわけか?」
例え口調は喧嘩腰でも、耳元で囁かれる言葉はどうにも甘ったるく響く。
首筋を這う右手。
机上に置かれた腕に重なる左手。
瞼の上から掛かる息。
それらを当然のように受け入れる自分。
夜が更ければ更けるほど、つまらぬ疑問が頭に浮かばなくなってゆく。
昼間にはどうしても納得がいかないのに、夜になればそれは自然だった。
「セブルス」
名前を呼ぶ声を聞いただけなのに、酩酊感が湧き起こる。
「呼ぶな」
昼間は嫌悪感を込めて、今は心地よすぎて。
何がこうも違うのだろう。
ただ光が差さないというだけで。
唇が触れんばかりの距離でジェームズが囁く。
「また今日もマルフォイの奴に邪魔された」
「あの方は私がグリフィンドールの阿呆と接触していることを心配してくださってるんだ」
背中に回される両腕の力を感じつつ、セブルスは唇を開いた。
脱力していた己の手を相手の肩に掛ける。
距離は近付きすぎていて、その体勢の方が楽だった。
「へぇ」
揶揄するように、ジェームズが笑う。
「でも奴は可愛い後輩がこんな事になってるなんて知らないんだよね〜」
「殴られたいのかお前」
「え? やだよ。こんなにいい雰囲気なのにさ」
「どこが」
「君に見えないだけ」
口ぶるをふさがれながら、「じゃあこいつには見えるのか」と考えた。
昼と夜との色の違い。
昼と夜との空気の違い。
見えやしない。
透明で、不確かで、朝には一掃されるこの甘さが。
節くれ立った手が手際よくボタンを外していくのをぼんやりと感じながら。
「こいつは全部知っているんだろうな」と思った。
答えを。
自分が出すことの出来ない答えを。
そして、答えを出すことを放棄している自分を。
全部を知りながら、教える気は更々ないわけだ。
「―――やっぱり嫌いだ」
だとしたら、この呟きの裏側に込められた意味も、全てわかっているに違いない。