『城』
例え幾年月を重ねても、ホグワーツの石の廊下の、その冷たさは変わらない。
トム・マールヴォロ・リドル。
スリザリンの監督生は、床に転がって手の中の毛むくじゃらを庇う下級生を見下ろしていた。
ふぅっと首を傾げると、黒い髪がさらさらと重力に従った。
「困るね。ルビウス」
唇は薄く笑っている。
善良そうで、けれども服従を誓いたくなる静かな声音。
「そんなものを校内に持ち込んで。以前も注意されたことを忘れたかい? あぁ忘れてしまっているのだろうね。君だものね。…じゃあ、もう一度だけ繰り返すよ? よく覚えていて」
半分落とされた瞼の下に、陰気さを纏った紅の瞳が浮かび上がる。
「校内に、許可されないペットを持ち込むのは禁止だ。ましてや君の抱えているそれは―――」
「こ。こいつはなんにも悪いことしちゃいねぇ」
「したかしないかではなく、する可能性があるかどうかが問題なんだ」
「何もしねえっ。おっとなしい奴なんだ!」
「大人しくも毒を持つ。よくもまぁ素手で触れるものだね。…無茶と無謀のグリフィンドール、か」
感心したように彼は何度も頷くと、手に持った杖を一振りした。
黒い毛むくじゃらの魔法生物は、ふわりと浮き上がると「パチン」という短い音と共に弾けて消えた。
後にはふわふわと、数本の毛が漂う。
その前に、「ギャ」という悲鳴が耳の中を通り抜けた。
「な、なんつうことを。トム!」
「馴れ馴れしく呼ばないでくれ。しかもそんな名を」
「貴方達」
緊張感の走った二人の間に、もう一人が割って入った。
「おや」
リドルが肩を竦めたのは、それがあまり得意としない人物だったからだ。
「またしてもお出ましですか」
「校内で喧嘩はいけません」
「先輩。僕は当然のことを注意したまでですよ」
「言い方というものがあるでしょう? トム」
彼と同じ黒髪の少女は、ついっと眼鏡を押し上げた。
言い方は静かだが、明らかに腹を立てている様子だった。
「これは失礼。彼程度の頭でもわかるように、はっきり申し上げた方がいいのかと思いまして」
「その笑顔をおやめなさい。癇に障るわ」
「貴方の怒った顔も素敵ですよ。ミネルバ」
リドルは目を細めた。
女性に人気で教師陣の信頼を得る、完璧な笑顔だった。
「そうやって、貴方はすぐに人を見下すのね」
「僕が? そう見えますか。…やれやれ、だ」
二人は同じく首を振った。
彼女は彼の仮面に気が付いていたし、彼は見抜かれている自分に嘆息しなければならなかった。
「確かに貴方は優秀ですし、それを誇ってもいいと思います。けれどそれを、その力を、他人を貶めることに使って欲しくない」
「ご忠告、承りまして」
「行きましょう、ハグリッド」
恭しく胸に手を当てたリドルを一瞥して、ミネルバは床に座り込んで俯いている下級生を優しく抱き起こした。
「あいつぁーいいやつだったのに…」
「元気を出して。寮に戻って温かいココアでも」
「ふん」
ありがちな安っぽい光景に、リドルは背を向ける。
まったく、くだらない。
自分は誰よりも素晴らしい。目障りなあの女だって、結局成績も何もかも僕には敵わないくせに。
どうして僕よりもあんな愚図でうすのろに構うのか。
ただ歳が上だというだけで、この僕を制そうなどと。
「―――ひれ伏させるには、やはり恐怖かな」
弾んだ声が、響いて消える。
数百年分の記憶を、城は語らず宿している。