職員室事情3.5 『半月草』


「ですから、結局この問題は月齢論に回帰するわけですよ」

職員室に並ぶ椅子のひとつに腰掛けながら、プロフェッサー・スネイプは向かいのミス・スプラウトにその手首を向けた。
対して小柄でずんぐりした魔女は、彼の意見には懐疑的だった。

「確かに半月草の成長には月齢が大きく作用してきますが、問題をその一点に集約することには疑問を感じます。私は、土の問題を避けて薬草論を語ること自体に問題があると考えますね」
「土壌の問題も、確かに大事には違いない。けれど、ここで言いたいのは何があの草の開花に最も影響を与えるかです」
「その要因を一つに絞ることは、果たして正しい結果を生むとは思えませんわ」
「しかし、最重要点を見極めることが肝心ですぞ。複合要素については、まず第一の実験を成功させてから検討すべきだと―――」

「やぁ、こんにちは。なんの討論会だい、セブルス?」

白熱する議論の中に、職員室に戻ってきたリーマスが割って入った。

「今ちょうど、半月草の人工栽培について話していたのですよ。ミスター・ルーピン」
「お前はどう思う? 我々は栽培自体は可能だと考えるのだ。問題はその方法なのだが」
「あぁ、僕はそんなに詳しくはないけど…とりあえず、原生地と同じ環境を整えることが基本じゃないのかな?」

リーマスは頭を掻いたが、二人は黙って首を振った。

「そんなことは分かっています」
「それでは成功しないから話をしているんだろうが」
「あ、そうなの?」
「半月草がホグワーツで栽培できればとても助かるりますからね」
「主に経費面でな。けしからん事に、原産地の連中は法外な値段で売りつけてくる」
「その分の出費が抑えられれば、もっと他の苗が手に入りますし、是非やりたいところなのですが」
「失敗したわけだね」
「…原因がわからんのだ」

セブルスが渋面で答える。
リーマスはしばらく首を捻っていたが、やがてポンと手を打ち「潮の要素は?」と問うた。

「まぁ。そう言われてみれば」
「原産地の共通点は海洋に面していること、か」
「潮風が必要という事かしら?」
「寒流と暖流の差も考慮に入れる必要があるのでは?」
「せめて気温と湿度だけでもデータがあればねぇ」
「そこは企業秘密ということだろうよ。忌々しい。富の独占のために学問の進展を阻害するとは」
「同感ですわ。ミスター・スネイプ」

深々と頷くミス・スプラウトの後ろから、ふわっとゴーストが現れ、彼女に重なった。
「ふむ、なにやら興味深い話でありますな」
「ミスター、最短距離を通るのは止めてくださいと言ったでしょう? 背筋がぞっとします」
「失敬。ついうっかり近道をしてしまいますので」
ミスター・ビンズはするりと横にそれた。
その姿を追うと、足下にいつのまにかミスター・フリットウィックが佇んでいる。
「おや先生。何かご意見でも?」
「なに、面白そうだったから聞かせていただいただけです。気にせず、話を続けなされ」
「……あれ? なんの話だったっけ?」
「若ボケかルーピン。気象データについてはお前が言ったんだろうが」
「本当に。今ある三つの原産地は、厳重な魔法に守られていますからねえ」
「おやそう言えば」

ミスター・ビンズが青白い顎髭を撫でる。
「もしや、バイト=アルヒクマの重訳資料に何かありませんでしたかな。たしかアビケナの臨床実験の中に半月草の名があったような…」
「なんと、知恵の館に?」
「我輩も初耳だ」
「申し訳ありません。私は異文化圏には明るくないのですが」
「イスラム圏? 無理無理、そんな文献手に入らないよ。もっとも、手に入っても読めないけどね」
「しかし、一つはっきりしたではありませんか」
フリットウィック先生がキィキィ声を出しながら一同を見渡した。
「欧州外でも半月草が採取されている可能性がある。…具体例は多いほど、栽培に必要な要素の特定に可能性が開けます」
「国内でも無理なのに、国外の、ましてや遠国の情報など到底こちらに伝わってきませんわ」
「あ、それ僕も問題だと思います。そもそも、魔法界には横のつながりが足りないんじゃないかな? マグルの世界はとっくに欧州連合が出来てるって言うのに」
「無茶を言うな。各国の国交が正常化してからまだ14年だぞ。隣国との外交でさえおっかなびっくりという体たらく。魔法省の情けない事よ」
「まぁ。確かにまだあの日から十年と少しでありますか」
「長いようで短いことです。まだまだ魔法界の国境の高さは変わらない」
「これからも変わりはしませんわ。そもそも異文化との接触という観点で、根本的にマグルと魔法族は違うのですから」
「確かに、自国語と自国文化に根付いたものが魔法ですからね。特に言語は重要です」
「しかもその言語と来たら! 国の数以上に無数の言語があり、それに即した魔法が発達しているわけで。異文化間の魔法技術の交流の敷居が高いのは当然ですよ。ましてや世界統一基準などは」
「あぁ、やはり無理ですか。マグルの世界では、英語が標準になりつつあるんだけどなあ」
「そればかりは」
「昔統一しようとした者もおりました。1060年、ティラカラは世界共通魔法を提唱。無惨にも失敗」
「統一意志というものがありませんからな」
「国際間に頂点などいりませんわ。異文化共存こそあるべき姿ではございませんか」
「…というより、我々は統一アレルギーですな。数十年の闇の時代、あれを思い起こさせますから」
「然り。時代の流れではないということですか」
「しかし、今だからこそ各国間の協調が必要だと思うんですけど」
「協調など! 話が進まんよ。会議が無駄に踊るだけだ」
「牽引役の国がありませんからな」
「なにも国でなくともよろしいでしょう。必要なのは権威とカリスマ」
「それぞまさしく、」
「我らの望まぬもの」
「ですね。一人の支配者を思い出しますから」
「しかし、望まなくとも時代が必要としているのであります。各国の足並みを揃えさせることのできる、権威ある人材を」
ミスター・ビンズの一言に、一同は押し黙った。
やがてフリットウィックがぼうぼうの髭を震わせた。

「では、やはり彼ですか」
「さよう、私は支持に回ります」
「まぁ。このホグワーツにいながらそれは今更ですわ」
「ここにいる人間はみんなダンブルドアのシンパだからね。ねぇセブルス?」
「不快だが同感だ。他よりは信用できる」
五人の口元が、共通に緩む。

「ですが、ご本人があれですからねぇ」
「……大きな声では言えませんが、そうですな」
「大きな声で言って構わんと我輩は思いますね。何を考えているわからんのです、あの校長は!」
「うっわー、言っちゃうか」
「そのへんは、誰にも真似できない才能ですね」
「才能…というのは少し違うのでは?」
「どうだっていい。今はダンブルドアの話ですよ」
「彼の韜晦は一流ですからな。我々にはせいぜい三日の先も見えないというのに」
「千里の眼のダンブルドア、ですか。本当に、何故ああにも先が見えるのか学生の頃から不思議でした」

「なにしろ、偉大ですからな」
「まぁ、そういうことですわね」
「そうそう。偉大な方でありますから」
「………偉大って、そういう風に使う言葉でしたっけ…?」
リーマスが突っ込む。
「我らが及ばぬ何かを、そう形容するしかないというわけだ」
セブルスが不機嫌そうに肩を竦めた。


「偉大」なる校長。
どちらかというと、その言葉は「得体が知れない」というニュアンスを含んでいるんじゃないかい?
リーマスは思ったが、多分それは暗黙の了解なのだ。
底の見えない湖に敬虔な祈りを捧げるように。

信じるしか…いや、信じてしまうのだ。あの人を。


「権威とカリスマ。…なぁるほどね」


「では、話を元に戻しましょう。半月草の生息地域の分布図は――」
ミスター・フリットウィックが杖を振ると、揺らめく世界地図が職員室の壁に現れる。





「グレンジャー? ミス・スプラウトに質問があったのではありませんか?」
マクゴナガル先生は、職員室の入り口近くで教科書を抱えて立っている生徒に向かって話しかけた。
「あ、はい…でも、」
視線の先には教師の集団がああでもないこうでもないと雑談を重ねている。
「なにか、お邪魔になるような気がして…」
ハーマイオニーは苦笑した。
「気持ちはわかりますよ、ミス」
ミス・マクゴナガルも同じ表情で、終わらない談義を続ける集団を眺めたのだった。